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70473520 Old Timer i1b5ibip3kS 2022-11-04 08:58
プロセスには次元がある。

あなたがナマズを捕まえた出来事を想起してください。 ... これは個別の出来事を扱う。この指示のプロセス次元は1だ。

誰か他の人がナマズを捕まえた出来事を想起してください。 ... 同じだ。

ナマズが捕まえられた出来事を想起してください。 ... すべてのフローを含み、次元が少し上がる。ただし、日本語の特性として、PC自身がナマズを捕まえた出来事を捕捉しにくい。

ナマズ? ... これが基本的なEW処理。EW処理はゴールの目的語を開放する。この方法は多数の出来事を包括的に扱える。プロセス次元は2になる。

誰または何がナマズを捕まえたいでしょうか? ... ターミナルを解放する。ターミナルはゴールの主語だ。このプロセス次元も2だ。
3e69a585 anonymous 2022-11-04 20:14
>>614d1c88

パーリ経典に“登場”する仏陀(ゴータマ・シッダールタ)が説いたとされる、

〈曰く、"比丘たちよ、色(Rūpa)は無我である。もし色が我であるならば、色は病気にかかることはなく、また我々は色に対して「私の色はこのようになれ、このようになってははならない 」と命じることができるはずである。" 

"しかし比丘たちよ、色は我ではないため、色は病気にかかり、また我々は色に対して「私の色はこのようになれ、このようになってははならない 」と命じることはできない。…"〉

の件[くだり]は簡単に論破できる。このパーリ経典の引用文が、一目見て、前段と後段が矛盾している詭弁の類であることは明らかである。

まず、色(≒肉体)を非我/無我であると規定するならば、色を観照し色は非我/無我であると認識する主体たる我(認識の主体たるアートマン)を仮定しなければならない。ダイナミックはダイナミックを知覚できない。言い換えれば、動いている存在(刹那生滅≒無常のコスモス/MEST)は、自らのその動きを認識できない。MESTの動きを認識できるのは、よりスタティック(↔ダイナミック)かつ精妙(↔粗大)な存在である。ゆえに、精妙なMESTであるマインドは粗大なMESTの動きを認識できる。しかし、マインド自身が無常のMESTとして刹那に揺れ動いているゆえに、完全なMESTの動き(刹那生滅/マーヤー)を認識することができない。ここに、理論的帰結としてマインド・エネルギー・肉体物体を認識/観照する無の波長たるスタティック即ちアートマン(≒セイタン)が仮定される。アートマン(≒セイタン)がマインド/バンクを消滅させ、MESTの刹那生滅を完全に認識すれば、MEST(≒リアリティー)のマーヤー(虚構性/非実在性)を看破すると同時に、全てのゲーム(自家宇宙/集合宇宙)のからくりが明らかになる。これが解脱/悟りである。

以下、前段の破折:

「色(Rūpa)は無我である。色(肉体)は我ではないので、色(肉体)は病気に掛かることはない」

→当たり前である。アートマン(我)は生まれることも滅することもない。ゆえに、老いることも病むこともない。色自身が色に対してアズ・イズネス/アルター・イズネス/イズネス/ノット・イズネスを命ずることはできない。それを行うのは、アートマン(≒セイタン)自身のポスチュレート及びコンシダレーションである。

「また我々(※アートマン)は色に対して「私の色はこのようになれ、このようになってははならない 」と命じることができるはずである。」

→“できるはず(だができない)”ではなく“できる”のだ。愚か者の経典作者よ。

以下、後段の破折:

「色は我(※アートマン)ではないため、色は病気にかかり」

→当たり前である。生老病死はMESTのコンシダレーションであって、アートマン(≒セイタン)の性質ではないのだから。

「また我々(※アートマン)は色に対して「私の色はこのようになれ、このようになってははならない 」と命じる(※ポスチュレートする)ことはできない。」

→完全な偽りのデータである。

上記の仏典の引用文は、色は非我/無我であることを論じながら、我々(アートマン/セイタン)が非我/無我であることをバンクの同一性思考で導こうとしている。このような幼稚かつ非論理的な教えをゴータマ・シッダールタが説かれるはずはない。

