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d4c9c2be anonymous 2023-02-09 19:35
>>cf18ee58

wikipediaは、メタ的に批評できる程度の知識を学んだ者が、ダメ出しのドリルとして使うのが良い。門外漢の分野をwikipediaで調べて引用したりすれば火傷することになる。
51273c84 anonymous 2023-02-11 02:34
法学及び法哲学はエシックスとも深く関わる主題である。理性に基づく法学の体系化は、ブックワンにおけるダイアネティックス(後のサイエントロジー)の主要な目標リストの一つでもあった。

サイエントロジーにおいては、エシックスの定義(「ダイナミクス及び生存の最適解」/「最大多数者の生存の追求」)より、エシックスとダイナミックが関連付けられている。力なくしてエシックスは機能しないが、力のみで理性が存在しなければ、またエシックスは機能し得ない。

法学を経済学に対比して、形而上学(非科学)的な上部構造と看做して、その重要性を軽視したカール・マルクスは、後世の歴史に多大なる禍根を残した。マルクスは、自分自身が、アービトラリーに基づく、非科学的なイデオロギーと非科学的な経済学を構築したことを最期まで認識することができなかった。
0c28f9a2 anonymous 2023-02-11 02:46
>>51273c84

この集合宇宙のゲームと様相とは、生命のセータとMESTの戦いであり競争である。生命とMESTは、その起因においては、生命が主でありMESTが従である。MESTは本来、生命の奴隷である。しかし、生命は、いつしか自身がMESTの奴隷であるかのような見せ掛けを信じるようになってしまった。その信仰(アービトラリー)の思想的表現が唯物論である。

生命及びアートマン(セイタン)は、そのゲームにおいて、コスモス(宇宙・自然)及びMESTの支配・征服・統制を志向している。言い換えるなら、生命の活動とは、MESTの無秩序(≒混沌)にセータの秩序(≒蘇生)をもたらすことである。なぜなら、MESTの征服こそが生命の自由だからである。生命における最も強力かつ根本的な生存のダイナミックとは、自由へと向かう衝動である。これが、生命にプログラムされた、生命の根本的な行動原理であり行動目的である。

自然界や自然法則の支配・征服・統制と言うと、エコロジーの志向とは反するのではないかと思われるかもしれない。思想的な系譜としてはその通りである。しかし、これはダイナミクスの最適解というエシックスの主題と汎決定という概念を用いることで、生命・アートマン・セイタンの自由とエコロジーの追求は両立可能なゴールとなり得る。

唯物論は、生命・アートマン・セイタンは自然界及び自然法則を越えることはないこと、つまり、私たちはコスモス・自然界の奴隷であることを、繰り返し私たちに教えるものだ。物質は、決して物質を越えることはできない。「物質が思考している」と説く唯物論の下では、私たちの思考でさえ物質(すなわち肉体の脳)の産物であるのであり、思考さえも物質の偶発的産物なのであるから、私たちの主体たる意識は幻想であり、自由意思も選択の自由もないという帰結に至る。唯物論の世界では、私たちは、ただMESTの気まぐれな運命に翻弄されるだけの無力な存在である。

しかし、それは誤りである。サイエントロジーに限らず、ゴータマ・シッダールタに極まるインドの哲学及びヨーガの精神的実践、そして老子や仙道の実践者たちは繰り返し、そのことを教えてきたのだ。

私たちはコスモスの協力者として生まれたのではない。私たちは、自然の競争相手(ライバルであり敵)として生まれたのである。私たちは奴隷たるコスモスの主人である。しかし、無明によって自らを縛りつけているのである。生命の唯一の目的は、主体である自分自身客体であるコスモスの主とならせることである。主体を強くすることである。それによって、有限なるコスモスはあなたを支配することをやめるであろう。すなわち、自然法則という効力(MESTの合意)が無効化されるであろう。

「それぞれのアートマンのゴールとは、完全なる自由、コスモス(自然)の支配すなわち物質と想念への奴隷状態からの開放である。外なる自然と内なる自然の完全な支配と統制である。」(ゴータマ・シッダールタの滅後に書かれたインド聖典)
995de46a anonymous 2023-02-11 04:55
>>0c28f9a2

「それぞれのアートマンのゴールとは、完全なる自由、コスモス(自然)の支配すなわち物質と想念への奴隷状態からの開放である。外なる自然と内なる自然の完全な支配と統制である。」

