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53a33afe anonymous 2025-03-20 01:47
>>c60c21dc

>LRHは「Not-isness(否定すること)」を問題の根源としたが、実際には 「Not-As-isness(創造の否定)」がすべての始まりだった。

⇨誤解ではなく、サイエントロジーの公理の論理的不整合かと。そもそも、アズ・イズネス(創造:モックアップ)⇨アルター・イズネス(創造:モックアップ)⇨イズネス(創造:モックアップ)の一連の流れだけで公理は自己完結するので、ノット・イズネスは蛇足の概念であり、かつ、アズ・イズネス⇨アルター・イズネス⇨一連と同じ大きさの等級の並列概念ではありません。

>LRHは「Not-isness」が、実際には 「Not-As-isness」であり

という行[くだり]は“基本的に”同意します。その「ノット・アズ・イズネス」こそが「アルター・イズネス」なのです。しかし、「アズ・イズネス」が「非創造」であるという主張には同意できません。「アズ・イズネス」こそ、“純然たる”創造でありモックアップです。アズ・イズネスも、アルター・イズネスも、イズネスも、全て“創造”です。創造でないリアリティも、創造でないゲームも存在しません。

LRHが公理にノット・イズネスを挿入した意図は、“ノット・アズ・イズネス”としてのアルター・イズネスとノット・イズネスを区別することにあったであろうと思われます。つまり、アルター・イズネスが可能なノット・アズ・イズネスとアルター・イズネスが不可能なほどに合意され、強固なリアリティとなってしまったフェーズでのノット(否定)です。

粒子の刹那生滅及び空性の原理で語るなら、アズ・イズネスを重ねてもリアリティは構築できます。ただし、これでは時間という概念が導入できません。なぜなら、時間は見せ掛けであり諸法の実相に反する偽りだからです。アズ・イズネスを連続すると、モックアップとアン・モック(完全な消滅)が交互に生じます。これが連続すると、創造と消滅による刹那生滅の原初形態になります。ただし、時間とアルター・イズネスを導入しないと「自動性」が生じないので、セイタン(アートマン)たちにとっては、非常に面倒で手間なのです。セイタンは自らの創造物に対する受け身でありたいのです。つまり、影響を受けたいわけです。そこで、マインドを創造して、機械仕掛けを拵えるんです。そして、その機械仕掛けに創造させるのです。これによって、セイタンはアルター・イズネスと時間を導入し、自らの創造物に対する受け身となって、影響を受けることができるわけです。

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