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f9c3b569 anonymous 2025-03-21 21:16
>>5c3924b3
MESTユニバースの理論やエネルギー的な階層構造――リッジ、アテンション、コンシダレーションといった概念は、非常に緻密な体系だと思います。

しかし、私の立場では、それらもすべて「意図の衝突によって形成された有」であり、構造そのものが生成されたメカニズムのほうを観る視点を持っています。

たとえば、アテンションが固定されることでエネルギーの問題(リッジ)が生まれるとされますが、その「アテンションを固定する意図」がどこから来ているかを見ると、そこに対立する意図の存在が浮かび上がります。
また、「コンシダレーション(観念)」も、意図によって構成された枠組みであり、どの観念も「別の観念との対比」によって強化されます。
MEST(物質・エネルギー・空間・時間)も、意図が対立・固定された結果、時間軸や空間スケールが確定したものと捉えられます。

つまり、私は「アテンション」や「リッジ」や「コンシダレーション」以前に、
「なぜ意図が固定され、対立する構造が生まれたのか?」
という点を観察の起点としています。

「意図同士が衝突していること」そのものに気づき、それを解除する視点から見ると、  
アテンションは流れを取り戻し  
コンシダレーションは柔らかくなり  
リッジは消えていく

という順番で、「処理するべき対象」ではなく、「自然に消えていく現象」に変わります。

菜園の体系は、有の側からの地道な浄化・調整の体系であり、それが非常に有効に機能する場面があることは理解しています。

ですが私の立場では、
「意図を衝突させなければ、有はそもそも生じない」
という観点に立ち、問題を解消するのではなく、生じない状態を維持することに焦点を当てています。

だからこそ、悟りとは「何かを達成すること」でも「どこかに到達すること」でもなく、
「意図の衝突を解除し、意図の流動性を回復すること」
だと、私は定義しています。

エネルギーの流れやアテンションのコントロールも、衝突構造の上に成立しているものであり、それを使って悟りに至ろうとすること自体がまた、別の意図の固定(=作為)になってしまう危険性を孕んでいる。

だからこそ、私は「誰が悟ったか」「何を達成したか」「どんなエネルギーが残っているか」よりも、
「今、意図が衝突しているかどうか?」  
「衝突をやめたら、何が自然に起こるか?」

という問いのほうを大切にしています。

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