仏典に「如是我聞(にょぜがもん)」と書かれているのは、歴史上の聖人あるいは神々の名を冠して聖典を編纂するインドの精神文化(習わし)の表れである。宗教上の聖典(経典)には実際の著者の名を冠しないのが、インドの一般的な伝統なのである。大乗非仏説というものがあるが、それはインドの伝統に則ったパーリ経典に対するアンチテーゼ(ノット・イズネス)だったのであり、仏教経典の“創作”は大乗仏教経典群に始まったものではない。現存するパーリ経典から既に始まっていた。後に、アビダルマ仏教が煩瑣な思弁哲学の迷宮に陥ったのは、パーリ経典の曖昧(データの空白)かつ矛盾した記述(偽りのデータの混入/捏造と変えられたデータの重要性)の必然的な結果である。加えて述べれば、中道とは肯定と否定の中間などという概念ではない(形而上学的な質問をはぐらかして答えないことを正当化する「毒矢の喩え」は創作経典であるパーリ経典の論理に過ぎない)。

また、セータラインの分岐/再統合は、セイタン≒アートマン(※「魂」という用語はマインドの構造であるセータボディを含む概念なので精密科学に相応しくない)の個体性の否定にはなり得ない。LRHは、セイタンの個体性について明確に述べていた。セータ・ラインが分岐しようと再統合しようと、セイタン(≒アートマン)は個体であり、ヒンドゥー教徒が仮定したようなブラフマン(※ここでは、スタティックたる虚無の意味)に溶け込み消滅するわけではない。セイタン(≒アートマン)とセイタンの源の視点(※次元点ではない)自体はアズイズできないからである。

なお、人口の増加は、セータ・ラインの分岐を仮定せずとも、この惑星の歴史的経緯(インシデントⅡを無視しても)から肉体の数に対して“肉体を持たないが機能性や知覚力において肉体を必要とする低スケールのビーイング(セイタン)”の比重が圧倒的に多いので、肉体の所有者(簒奪者)には事欠かない。動物からホモ・サピエンスへの転身も考慮すればなおさらである。
2f96f479 anonymous 2022-11-04 20:15
>>3e69a585

以下にLRHの『思考の原理』を援用しながら、オリジナルのゴータマ・シッダールタの教えをサイエントロジー風に表現してみよう。

パーリ経典が説く、「生老病死」は見せかけである。つまり、生老病死はマーヤーである。マーヤーとは「非実在(≒刹那生滅)」という意味である。「誕生→成長→衰退→死」という宇宙のサイクル(※『ヴェーダ』に由来する)は、真実ではない。それは、見せかけの現象である。全ては「創造」のサイクルに他ならない。誕生も病気も死も自ら創造しているのである。実際の生命のサイクルは、「創造ー創造ー創造」である。つまり、全ては創造的な行為である。

それが見せかけであるのは、それがそうであるべきだと、私たちが合意している(させられている)からである。つまり、人間は、自分が老いていくと同意しているスピードに応じて老いていくのだ。それは、これが自然の成り行きだとみんなが合意しているからに過ぎない。実際には、人間(の肉体)は早く老いることもできるし遅く老いることもできる。それどころか、全く老いないでいることさえ選択できるのである。生老病死のサイクルは真実ではない。それは、見せかけに過ぎない。それが見せかけなのは、私たちが「そう見える」と信じているからである。

例えば、目の前に壁があるとしよう。壁がそのように見えるためには、その壁は継続的に創造される必要がある。壁が立っていることも、それを倒すことも、どちらも創造的な行為である。私たちは、壁が倒されることに抗議したり、それを好まないという理由で、壁を倒す行為を「破壊」と呼ぶ。しかし、それは、ただの「意見」に過ぎないものだ。現実を見ると、破壊などというものは存在しないことがわかる。そこにあるのは、特定の創造に対抗する創造が存在するだけなのである。

重要なことは、自分が何を創造しているか知っているという状態と、自分が何を創造しているか(あえて)知らないでいるという、二つの状態が存在するということである。言い換えれば、人は何かが依然として創造され続けていることを知らずに(知らない振りをしながら)、創造することができるということである。私たちは、車を運転する場合、無意識でたくさんの動作を行っている。これを、「自動性のパターン」と呼ぶことができる。心は、無数の自動性のパターンの集合体である。