※物質≒MEST、想念≒コンシダレーション
cfbc8974 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 21:37
[Old Timer 随想2023.01.19II]  以前の 戴安寧で処理済みの出来事からも、拡張戴安寧はさらなるチャージを取り出し、消去できることがある。 しかし、これが自由領域の主流になることはないだろう。 ケースをあまりに深く掘るプロセスはさらなるチャージを再刺激する。
f512de8f Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 21:44
1952年1月 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号 ... 自由領域の拡張戴安寧に近いやり方で幅度が戴安寧の聴聞をこなしている。 標準戴安寧や新時代戴安寧にはない技法が使われている。 これらを使えば、クリアー以上のケースレベルでも戴安寧は実行可能になる。 俺は一応この生涯で独自に戴安寧を準OTに対して実行できる工夫を一つ発見したと思ってきたが、一つ前の生涯で戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号を読んだことがあったのかもしれない。もしも以前に俺が準OT用戴安寧を開発したと宣言していたとしたら、ここでそれを取り消すことにする。
82a548a9 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 21:52
>>7adc32b2

マルクス曰く、 "交換価値は、さしあたり、ある一つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち比率として現われる。"

マルクスは市場を否定していない。交換価値の根拠は市場での交換なのだ。
346f3621 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 22:08
マルクスは生産について、 "自由に社会化された人間の産物として彼らの意識的計画的管理のもとにおかれる" と述べているが、これも市場を否定していない。生産と消費の両方を計画かつ支配しない限り、、市場で製品・サービスは通貨や別の製品・サービスと交換される。

計画的に生産するのは、株式会社でも同じだ。トヨタはカンバン方式などで綿密な計画生産を実現してきた。

マルクスの理想はゲゼルシャフトでの計画生産だ。ゲゼルシャフトは会社から国家まで、さまざまな形態と規模を取りえる。

アメリカも中国も、例えば、半導体の生産を計画的に進めている。 → https://www.meti.go.jp/press/2021/06/20210604008/20210603008-4.pdf
9d3ed598 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 23:56
戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号での幅度とPCのやり取りを読むと、幅度の質問や指示をPCが理解できず、幅度が言い回しを変えている箇所がいくつもある。 英語の表現力が菜園の実践で不十分になる場合や、英語の経年変化もある。

ギリシャ語の "πίστη" はもともと '信じられるに値すること' を意味していたが、"faith" や "信仰" などと訳されて、本来の意味が伝わらなくなっていることが多い。 "faith" の代わりに "trustworthiness" としている翻訳も読んだことがあるが、まだ広くは使われていない。

菜園も英語の経年変化で意味が正しく伝わらなくなる危険性がある。

そこで、最小の橋については、経年変化が小さいエスペラント語を基にした言語を作り、その言語で技術を記述し、後世の人々がその時代の言語に翻訳して使うことができるようにする方針を採ることにした。
dea21cad Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-12 00:07
また、自由領域を含めた菜園とは別に、エスペラント語サブセットやロジバンなど人工言語を用いる宗派・学派を設立することにした。名称は "Resciologio" (再知学) である。かつて完全なOTだったころ、俺たちは何でも知っていた。 聴聞はかつて知っていたことを再び知るために行うものなのだ。
ba13d782 anonymous 2023-02-12 00:35
>>82a548a9

それは、(マルクスの云う)価値法則と価値規定の混同だ。マルクスは、社会主義の段階においても“価値規定”は残ると述べた。しかし、社会主義の段階においては、資本主義の下の商品交換に基づく“価値法則”はもはや残らない。価値法則が成立するのは、資本主義市場経済の段階までである。社会主義における価値規定とは、個人の労働量に基づく分配であり、その分配の差異は労働に基づく個人の権利として残るのである。これは共産主義の段階においては、社会の生産力が飛躍するので、価値規定さえも不要となる。

また、それは、資本主義を前提としたマルクスなりの一断面の分析である。マルクスが想定した資本主義経済においては、まず産業資本においてブルジョアジーの剰余価値≒搾取が存在し(主に工業向けの産業資本)、次に市場を通じたブラックボックスによる商品価格の決定が行われる過程で剰余価値≒搾取が発生する(この段階で、本来の価値法則は覆い隠されている)。こちらは、主に商業向けの産業資本だ。さらに、『資本論』第三部で扱われる金融資本の剰余価値≒搾取(利息や株主配当などのインカムゲイン)も想定される。

ゆえに、マルクスは社会主義社会(社会主義国家)の段階においては、アソシエーションに基づく社会的計画経済(社会的計画生産と社会的計画分配)を構想しており、資本≒企業を通じた賃労働、市場のブラックボックスを通じた商品価格の決定、通貨(信用貨幣)を通じた流通の全てが廃止されることになる。その一つの試みが「労働証書」を通じた消費手段(消費財)の分配である。

ちなみに、レーニンの『帝国主義論』においては、国家独占資本主義を現代世界の主な支配階級と看做しているので、グローバルな産業資本、国際金融資本、国家の支配階級がブルジョアジーの正体であり、国家の支配階級による通貨発行権や徴税権を通じた搾取も分析対象となる。
835f6b1a anonymous 2023-02-12 01:11
>>dea21cad

