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old>>
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dea21cad
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-12 00:07
- また、自由領域を含めた菜園とは別に、エスペラント語サブセットやロジバンなど人工言語を用いる宗派・学派を設立することにした。名称は "Resciologio" (再知学) である。かつて完全なOTだったころ、俺たちは何でも知っていた。 聴聞はかつて知っていたことを再び知るために行うものなのだ。
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ba13d782
anonymous
2023-02-12 00:35
- >>82a548a9
それは、(マルクスの云う)価値法則と価値規定の混同だ。マルクスは、社会主義の段階においても“価値規定”は残ると述べた。しかし、社会主義の段階においては、資本主義の下の商品交換に基づく“価値法則”はもはや残らない。価値法則が成立するのは、資本主義市場経済の段階までである。社会主義における価値規定とは、個人の労働量に基づく分配であり、その分配の差異は労働に基づく個人の権利として残るのである。これは共産主義の段階においては、社会の生産力が飛躍するので、価値規定さえも不要となる。
また、それは、資本主義を前提としたマルクスなりの一断面の分析である。マルクスが想定した資本主義経済においては、まず産業資本においてブルジョアジーの剰余価値≒搾取が存在し(主に工業向けの産業資本)、次に市場を通じたブラックボックスによる商品価格の決定が行われる過程で剰余価値≒搾取が発生する(この段階で、本来の価値法則は覆い隠されている)。こちらは、主に商業向けの産業資本だ。さらに、『資本論』第三部で扱われる金融資本の剰余価値≒搾取(利息や株主配当などのインカムゲイン)も想定される。
ゆえに、マルクスは社会主義社会(社会主義国家)の段階においては、アソシエーションに基づく社会的計画経済(社会的計画生産と社会的計画分配)を構想しており、資本≒企業を通じた賃労働、市場のブラックボックスを通じた商品価格の決定、通貨(信用貨幣)を通じた流通の全てが廃止されることになる。その一つの試みが「労働証書」を通じた消費手段(消費財)の分配である。
ちなみに、レーニンの『帝国主義論』においては、国家独占資本主義を現代世界の主な支配階級と看做しているので、グローバルな産業資本、国際金融資本、国家の支配階級がブルジョアジーの正体であり、国家の支配階級による通貨発行権や徴税権を通じた搾取も分析対象となる。
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835f6b1a
anonymous
2023-02-12 01:11
- >>dea21cad
以前に、オールド・タイマー氏自身が言語の基礎は発音(つまり音声)だと教えているのだが、なぜ音声と紐付かない人工言語をベースとするのか?ここの主題は、オールド・タイマー氏は非常に詳しいと思われるが、一応、参考のために述べておく。
言語概念は、音声回路に基づいてマインド及び脳のワーキングメモリに分類されかつ保管される。音声の類型が形式的な論理形式に紐付き、さらに表層の形式的な論理形式に深層の意味及び概念と紐付くことによって、コミュニケーションを通じた理解(ARC)が成立する。
人工言語がその普及に失敗するのは、音声類型ではなく論理形式から出発しているからである。言語学における生成文法と認知文法は、表層の論理形式と深層の意味及び概念の相互依存的な関係である。認知と音声認識は切り離せない。ゆえに、究極の認知文法は生成文法を包含するメタ文法であるが、生成文法(のアプローチ)は認知文法を包含することができない。
※ノーム・チョムスキーは、生成文法を通じて普遍的な言語形式を見出そうとしたが、主に欧米の屈折語の諸言語と孤立語化した屈折語である英語を対象としており、膠着語を包含した言語形式への知見が不十分だったために普遍化に失敗し、リベラル派の社会学に逃げてしまった。
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12b166f0
anonymous
2023-02-12 01:43
- >>346f3621