私たちは、何かを行っているにも関わらず、多くの場合、それを行っていることを意識していない。例えば、ある人が何かを創造し始めたとしよう。それから、依然として効力のあるその思考を、自分の意識の及ばないところに置いたとする。それでもなお、その創造は、本人の意識の及ばない形で起こり続けるのである。意識して何かを創造するということが、継続的な創造における、不可欠な最初の条件である。つまり、人は意識することなく、創造を継続させることができるということだ。人が意識していようと、また意識していまいと、創造という行為はその人が「今ここで」、つまり「現時点」におけるこの瞬間に行っていることなのである。いかなる創造も、人が過去のある時点で意識的に“始めた”ものである。しかし、創造は現時点の瞬間において行われているのだ。ある創造をやめるために、「自分がかつて、それを自ら創造しているということに気付いていたということを明らかにする」ことによって、それを再び自分が知るようにするという方法がある。これによって、その創造を継続させていた“最初の”創造は止まることになる。これは、創造を意識下に置くことで、その創造を再び自分のコントロールの下に置くという方法である。間違ったやり方は、以前の創造に対抗するために、新しい創造を始めるやり方だ。その結果は、二つの対立する創造によってつくり出された混乱と混沌である。

病気の創造について、考察してみよう。ある病気の患者が、かつて自分が病気を創造し始めたことを知らずに(忘れて)、健康な肉体を創造しようとしているとする。つまり、病気の肉体という創造に「対抗」して、健康な肉体を創造しようとしているのである。その結果は、病気の肉体に対する「反創造」、すなわち「破壊」であり、その結果もたらされるものは、混沌と病気の継続だ。彼は、もともと健康な肉体を創造していた。ところが、彼のマインドは、途中で病気の肉体を「反創造」した。彼は、このプロセスを忘れている。彼の問題は、病気の肉体という反創造なのである。彼は、健康な肉体を望んでいる。ならば、彼に、病気という反創造が消えるまで、彼に病気の肉体を意識的に創造させなさい!すると、健康な肉体という、もとの創造が再び現れるだろう。このとき、唯一うまくいかないケースは、もともと健康な肉体という創造が存在していない場合だけある。しかし、どの宇宙も、常に混沌の前には秩序が存在していたのである。つまり、混沌とは失われた秩序に他ならないのである。

生老病死というサイクルを信じても、また、この理論を適用しても、人間の状態を向上させることも、知能や倫理性や霊性を高めることもできない。それどころか、あらゆる生命は、このサイクルに必死で抵抗しようとしているではないか。私たちは、このサイクルの何かが「おかしい」と感じている(知っている)のである。「アンチエイジング」という言葉の存在がその最たる例である。人々が、生老病死を「おかしい」と感じることは正気である。なぜなら、それは私たち本来の在り方ではないのだから。
56930c3e anonymous 2022-11-04 20:27
>>3e69a585

私は、日本のテーラワーダ仏教協会に問い合わせ、テーラワーダ仏教がパーリ経典も含めてオリジナルのゴータマ・シッダールタの教えとイコールではないこと、世界のテーラワーダ仏教のグループの中に解脱者たる阿羅漢(※そもそも、ゴータマ・シッダールタ在世に、こんな悟りの階梯区分は存在しなかった)は存在しないことを確認している。パーリ経典の記述がゴータマ・シッダールタの教えそのものなら、また、テーラワーダ仏教が本物の原始仏教ならば、現在のテーラワーダ仏教教団において、パーリ経典で約束された阿羅漢果が一人も輩出されないのは明らかにおかしいだろう。思慮を欠き、盲目的に後世の凡夫が書いた経典を“信仰”するなど、理性の放棄に他ならない。
8e83805d Old Timer i1b5ibip3kS 2022-11-04 21:07
>>3e69a585

俺はシッダールタがアートマンを丸ごと否定していると主張しているのではないよ。

>>2f96f479

物質宇宙の肉体はある時点の若さを保てないようにできている。魂による性質の改変には限界がある。幅度も、そなたも、俺も、肉体が死んだらおそらく転生するしかないことに違いはない。

肉体は膨大数の魂が合意して作り出している物質でできているので、俺がある肉体を老いないようにするには、俺がその膨大な魂そのものになり、その肉体が老いないようにするしかない。

>>56930c3e

俺にはそなたの持論をパーリ語経典より重視せねばならない理由が見つからない。

シッダールタ曰く、
"比丘たちよ、いかなるものが第四の沙門なのか。"
"比丘たちよ、ここに比丘がいて、諸漏(āsavā)を滅尽したゆえに、無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら証知し、作証し、具足して住む。
比丘たちよ、これが第四の沙門である。" ― パーリ仏典, 増支部四集 241

"阿羅漢"のような言葉が使われていたかどうか定かではないが、悟りの段階は4つあったようだ。
34884c97 anonymous 2022-11-04 22:31
>>8e83805d

