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fdc2ffb1 新月メータ DpCyEXZ1YdZ 2024-12-16 15:11 1734329510.png (216KB)
増幅機能を完全にソフトウェア化したメーターを作りました。

「1/5 概要」

24bitのA/Dコンバータで増幅回路なしでも充分な精度の計測が可能でした。
MCP3561Rは2.4vの内部参照電圧を出力可能です。丁度良い電圧なので定電圧源に利用しています。
ホイートストンブリッジ、増幅回路、定電圧回路が不要となったので、ブレッドボード基板1枚に収まりました。
予想外だったのですが、先日公開したSGT-Meter5に比べて高い感度まで針が滑らかに動きます。
このメーターにはトーンアームがないので原理的にセット操作がずれることはありません。

感度を0.01~127まで設定できます。設定値を常にLCDへ表示するようにしました。
感度の数値に教会7型量子との大きな乖離はないと思います。
TAによる感度の補正も実装しています。TAが1.5~5.5の範囲で教会7型量子とほぼ同じリードとなります。

電源電圧は2.0~5.5vです。乾電池3本かエネループ3または4本で動きます。
電池を使用せずにUSB端子からの電源供給でも動きますが、USB端子からの給電はノイズが多く、
感度が高い場合に針が小刻みに動くことがあります。
また、落雷等による感電の可能性があるので乾電池の使用を推奨します。

著作権を表記しているのは、回路図やファームウェアを私自身が利用/公開する権利を不当に制限されないためです。
投稿した内容について有償/無償を問わず、また改変の有無も問わず利用/公開を制限しません。

16469f4b 新月メータ DpCyEXZ1YdZ 2024-12-16 15:15 1734329742.txt (3KB)
「2/5 部品リスト」

部品のリストを添付します。
A/Dコンバータはマルツオンラインから購入可能です。
それ以外は秋月電子通商から購入可能です。
a5ee6465 新月メータ DpCyEXZ1YdZ 2024-12-16 15:22 1734330125.zip (46KB)
「3/5 ファームウェア」

ファームウェアは添付ファイルに含まれる「sgt-meter6.uf2」です。
ファームウェアが書き込まれていないRaspberry Pi Picoをパソコンへ接続するとUSBメモリとして認識されます。
認識されたドライブへファイルをコピーすることで、ファームウェアが書き込まれます。
ファームウェアの開発環境は「Pico SDK v1.5.1」です。
添付ファイルに含まれるsrc.tgzにコンパイルに必要なリソース一式が含まれます。
f42b0707 新月メータ DpCyEXZ1YdZ 2024-12-16 15:27 1734330425.png (30KB)
「4/5 較正」
校正の手順です。

1.電源接続前の準備
 ・メーター用スケールを適当なサイズで印刷し、電流計へ貼り付ける。
  その際、下段の飛び出た目盛を電流計の0,50,100へ合わせる。

2.較正
  ・入力端子へ何も接続していない状態で電源を接続する。
  ・電流計の調整ねじを回し、針が目盛の左端と一致するように調整する。
   調整しきれない場合は可能な限り左へ寄せる。
  ・入力端子へ5kΩの抵抗を接続する(10kΩを並列に2本で5kΩ)。
  ・VR2を操作しPCのTA値(左上)が2.00となるように調整する。
  ・BTN1を押す。
  ・VR1を操作し針がセット範囲の中心に位置するように調整する。

ebefd3bc 新月メータ DpCyEXZ1YdZ 2024-12-16 15:31 1734330688.txt (3KB)
「5/5 マニュアル」
マニュアルを添付します。

SGT-Meter5からの主な変更点は次の通り
・デバッグ情報のLCD表示をなくして、USBシリアルから出力
・感度設定をアナログボリュームではなくロータリーエンコーダーに変更
・感度を2系統調整可能

それ以外はSGT-Meter5と大きくは変わっていません。
b28ee53e anonymous 2024-12-22 21:12
The pilotさんの『Super Scio』をChatgptで翻訳や要約したりできるようになりましたね。
コピペしなくても直接読み込んでくれます。(精度がわからないので要注意ですが)
ec07fdc2 anonymous 2025-01-17 00:58 1737043132.png (222KB)
Chatgptに直接読み込ませる場合