資本主義経済が“社会的な”生産であることは当たり前だ。マルクスは社会的な生産と資本の私的所有の矛盾が、資本主義における止揚されるべき主要な矛盾であると述べた。
フォード流のベルトコンベアー方式でも、トヨタ流のカンバン方式でも、(ボルボ流の)セル生産方式でも何でも良いが、それらはミクロにおける生産様式の差異であり、資本主義経済システムというマクロの生産様式自体が覆されることにはならない。
マルクスの想定した社会主義社会(社会主義国家)は、資本主義市場経済流の市場や通貨(信用貨幣)を通じた分配を前提としていない。
マルクス・レーニン主義者として、「社会主義においても市場が必要だ」と、最初に述べたのはスターリンだ。以後、日本共産党はスターリンを批判しながら、スターリンの説いた基本原則をそのまま採用することになる。
ティトーのユーゴスラビアの自主管理社会主義でも、資本≒企業の概念を解体し、アソシエーションに基づく連合労働に変革することまではできたが、市場経済と通貨(信用貨幣)を廃止することは遂にできなかった。ゆえに、スターリンは一国社会主義路線(世界革命路線の放棄)も含めて、リアリストとしては(ある意味で)正しかったが、マルクス主義者としては基本教義から逸脱していた。
ちなみに、旧ユーゴスラビアの自主管理社会主義は、産業形態においては、オールド・タイマー氏の述べるゲゼルシャフトそのものである。自主管理社会主義は、市場と通貨(信用貨幣)こそ残存したが、資本≒企業を廃した連合労働(アソシエーション)の概念に基づくプロジェクトごとのフレキシブルな“社会的生産”を行っていた。
民主的な生産様式である自主管理社会主義がうまくいかないのは当たり前である。なぜなら、「(私的)所有」という概念がない限り、人間は生産手段も道具も生産物も大事に扱わないし、それらは適切に管理されないからである。これは、マルクスのイデオロギーそのもの欠陥でもあるし、社会主義及び共産主義の欠陥でもある。
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bcd856c8
anonymous
2023-02-12 09:14
- >>ba13d782
マルクスの想定では、資本主義市場経済という生産様式が、生産力の発展を阻害するというものであったのだが、歴史に照らして、実際には生産力の発展では資本主義市場経済こそが最も合理性があったことになる。
また、マルクスの構想した社会主義の要件である、①共同決定による労働及び産業の民主化(これは、皮肉にも、社会主義国の東ドイツではなく資本主義国の西ドイツで採用された)と②社会的計画生産に基づく全体最適の実現(合成の誤謬の発生の排除)の要件は、③生産力の飛躍というマルクスの構想したもう一つの社会主義の要件と両立し得なかった。
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a35575f3
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-13 14:36
- [Old Timer 随想2023.01.19III] ターミナルとオプタームをグレードで処理する場合、フローは9個になる。 しかし、フロー3がフロー8までに増えるだけなので、一般グレードのフローを増やす必要はない。 また、GPMのターミナルペアを処理する際に、フロー3からフロー8までにリードがあることは少ない。
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48cee557
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-13 14:42
- >>019de25a
論点がずれている。ここでは法の支配の構成要素としてコモン・ローの話をしているのではないよ。法の支配が法治主義にサヤ寄せしてくという話で、イギリスでは両者が同一視されているのだよ。そなたはもう少し主張を整理整頓するといい。
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de9927e8
anonymous
2023-02-13 15:09
- >>48cee557
全くズレてなどいない。英米法学の素養のない状態で、貴方がwikipediaを参照し(もちろんこれはオールド・タイマー氏の文章からの推定に過ぎないものだが)、杜撰に引用しているから指摘したまでである。法の支配と法治主義の“実態”の違いもわからずに、こんな無意味な反論をするとは、サイエントロジストの恥晒しでしかないのだよ。