以前に、オールド・タイマー氏自身が言語の基礎は発音(つまり音声)だと教えているのだが、なぜ音声と紐付かない人工言語をベースとするのか?ここの主題は、オールド・タイマー氏は非常に詳しいと思われるが、一応、参考のために述べておく。

言語概念は、音声回路に基づいてマインド及び脳のワーキングメモリに分類されかつ保管される。音声の類型が形式的な論理形式に紐付き、さらに表層の形式的な論理形式に深層の意味及び概念と紐付くことによって、コミュニケーションを通じた理解(ARC)が成立する。

人工言語がその普及に失敗するのは、音声類型ではなく論理形式から出発しているからである。言語学における生成文法と認知文法は、表層の論理形式と深層の意味及び概念の相互依存的な関係である。認知と音声認識は切り離せない。ゆえに、究極の認知文法は生成文法を包含するメタ文法であるが、生成文法(のアプローチ)は認知文法を包含することができない。

※ノーム・チョムスキーは、生成文法を通じて普遍的な言語形式を見出そうとしたが、主に欧米の屈折語の諸言語と孤立語化した屈折語である英語を対象としており、膠着語を包含した言語形式への知見が不十分だったために普遍化に失敗し、リベラル派の社会学に逃げてしまった。
12b166f0 anonymous 2023-02-12 01:43
>>346f3621

資本主義経済が“社会的な”生産であることは当たり前だ。マルクスは社会的な生産と資本の私的所有の矛盾が、資本主義における止揚されるべき主要な矛盾であると述べた。

フォード流のベルトコンベアー方式でも、トヨタ流のカンバン方式でも、(ボルボ流の)セル生産方式でも何でも良いが、それらはミクロにおける生産様式の差異であり、資本主義経済システムというマクロの生産様式自体が覆されることにはならない。

マルクスの想定した社会主義社会(社会主義国家)は、資本主義市場経済流の市場や通貨(信用貨幣)を通じた分配を前提としていない。

マルクス・レーニン主義者として、「社会主義においても市場が必要だ」と、最初に述べたのはスターリンだ。以後、日本共産党はスターリンを批判しながら、スターリンの説いた基本原則をそのまま採用することになる。

ティトーのユーゴスラビアの自主管理社会主義でも、資本≒企業の概念を解体し、アソシエーションに基づく連合労働に変革することまではできたが、市場経済と通貨(信用貨幣)を廃止することは遂にできなかった。ゆえに、スターリンは一国社会主義路線(世界革命路線の放棄)も含めて、リアリストとしては(ある意味で)正しかったが、マルクス主義者としては基本教義から逸脱していた。

ちなみに、旧ユーゴスラビアの自主管理社会主義は、産業形態においては、オールド・タイマー氏の述べるゲゼルシャフトそのものである。自主管理社会主義は、市場と通貨(信用貨幣)こそ残存したが、資本≒企業を廃した連合労働(アソシエーション)の概念に基づくプロジェクトごとのフレキシブルな“社会的生産”を行っていた。

民主的な生産様式である自主管理社会主義がうまくいかないのは当たり前である。なぜなら、「(私的)所有」という概念がない限り、人間は生産手段も道具も生産物も大事に扱わないし、それらは適切に管理されないからである。これは、マルクスのイデオロギーそのもの欠陥でもあるし、社会主義及び共産主義の欠陥でもある。
bcd856c8 anonymous 2023-02-12 09:14
>>ba13d782

マルクスの想定では、資本主義市場経済という生産様式が、生産力の発展を阻害するというものであったのだが、歴史に照らして、実際には生産力の発展では資本主義市場経済こそが最も合理性があったことになる。

また、マルクスの構想した社会主義の要件である、①共同決定による労働及び産業の民主化(これは、皮肉にも、社会主義国の東ドイツではなく資本主義国の西ドイツで採用された)と②社会的計画生産に基づく全体最適の実現(合成の誤謬の発生の排除)の要件は、③生産力の飛躍というマルクスの構想したもう一つの社会主義の要件と両立し得なかった。
a35575f3 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-13 14:36
[Old Timer 随想2023.01.19III] ターミナルとオプタームをグレードで処理する場合、フローは9個になる。 しかし、フロー3がフロー8までに増えるだけなので、一般グレードのフローを増やす必要はない。 また、GPMのターミナルペアを処理する際に、フロー3からフロー8までにリードがあることは少ない。
48cee557 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-13 14:42
>>019de25a

論点がずれている。ここでは法の支配の構成要素としてコモン・ローの話をしているのではないよ。法の支配が法治主義にサヤ寄せしてくという話で、イギリスでは両者が同一視されているのだよ。そなたはもう少し主張を整理整頓するといい。
de9927e8 anonymous 2023-02-13 15:09
>>48cee557