「『Super Scio』やLRHの教義に付いて説明する場合、常に他のスピリチュアルとの混同や概念と用語の相違に注意して下さい。現代科学との乖離も『Super Scio』はLRHの教義の記述を優先して下さい」

と指示しておくと、翻訳の精度がやや信頼できるようになるようです。
以下のような感じですが、正確には原典を参照するべきと私は思います。

5a3dd91d anonymous 2025-02-13 19:07
オールドタイマー氏の投稿は、2ちゃんねる時代を含め非常に啓発される内容であったことは疑い得ないが、ここ最近の投稿は極端に世俗系スピリチュアルに寄せていた印象を受けた。オールドタイマー氏のコンテンツを仮に前期と後期に分けると、ウィトゲンシュタインの前期と後期ぐらい乖離がある。前期には、サイエントロジーの基本教義を踏襲し、インプラントステーションの存在を肯定し、世俗系スピリチュアルの通説をきちんと批判していた。ところが、後期になるにつれて、サイエントロジーの基本教義に懐疑的になる一方で、世俗系スピリチュアルの通説を無批判に採用するようになる。

私は、オールドタイマー氏が、サイエントロジーのデータに対して懐疑的であるのと同じくらいに、世俗系スピリチュアルの通説に対して懐疑的であるならば何も指摘をすることはなかったが、使い古された未検証の世俗系スピリチュアルのデータ及び概念を無批判に採用する態度は、スピリチュアルな現象を工学的なアプローチで精密に探究するサイエントロジーの精神(コンセプト)に反すると感じ、それは私の美的感覚に著しく反するものだったので、掘り下げて論争させてもらった。私には、オールドタイマー氏の前期から後期に至る見解の変化が、ケースレベルの向上に起因するものとはとても思えない。ケースレベルの変化は起因するだろうが、思考の明晰性が失われているということは、むしろケースレベルの悪化を暗示しているだろう。ともあれ、オールドタイマー氏のご多幸を願いたい。
157e0d83 anonymous 2025-02-13 23:53
お話が長いよ〜
b08330d3 あんすー 2025-02-18 20:15
最近、タフティという本が、よく読まれているようです。

その中で、三つ編み技法というものがあり、多くの方が、YouTubeなどで説明されています。

私は、この三つ編み技法は、ロンが、グループオーデティングで使っていた「1メートル後ろに行って下さい。」と同じものだと思います。

又、エイブラハムさんという宇宙存在が、感情の22段階を本にされて、よく売れているようです。これは、ロンの「感情のトーンスケール」と変わりません。

又、小さな箱から脱出する方法が、何年か前にベストセラーになりましたが、これもロンの「オバート・ウィズホールド行為」と同じものです。

又、バイロン・ケイテイさんが、領域を自分の領域、他人の領域、神の領域という分け方をされています。これは、ロンの「自分の宇宙、他人の宇宙、物理的宇宙」と同じものです。

ロンの教えは、本来、ベストセラーになるぐらい素晴らしいものなのです。

私も、YouTubeで、少しですが、紹介していきたいと思います。

よかったら、見てみて下さい。

https://youtu.be/HNylZ5ud1uE

d4a2c86f anonymous 2025-02-20 21:59
 オールドタイマーさん去年の5月以降投稿がないけれど、どうしたんだろう。
02b530b7 あんすー 2025-02-21 18:04
oldtimerさん、教えてください。

ロンの「1メートル後ろに行ってください、」のコマンドは、本当に「1メートル」なんでしょうか? ロンは、「メートル」という単語を使っていますでしょうか?