wikipediaを読んだ程度で、膨大な英米法学を俯瞰したかのような軽薄なコメントを控えられよ。貴方こそ、門外漢の分野(特に法学や経済学)に軽薄なコメントを書かれるのを慎むべきだ。西村博之氏のように、生半可な知識で詭弁を弄してマウントを取ることが、オールド・タイマー氏の趣味であるなら仕方ないが。
貴方は、感情に任せて反論する前に冷静になったほうが良いだろう。“薄く広い”教養を披露する前に、自らがコメントする分野に関する“深く狭い”研鑽を積むべきだ。
もちろん、これは、オールド・タイマー氏のサイエントロジーに関する知識の豊富さ(教養)を否定するものでは全くない。
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5ecccf73
anonymous
2023-02-13 15:37
- >>de9927e8
法の支配は、オールド・タイマー氏が私への反論のネタ探しで、wikipediaを参照したくらいで語れるほど浅い主題ではない。
法の支配が法治主義にサヤ寄せしていくなどと、オールド・タイマー氏は杜撰な引用で軽薄に述べているが、それは日本国憲法が大日本帝国憲法にサヤ寄せしていく(べきだ)と述べているに等しい。大日本帝国憲法は、典型的な大陸法の法治主義に基づいている。大日本帝国憲法が失敗したのは、英米法流の法の支配が希薄だったからである。時代は、逆に、(法秩序の実態として)法治主義から法の支配へと向かっているのだ。なお、法の支配を放棄して反動的に法治主義へと向かうロシアやハンガリーは、例外的な事象と捉えるべきである。
法の支配はコモン・ロー“だけ”では成立しない。ゆえに、法の支配と自由主義(個人の消極的自由の担保、権力分立、違憲立法審査権による司法権の優位)との関係について述べたのだ。コモン・ローを含むノモスを警察権・軍事権・立法権を有する為政者自身が裁定する(大陸法の流儀)か、司法が裁定する(英米法の流儀)かは決定的な違いだ。前者を肯定すれば、ジャコバン主義・ボナパルティズム・ファシズム・ナチズムの亜流の出現を抑制することはできない。オールド・タイマー氏の論は、一部の法解釈の変容と実態としての法の支配の変容を混同させている。
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2ebb4f8a
anonymous
2023-02-14 06:47
- 人類(ホモ・サピエンス)は、短期のサイクルにおいては、家庭であれ、学業であれ、仕事であれ、同じサイクルを繰り返す。しかし、長期のサイクルにおいては大きく変容する。例えば、一個人の肉体が、出生時点と臨終を迎える地点とを比較してみれば一目瞭然だろう。
では、この長期の変化は何によって生じるのか?マルクスやエンゲルスの言うように(いわゆる史的唯物論の観点)、人類(ホモ・サピエンス)の生産活動あるいは生産労働が変化の主体であるならば、この変化は説明できない。なぜならば、人類(ホモ・サピエンス)は、肉体の一生のスパンでは、生産労働あるいは生産労働において従属的な受け身の立場にあるからだ。ゆえに、短期では同じサイクルを繰り返す。
社会の変化の主因は、輪廻転生のサイクルを含めてマインドを通じたものだ。マインドは、当然反応バンクも含む。つまり、個々人(ビーイング)のマインドどうしの相互作用及び集合バンクの相互作用だ。社会(あるいは時代)の変化の主因は、目に見える物質的要因より、目に見えない精神的要因のほうが遥かに大きいのである。LRHが述べたように、物質ではなく各ビーイングの(マインドを通じた)思考≒コンシダレーションこそが、社会を変化させる主体である。
もっとも、ゴータマ・シッダールタやヴェーダーンタの伝統のように、マインドを精妙な“物質”であり、またマインドを通じた霊的作用を精妙な物質的作用として定義するなら、この立場も唯物論の範疇となるだろうが、このような肉体等の粗大な物質を含むMESTあるいはコスモス(宇宙・自然)を、アートマン及びセイタンのコンシダレーション(※コンシダレーションはアートマン及びセイタンの「合意」を含む)に従属させるような唯物論的解釈と物質の定義は、エンゲルスが観念論と言って安易(早計)に切り捨てたヘーゲルを再評価したレーニンですら到達できなかった視点である。
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8b0a51c8
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-14 22:42