全くズレてなどいない。英米法学の素養のない状態で、貴方がwikipediaを参照し(もちろんこれはオールド・タイマー氏の文章からの推定に過ぎないものだが)、杜撰に引用しているから指摘したまでである。法の支配と法治主義の“実態”の違いもわからずに、こんな無意味な反論をするとは、サイエントロジストの恥晒しでしかないのだよ。

wikipediaを読んだ程度で、膨大な英米法学を俯瞰したかのような軽薄なコメントを控えられよ。貴方こそ、門外漢の分野(特に法学や経済学)に軽薄なコメントを書かれるのを慎むべきだ。西村博之氏のように、生半可な知識で詭弁を弄してマウントを取ることが、オールド・タイマー氏の趣味であるなら仕方ないが。

貴方は、感情に任せて反論する前に冷静になったほうが良いだろう。“薄く広い”教養を披露する前に、自らがコメントする分野に関する“深く狭い”研鑽を積むべきだ。

もちろん、これは、オールド・タイマー氏のサイエントロジーに関する知識の豊富さ(教養)を否定するものでは全くない。
5ecccf73 anonymous 2023-02-13 15:37
>>de9927e8

法の支配は、オールド・タイマー氏が私への反論のネタ探しで、wikipediaを参照したくらいで語れるほど浅い主題ではない。

法の支配が法治主義にサヤ寄せしていくなどと、オールド・タイマー氏は杜撰な引用で軽薄に述べているが、それは日本国憲法が大日本帝国憲法にサヤ寄せしていく(べきだ)と述べているに等しい。大日本帝国憲法は、典型的な大陸法の法治主義に基づいている。大日本帝国憲法が失敗したのは、英米法流の法の支配が希薄だったからである。時代は、逆に、(法秩序の実態として)法治主義から法の支配へと向かっているのだ。なお、法の支配を放棄して反動的に法治主義へと向かうロシアやハンガリーは、例外的な事象と捉えるべきである。

法の支配はコモン・ロー“だけ”では成立しない。ゆえに、法の支配と自由主義(個人の消極的自由の担保、権力分立、違憲立法審査権による司法権の優位)との関係について述べたのだ。コモン・ローを含むノモスを警察権・軍事権・立法権を有する為政者自身が裁定する(大陸法の流儀)か、司法が裁定する(英米法の流儀)かは決定的な違いだ。前者を肯定すれば、ジャコバン主義・ボナパルティズム・ファシズム・ナチズムの亜流の出現を抑制することはできない。オールド・タイマー氏の論は、一部の法解釈の変容と実態としての法の支配の変容を混同させている。
2ebb4f8a anonymous 2023-02-14 06:47
人類(ホモ・サピエンス)は、短期のサイクルにおいては、家庭であれ、学業であれ、仕事であれ、同じサイクルを繰り返す。しかし、長期のサイクルにおいては大きく変容する。例えば、一個人の肉体が、出生時点と臨終を迎える地点とを比較してみれば一目瞭然だろう。

では、この長期の変化は何によって生じるのか?マルクスやエンゲルスの言うように(いわゆる史的唯物論の観点)、人類(ホモ・サピエンス)の生産活動あるいは生産労働が変化の主体であるならば、この変化は説明できない。なぜならば、人類(ホモ・サピエンス)は、肉体の一生のスパンでは、生産労働あるいは生産労働において従属的な受け身の立場にあるからだ。ゆえに、短期では同じサイクルを繰り返す。

社会の変化の主因は、輪廻転生のサイクルを含めてマインドを通じたものだ。マインドは、当然反応バンクも含む。つまり、個々人(ビーイング)のマインドどうしの相互作用及び集合バンクの相互作用だ。社会(あるいは時代)の変化の主因は、目に見える物質的要因より、目に見えない精神的要因のほうが遥かに大きいのである。LRHが述べたように、物質ではなく各ビーイングの(マインドを通じた)思考≒コンシダレーションこそが、社会を変化させる主体である。

もっとも、ゴータマ・シッダールタやヴェーダーンタの伝統のように、マインドを精妙な“物質”であり、またマインドを通じた霊的作用を精妙な物質的作用として定義するなら、この立場も唯物論の範疇となるだろうが、このような肉体等の粗大な物質を含むMESTあるいはコスモス(宇宙・自然)を、アートマン及びセイタンのコンシダレーション(※コンシダレーションはアートマン及びセイタンの「合意」を含む)に従属させるような唯物論的解釈と物質の定義は、エンゲルスが観念論と言って安易(早計)に切り捨てたヘーゲルを再評価したレーニンですら到達できなかった視点である。
8b0a51c8 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-14 22:42
どこかで、 "継続時間ゼロの出来事を扱う技術は菜園教会にもある。 これを戴安寧に組み込んだものが自由領域の拡張戴安寧の基本だ" という旨の発言をしたことがあるかもしれない。ここで取り消す。

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