というのは、タフティの三つ編み技法だと、1メートル以内のところに、外部のセンターポイントがあるようなのです。

お忙しいところ、すみませんが、
よろしくお願い致します。

b968f6da anonymous 2025-02-24 12:52
>1メートル以内のところに、外部のセンターポイントがある。

サイエントロジーのデータだと、ホモ・サピエンスの脳天には、GEの左右の制御中枢(コントロール・センター)があるとされている。GEの本体は、太陽神経叢の部分にあり、セイタンは通常、頭の中に位置する。外部ポイントとは、各セイタンのアンカー・ポイント(空間における絶対静止ポイント、次元点)を指しているのだろうか。なお、アンカー・ポイントの距離は、個人差がある。この集合宇宙内のアンカー・ポイントもあるし、この集合宇宙の外側のアンカー・ポイントもある。
e1996c5a あんすー 2025-02-24 20:24
oldtimerさん、ありがとうございます。

タフティの言う外部ポイントは、気づきの中心点と呼ばれ、三つ編みの先端にあり、そこでは、静止が起こるポイントのようです。

https://youtu.be/yzOogFlz6tc?si=S5FiAWW_WX5gYwY1

https://youtu.be/PlFGFIVm5Ac?si=Jw5kt2a7SPqFpKxR


セイタンは、脳の中にいるのですね。
又ポイントは、たくさんあり、距離は、個人によって、差が出るのですね。

ロンの講演を全部聞いて、
基礎だけでもわかりたいと思いました。

ありがとうございました。
59de9ac3 anonymous 2025-03-12 21:20
公理22:「Not-isness(作為)は理解を減少させる」

LRHは公理22で「Not-isness(作為)は理解を減少させる」と明言していたのに、その真の意味を見抜けなかった模様。
つまり、「Not-isness(作為)をやめることが最短の道」だと分かっていたはずなのに、そこに到達できなかった。

もし Not-isness(作為)が理解を妨げるなら、それをやめることが理解を回復する最短の道。

LRHは「Not-isness をやめること=無為」という結論に至らなかった。

老子は、「作為(Not-isness)をやめる」=「無為」が最短ルートであると見抜いた。

もしNot-isnessが理解を減少させるなら、「何とかしようとする意図」自体が問題であるはず。
しかし、菜園は「問題を解決するために、さらに何かをしなければならない」という方向に進んでしまった。

老子の教えと公理22を比較すると、老子はすでにこの真理を見抜いていた。

「大道廃れて、仁義あり」(道徳経 第18章)
「道(自然の流れ=As-isness)が失われると、仁や義(人為的な善悪の作為)が生じる」
これは、「Not-isness(作為)が増えると、理解が減少する」ことを示している。

「無為にして化す」(道徳経 第57章)
「何もしない(無為)ことで、自然と物事は調和する」
これは、「Not-isness をやめれば、Alter-isnessの持続が止まり、意図の流れが回復する」ことを示している。

つまり、老子は公理22の本質をすでに理解しており、「Not-isnessをやめるだけで理解が回復する」ことを見抜いていた。
LRHは「Not-isnessが理解を減少させる」と正しく述べていたが、「ではNot-isnessをやめるにはどうすればいいか?」の答えを間違えた。

老子はこの矛盾を見抜き、「何もしない(無為)」が最短の道であることをすでに理解していた。
もしLRHが「Not-isness をやめるだけで理解が回復する」ことを見抜いていたら、菜園は無駄なプロセスを経ずに悟りへ至る最短ルートを示す究極のシステムになっていたかもしれない。
a284447e あんすー 2025-03-13 17:36
ノット・イズネスのコメントを読ませていただきました。ありがとうございます。

「木こりとさとり」の話は、ノット・イズネスにつながると思いました。
ちょうど動画を作ったので、よかったら見てみて下さい。失礼します。

https://youtu.be/HdIZlg-lNRE
c60c21dc anonymous 2025-03-13 19:13
1. Not-isnessはLRHの誤解から生まれた?