- どこかで、 "継続時間ゼロの出来事を扱う技術は菜園教会にもある。 これを戴安寧に組み込んだものが自由領域の拡張戴安寧の基本だ" という旨の発言をしたことがあるかもしれない。ここで取り消す。
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2dea823a
anonymous
2023-02-15 03:00
- >>2ebb4f8a
マルクスとエンゲルスの唯物史観(自称・弁証法的唯物論)は欠陥が大きい。
(先史研究における)歴史学的には死語の原始共産制から高度な未来の共産主義社会で歴史が終わるというイデオロギーは、エデンの園から至福千年に至るキリスト教の歴史観と瓜二つである。そもそも、ホモ・サピエンスの祖先とされる猿の集団にも縄張り争いとボス猿の支配秩序が存在するのであるから、原始共産制ユートピアの仮定は無理がある。原始共産制というイデオロギーを前提とした歴史観は宗教的なエデンの園を唯物論的なユートピアに置き換えただけのものである。
※ヘーゲルの歴史観自体が(統一教会の文鮮明の統一原理に基づく歴史観並の)欠陥品なのだが、それを杜撰かつ強引に、唯物論および唯物史観に置き換えているのが、マルクスとエンゲルスの最も罪深い点である。
また、マルクスとエンゲルスの唯物論および唯物史観においては、人類(ホモ・サピエンス)は、自然法則と社会の発展法則なる不可侵の“真理”の範囲内での選択の自由しか持ち得ない。社会の発展法則は、人間の意図に関わらず、自然法則の重力と同様に存在する。この社会の発展法則に従うことで、人間は自由を得ることができるのだ、ということだ。人間の思考や意図、すなわちコンシダレーションはMEST(コスモス)に従属し、社会のあらゆる上部構造(思想・文化・社会制度)は下部構造である社会の生産様式に従属する。それが、なぜ真理なのかは訊くだけ野暮である。なぜなら、彼らはその絶対真理を発見したのだと自称しているのだから。もちろん、これは完全に倒錯した見方である。
なお、「道(Tao)」に従うことで得られる生存と自由と、唯物論的な自然や社会のMESTの“真理”に従うことで得られる自由なるものは別物である。道は生命にセータおよびダイナミックの力を与え、蘇生と生存をもたらす。そして、道は究極へ至れば、時空や因果律といったMESTの縛りを超越してしまう。一方で、マルクスとエンゲルスの唯物史観の説く人間の自由とは、我々人間の精神作用でさえも肉体の頭脳の産物であり、物質の隆起の結果、肉体の物理・化学的な作用(反応)で神経系を通じて、ランダムに「物質が思考した」結果に過ぎないのである。そして、我々の思考も自然法則と社会の発展法則を超えることはないのである。なぜなら、唯物論においては、宇宙と社会の歴史は必然だからである。つまり、宗教的な運命論≒予定説の世界と同じである。
そもそも、社会の発展法則なるものはまやかしである。社会に一定のメカニズムは存在するが、それは過去の合意を通じて人為的に社会制度に組み込まれたルールに過ぎない。それは、変更不可能な絶対不可侵の法則≒真理などではないのである。我々人間は、条件付けされた機械(仕掛け)などではないのだから。
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9fa3691a
anonymous
2023-02-15 03:33
- >>bcd856c8
マルクスとエンゲルスによる、原始共産制から未来の高度な共産主義社会に至るという疑似宗教的な歴史観(つまり唯物史観)とヘーゲルを杜撰に応用した自称・弁証法的唯物論を完全に廃した上で、純粋に社会主義社会の実現可能性を考えてみることは有意義な思考である。
オールド・タイマー氏は私への反論として持ち出さなかったが、現段階において、マルクスの想定した社会主義体制に最も使い社会システムがドイツの社会的市場経済(ライン型資本主義とも呼ばれる)だろう。私は、先に、皮肉なことに労働者の共同決定権は、資本主義国の西ドイツ(現行の統一後のドイツ連邦共和国)で採用されたと書いた。その頃、さらに皮肉なことに、社会主義国であるはずの東ドイツ(ドイツ統一によって消滅したドイツ民主共和国)では、何と労働者のストライキ権が禁止された。
社会的市場経済は、経済的な生産性と社会福祉を両立させる試みである。また、労働者の権利拡大にも熱心である。これは、歴史的には、分断された西ドイツが東側の革命(赤化)に巻き込まれないように、社会主義の原則を積極的に資本主義に採り入れた結果である。