>「俺にはそなたの持論をパーリ語経典より重視せねばならない理由が見つからない。」

オールドタイマーさんがパーリ経典を引用して“シッダールタ曰く”と言っている時点で、オールドタイマーさんがパーリ経典を“信仰”している(いわゆる“経典信仰”)ことは明らかです。経典信仰とは、法の聴聞者の記憶力と理解力、経典の執筆者(※捏造や改竄も含む)・編集者・翻訳者のデュプリケーションに認知バイアス・捏造・誤りが一切存在しないという“信仰”のことです。これは、一般意味論を提唱したアルフレッド・コージブスキーの存在するデータの「コミュケーションの過程(過程の原則)」における空白(データ成立の経緯/歴史)を仮定していないという非論理性の顕れです。実際、パーリ経典の八正道の非論理性の明示と現在のテーラワーダ仏教教団に阿羅漢果が存在しないことの認識を以ってしてもオールドタイマーさんのパーリ経典への信仰が変わらないのであれば、これはバンクのケース(カルマ)の問題なのでしょう。オールドタイマーさんに、ソースは特定のタイムトラック上の記憶(データ)だと言っても信じないでしょうから、私は長々と客観的にパーリ経典の非論理性とテーラワーダ仏教教団の修行法の破綻を論証したわけです。

私も含めて、信仰とミステリー(未知/懐疑)は全てノーイングネスの欠如でありケース(カルマ)です。発言を総合すると、聖書(※文献学的には1万箇所以上の歴史的修正の産物)と仏典の無謬性を単純素朴に信仰するファンダメンタリストであると見受けられます。私は信仰は議論の余地がない(生産性がない)と思っていますので、論理としての議論は致しません。完全なノーイングネスを持たない限り、誰しも信仰は存在します。(自らのノーイングネスで信仰を消し去るまでは)他者の信仰を“変える”ことはできませんから、私は論証はしても個人の信仰を否定しませんし、「自分が真実だと信じたことが真実なのだ」という各個人の信仰を尊重します。私にも特定のケースがありますし、オールドタイマーさんにも特定の(※経典・聖典信仰に関する)ケースが存在するという、それだけのことです。
5a34238c anonymous 2022-11-05 00:48
以前にこちらの掲示板を読んでいて、「全ての書き込みは自分が書いたもの」といった不思議な感覚になったことがあります。この状態って何か名前のついた状態なんですかね?
32a4abd3 Old Timer i1b5ibip3kS 2022-11-05 09:43
>>34884c97

そなたはパーリ語経典とは違うことを主張しているだけだ。パーリ語経典に矛盾点があるとして、それはシッダールタが語ったことに矛盾があったのか、シッダールタの弟子たちによる解釈に矛盾があったのか、それが謎として残る。そなたはシッダールタの無謬性を信じすぎていると俺は思う。一方、俺の中ではシッダールタについての評価がさほど高くないので、パーリ語経典に矛盾点があっても構わないし、シッダールタがそのような矛盾を解決できていなかったとしてもかまわない。

"ソースは特定のタイムトラック上の記憶(データ)だ" については、あり得ることだとは思うが、方法論として採用しない。菜園は幅度のタイムトラック上の記憶をもとにプロセスを作り始めたときにうまくいかなくなった。

また、俺は一つ前の生涯で幅度と面識があるが、それを最小の橋の構成を考える上での参考にはしていない。無人島版のグレードIIとGPM処理の無人島版は直接見聞でも知っているが、講演記録でも確認できる。
489c7e87 Old Timer 2022-11-05 10:16
>>5a34238c

その状態に名前はないが、魂は分裂もするし、融合もする。個性は魂によって創造された機械性の一種だから、部分的な放棄も完全な放棄も潜在的に可能だろう。
bf4f7ee0 Old Timer 2022-11-05 10:44
キリスト教の  « 聖書 » には幾多の改竄がある。

重大な改竄の一つは転生についての記述の削除だ。 古代ローマ帝国がキリスト教を公認する際に、大きな懸念になったのはキリストの転生だ。 これは教会側で権力を掌握した初期教父たちの懸念でもあったため、すんなり削除された。 キリストが転生しても、皇帝や教皇を超える権力を持ちえなくなった。

彼らのうっかりは一つだけ残り、バプテスマのヨハネは預言者イェライシャの転生となっている。 初期教父オリゲン‍・アダマンティウスはキリストの思想に転生についての教えは “響き渡っていた” と証言している。