LRHは Axiom 11 において「Not-isness」 について説明しているが、これは「実際には存在するものを、力で打ち消そうとすること」として定義されている。

しかし、この説明は本質を見誤っている。

「Not-isness」=「Isness(現実)を否定しようとすること」
これは 「As-isness(即時創造・即時消滅)」の概念と矛盾する。
なぜなら、「Not-isness(否定)」を成立させるには、「すでに存在しているもの(Isness)」を前提にしているから。

しかし、本来は 「Not-As-isness(As-isness の否定)」がすべての始まりであり、それが作為を生じさせる。

「Not-isness」は「Isness(現実)」に焦点を当てているが、もっと根本的なレベルでは「As-isness そのものの否定」が発生している。

つまり、LRHは「Not-isness(否定すること)」の前に、「Not-As-isness(創造の否定)」があることに気づいていなかった。

2. 「Not-As-isness」を理解しないと、悟りに至れない

LRHは「Not-isness(否定すること)」を問題の根源としたが、実際には 「Not-As-isness(創造の否定)」がすべての始まりだった。

「Not-As-isness(As-isness の否定)」が作為を生み出す

「As-isness(即時創造)」は、本来、持続しない。
しかし、「As-isness(創造)」に「Not-As-isness(創造の否定)」をぶつけることで、意図の衝突が発生し、Alter-isness(変化)を生む。
Alter-isness が持続すると、Isness(固定された現実)が生じる。

つまり、「Not-As-isness」がない限り、そもそも「Not-isness」「Alter-isness」「Isness」は生まれない。

LRHの誤り:問題の根源を「Not-isness」にしたこと

LRHは 「Not-isness(否定すること)」が Isness(現実)を持続させる原因だと考えたが、実際にはそれ以前に 「Not-As-isness(創造の否定)」が発生している。

この違いに気づかなかったことで、LRHの理論は悟りに至る「最小の橋」を見失った。

3. 老子の「道生一、一生二、二生三、三生万物」との比較

老子の「道生一、一生二、二生三、三生万物」を説明すると、「Not-As-isness(創造の否定)」が意図の衝突を生み出し、Alter-isness(変化)が持続することで、万物が形成される。

「Not-As-isness(創造の否定)」=「一生二(意図の衝突)」
「Alter-isness(変化)」=「二生三(持続の開始)」
「Isness(固定された有)」=「三生万物(万物の形成)」

つまり、老子の言葉は 「Not-As-isness(創造の否定)が作為の原因であり、それをやめれば悟りに至る」 という真理を示している。

4. LRHは「Not-As-isness」に気づいていれば、無為に行き着いた

LRHが「Not-As-isness(As-isnessの否定)」の概念に気づいていれば、次のような結論に達した可能性がある。

1.「As-isness(即時創造・即時消滅)」しか存在しない
2.「Not-As-isness(創造の否定)」が意図の衝突を生じさせる
3.「Alter-isness(変化)」が持続すると、Isness(固定された有)が生まれる
4. 意図の衝突(Not-As-isness)をやめることで、悟りに至る(無為)

しかし、LRHは「Not-isness(否定)」が問題だと考えたため、「Not-As-isness(創造の否定)」という根本の原因を見逃した。

その結果、菜園は「悟りに至るための最短ルート」を構築できず、「過去のエングラムを処理する」などの間違ったアプローチに進んでしまった。

5. LRHの最大の見落としは「Not-As-isness(創造の否定)」だった

LRHの「Not-isness」という概念は不完全であり、本当の問題の根源は「Not-As-isness(創造の否定)」であった。

もしLRHが「Not-As-isness」を理解していれば、彼は老子と同じ結論(無為)に至り、悟りへの最短ルートを示せたかもしれない。

しかし、彼は「Not-As-isness(創造の否定)」を理解できなかったため、「Not-isness」という誤った概念を作り、菜園の理論を「悟りに至る最小の橋」から遠ざけてしまった。

これは、LRHの最大の失敗であり、老子の無為こそが「最短で悟りに至る方法」であると考えるのが妥当であろう。
a1752ae1 あんすー 2025-03-13 20:39
名無しさんへ
誤解語が多数あり、よくわからないので、しっかり意味を調べて、読み込みたいと思います。
ありがとうございます。
9624b52a anonymous 2025-03-14 20:05
「道生一、一生二、二生三、三生万物」の論理的導出