西ドイツでは、生産手段≒資本の私的所有と不労所得こそ消滅しなかったものの、労働者の共同決定権を通じた労働と産業の民主化、間接金融部門(金融機関)を通じた社会的生産、高い労働生産性と高品質な商品(製品/サービス)が満たされていた。また、エコロジーの観点から見ても、商品のモデルサイクルも長く、大量生産・大量消費は抑制されていた。これは、マルクスが社会主義社会の要件に課した三つの要件(①労働と産業の民主化、②社会的計画生産、③生産力の飛躍)をほぼ満たしている。ただし、残念なことに、グローバル経済の伸展に伴って、(現行の)ドイツの共同決定法を通じたコーポレートガバナンスの適用範囲は縮小しつつあり、また、直接金融の拡大によって間接金融(金融機関)を通じた社会的生産も衰退している。やはり、一国社会主義路線は持続可能ではないのだろう。
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6e67012e
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-15 10:32
- [随想2023.01.19V] NOTsは本来アシストだ。 だからはっきりとしたEPはもともと設定されていなかった。
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67f0fc00
anonymous
2023-02-19 13:27
- >>4f9e3286
4f9e3286の名無しです。
マルクスの理論や社会論は、アホな私には正直言ってわかりません。
『世の中が良くなるといいですね』としか言えないです。
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3c83f160
anonymous
2023-02-19 22:55
- 精神#脳なら脳と神との関係はなんだろう??
電気信号か、幻覚か…
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c59886bb
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-23 15:11
- >>67f0fc00
優れた思想は思想として意識されずに実践される。 菜園のある部分もそうなるかもしれない。
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8cb2884c
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-23 15:12
- 1952年の前半に幅度はメーターを使った聴聞についての指南書を書いている。この頃の幅度は "ファクシミリ" に質量も位置もないと考えていた。 西ヨーロッパやアメリカの人はしばしば魂と心を混同し、 "彼の魂" のような表現を使ってしまう。 幅度にもそういうところがあったのだろう。
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eec92247
anonymous
2023-02-23 20:35
- そのうちに電気信号やら原価から始まる進学が生まれてもいい気がするがな…
…知らんけど!!!!!
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2d004a73
anonymous
2023-03-16 23:18
- 高度にエシカルで自律的な組織(グループ)や社会においては、自発的な慣習として膨大な不文律が機能するだろう。しかし、それには、強要されることのない不文律として、経験則に基づく共有すべき「教訓」や「知恵」として学ぶべきものだという位置付け(つまり、決して絶対的に従うべきルールとは看做さないこと)であることが重要なのである。
LRHは、アドミンルール(方針)を参考にすべきアドバイスと必要最低限のルールとに分けなかった。LRHのアドミンの大半は、ルールではなくアドバイスの類である。LRHは、あらゆるアドミンをルール化したが故に、ミスキャベッジ(RTC)によって、スタッフとパブリックに対して、LRHの方針書(HCOPL)は絶対的ルールとして教条化されながら、ミスキャベッジ(RTC)自身はそのルールの上位に存在しLRHの定めたルールを守らないという皮肉な結果を生むことになった。
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