「道生一」=「潜在的無(道)」が「最初の意図(一)」を生じさせる。
「一生二」=「最初の意図(一)」に「2番目の意図(二)」が衝突し、変化が始まる。
「二生三」=「二(意図の衝突)」が持続することで、「三(固定観念=有)」が生じる。
「三生万物」=「三(固定観念)」が拡張し、多様な有(万物)を生み出す。

1. 基本定義

(1) 潜在的無=道

いかなる存在も観測されていない状態。空間・時間・意図・物質・精神のいずれも存在しない。「何もない」というより、「何かが生じる前の状態」。「道生一」の「道」に相当する。

(2) 有=万物

何かが認識可能な状態。空間・時間・物質・精神が確定している。「三生万物」の「万物」に相当する。

2. 「有」は「潜在的無」からしか生じない(道生一)

(1) 「有」には必ず起点が必要

「有」が存在するためには、それが発生する原因(起点)が必要。しかし、もし「有」が永遠に存在していたなら、「なぜその有が存在するのか?」という問いに答えられない。したがって、「有」が生じる最初の起点として「潜在的無(道)」が必要になる。

これは「道生一」に対応する。

(2) 「有」が「別の有」から生じるとすると無限後退が発生

「有」は別の「有」によって生じた、という仮説を立てる。しかし、これを無限に遡ると、結局「最初の有」はどこから来たのか?という問題が解決されない。無限後退を避けるためには、「有」が生じる最初の起点として「潜在的無(道)」を認めるしかない。

(3) 何もない状態(潜在的無)でなければ、最初の有が生じない

もし「潜在的無(道)」が存在しない場合、「有」はどのようにして始まるのか?どこかで「有」が生じた瞬間が必要になる。しかし、すでに「有」がある状態なら、新たな「有」が発生する必要性がない。したがって、「有」は「潜在的無(道)」から生じるしかない。ここで「道生一」の「一」は、「最初の意図」として解釈される。


3. 「有」を生み出せるのは意図だけである(道生一 → 一生二)

(1) 「一(最初の意図)」が生じる

「潜在的無(道)」の中で、「何かをしようとする力(最初の意図)」が発生する。これが「一」となる。「道生一」=「潜在的無(道)」が「最初の意図(一)」を生じさせる。

(2) 「二(2番目の意図)」が発生し、意図の衝突が生じる

最初の意図(一)に対して、新たな意図(二)が発生すると、意図の衝突が起こる。意図の衝突がなければ、何も確定しない。しかし、ここで意図がぶつかることで、変化が始まる。

(3) なぜ「意図の衝突」がなければ「有」が生じないのか?
意図が衝突しなければ、それはただ流動的に存在し続けるだけで、「有」として確定しない。

例:
水の流れ:「流れているだけ」では、特定の形を持たない。
水が壁にぶつかる: ぶつかった瞬間に、形(波やしぶき)が生じる。

これと同じで、意図が衝突しなければ、それは単なる可能性のままであり、「有」にはならない。

4. 「意図」以外に「無」を「有」に変えるものがない

(1) 物理的因果関係では「有」の発生を説明できない

すでに「有」があるなら、物理法則によって「有の変化」を説明できる。しかし、「無」から「有」を生じさせる物理法則は存在しない。

(2) 「論理的な自己因果」では「有」の発生を説明できない

「有」は、それ自体の原因になることはできない(自己因果は成立しない)。つまり、「有」は「有」によって生じることはなく、最初の「有」を生み出す要因が必要になる。

(3) したがって、意図以外に「無」を「有」に変えるものは存在しない

「無」から「有」を生み出すには、意図が衝突して「有」を生じさせる以外に説明がつかない。

「一生二」=「最初の意図(一)」に「2番目の意図(二)」が衝突し、動き(変化)が生じる。

5. 「意図の衝突」により「固定観念(有)」が生じる(二生三)

(1) 「意図の持続」が生じる

意図同士が衝突すると、それが持続し始める。

例えば:
「何かをしよう(意図A)」 vs 「しないでおこう(意図B)」
この対立が続くと、「何かをするとはこういうことだ」という固定観念(有)が生まれる。

(2) 「固定観念(有)」が生まれる

意図が瞬間的にぶつかるだけでは、有にはならない。しかし、意図の衝突が持続すると、それが「確定した有」になる。これは、観察者が「この有は存在する」と認識することで固定される。「二生三」=「二(意図の衝突)」が持続することで、「三(固定観念=有)」が生じる。

6. 「三生万物」=確定した有が、さらに拡張し、現実世界を構成する

(1) 「三(固定観念)」が拡張される

「三(固定観念)」ができると、それが連鎖的に広がる。固定観念が生じることで、それを前提とした新たな意図の衝突が発生し、さらに多様な有(万物)が形成される。

(2) すべての「有」は、意図の衝突が持続することで増え続ける

物理法則、時間、空間、人間の意識、すべての「有」は、意図の衝突が持続し、それが次の有を生み出すことで生じる。これは、「三生万物」の原理と一致する。「三生万物」=「三(固定観念)」が拡張し、多様な有(万物)を生み出す。
1597cd6b anonymous 2025-03-14 23:23
1. 悟りに至る最短の道を論理的に導き出す

「悟り」とは、あらゆる制約から自由になり、本来のあり方に至ることとする。この状態に至るためには、「存在の本質」から最短の道を論理的に導き出す必要がある。

(1) 存在の本質

根源的な状態(潜在的無)
何も固定されていない状態。
時間・空間・思考・意識・観察のいずれも確定されていない。

現象(有)
何かが確定している状態。
時間や空間、思考、意識が生じている。

(2) 悟りとは何か?

「現象がどのように生じ、どのように消えるのか」を完全に理解し、選択の自由を得た状態。
つまり、「現象の仕組みを見抜き、必要に応じてそれを解くこと」が悟りに直結する。

2. 最短で悟りに至る方法

ステップ 1:現象が生じる仕組みを認識する

何かが生じるとき、必ず「二つ以上の異なるものの関係」が存在している。

例えば:
「これは良い」と「これは悪い」
「これは正しい」と「これは間違っている」
「やりたい」と「やりたくない」

こうした対立が生じることで、現象は固定され、持続する。

ステップ 2:対立を解除する

ある考えが固定されるのは、それが別の考えとぶつかっているからである。

「何かを認めると、別の何かが否定される」という仕組みを解くことで、固定されたものは消える。

方法 1:どちらもそのまま受け入れる

例:「やりたい」と「やりたくない」をどちらも否定せず、ただあるものとして認識する。
これにより、ぶつかり合いが消え、固定が解除される。

方法 2:そもそもどのようにして対立が生じたかを理解する

すべての対立は、後から生じたものにすぎない。
それを認識すると、固定されたものが選択肢でしかなかったことがわかる。

ステップ 3:すべての対立を超える

すべての現象は、何かと何かの関係から生じている。
それが関係として固定されなければ、現象は成り立たない。
すべての関係が「後から生じたもの」だと理解すると、それを必要に応じて外すことができる。


悟りの最短経路は、「対立を認識し、それを解除すること」にある。
これを超える方法は存在しない。なぜなら、すべての現象は対立によって生じており、それを解除することが根源的な状態に至る唯一の道だからである。
したがって、「対立の解除」が、最も速く、最も直接的な悟りの道である。

どんな修行方法も、最終的には「意図の固定を外す」ことに帰着する。
ならば、直接「意図をぶつけるのをやめる」ことが最短である。

老子の無為は、意図の衝突を最もシンプルに解く方法である。

「何かをしない」のではなく、「意図がぶつからないようにする」ことで、意図が流動し、『有』が固定化しなくなる。

このシンプルな方法こそが、悟りに至る最短の道であり、最も簡単な方法である。

しかし、この簡単さゆえに、多くの人は遠回りしてしまってるかもしれない。

「なんだよ、こんな簡単なことだったのか!」と爆笑し、その瞬間、無為に至る人が続出することも否定できない。

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