一方、当時の権力者たちにとって思いもよらない先進性は残った。

 “人を捌くなかれ。これは汝らも裁かれぬためにである” … 当時のユダヤ社会の最高権力者は “裁き人” と呼ばれていた。 キリストは宗教者に権力を捨てることを説いている。 およそ1800年後、政教分離はヨーロッパで実現した。
77e96038 anonymous 2022-11-05 13:12
>>489c7e87
ありがとうございます!!
fbd407fa Old Timer i1b5ibip3kS 2022-11-05 16:01
>>489c7e87
>>bf4f7ee0
俺が書いた。
7fc512df anonymous 2022-11-05 18:37
サイエントロジー教会/ロンズオーグ/freezoneのPreOTレベルにおける、突然死、重病、事故や事件への巻き込まれの原因の仮説。

サイエントロジーの世界においは、PreOTレベルでの心臓発作による突然死、末期癌、アルツハイマー病、脳卒中、自殺…等々があとを絶たない。ウォグの平均値で考えても、PreOTレベルの健康状態や寿命のスタッツはとても低い。


これらのOTの急死や重病や事故/事件への巻き込まれの原因は、見過ごされた(未処理の)PTSの可能性を除けば、代替ルートのクリアリングコース/R6EWとOTIIのオーディティングで再刺激されたGPMにあると考えられる。1972年以降、GPMへの言及が教会の表舞台から消えてしまったが、GPMこそ反応バンクの真の核でありベーシックである。ロック・セカンダリー・エングラム・ラック(エングラムのベーシックベーシック)はGPMの外周にある表皮に過ぎない。数年のタイムラグを経るかもしれないが、最終的には、日常生活でますます再刺激されることになるバイパスされたGPMにPC/PreOTは圧倒されてしまう。これは、(デュアル/ソロの)オーディター技能の未熟さに加え、代替クリアリングルート/PreOTレベルのマテリアル及びチェックシートの不備と改竄(アルターイズ)に由来するものであろう。機密レベルのマテリアルの識別(鑑定)ができず、適切にトレーニングされていないPC/PreOTは、ソロレベルを避けるのが無難である。
f22fa8f6 anonymous 2022-11-05 18:53
>>32a4abd3

これは、あくまで私の解釈ですが、ゴータマ・シッダールタの教えの欠陥は、データではなく方法論です。パーリ仏典はデータとしてはアービトラリーですが、LRHがOTⅧのマテリアル(旧版)で言及していた通り、ゴータマ・シッダールタの教え自体は真実に基づいています。しかし、方法論として、オリジナルの仏教は、解脱/悟りを得たはずのゴータマ・シッダールタ以外の人間が、(同じ仏陀でありながら)他の凡夫を解脱/悟りへと導くことはできませんでした。つまり、解脱/悟りの有無は、ゴータマ・シッダールタ自身の能力に依存していたということです。彼には、機能するブリッジという発想はなかったのだと思います。ゆえに、インドを席巻したゴータマ・シッダールタの正法は、彼の遺言通り一代で消滅しました。
b0b92c13 anonymous 2022-11-05 21:39
教会で、お金に関するセッション?について聞いたのですが、

pcが札束を投げる
オーディターがばら撒かれた札束を拾ってpcに渡す
pcが札束を投げる


みたいな内容だったそうです。

これは要因24「視点は決して見えない。そして視点はますます、次元点に価値があると考える。(中略)ゆえに、欠乏が生じる。」

に基づいて次元点と視点の価値のバランスをリハビリするためのものなんでしょうか?

コロナ禍の煽りを受けて経済的に大変で、多少なりともお金の悩みを緩和したいんですが、ソロでも出来るお金にまつわるプロセスとかありますでしょうか?

世間では1万円札を破ると良い、なんて話も聞きますが有効でしょうか?
1d2a5997 Old Timer i1b5ibip3kS 2022-11-05 23:33
>>7fc512df

R6EWや新OT IIIでは、幅度があるはずだと決めつけた項目がPCや準OTに押し付けられている。多くのPCと準OTにL&Nエラーが生じるが、それらのエラーは修正されない。エラーを修正することは、幅度の誤謬を認めることに他ならない。

GPMの再刺激とL&Nエラーが併存すると、対処はとても難しくなる。
aa1c77c0 Old Timer i1b5ibip3kS 2022-11-05 23:40
>>b0b92c13

浪費と所有の理論を反映している。 普通のプロセスとしては、 "紙幣を浪費する方法を考えてください" になる。

不足しているものなら何でも対象にできるが、項目の表現には工夫が必要だ。 一般的な物体名にすることが効果を高める。

富 → お金 → 紙幣/貨幣

恋人 → 男性/女性 → 男性/女性 の肉体
c25b0a1a anonymous 2022-11-06 01:02
>>aa1c77c0

LRHは所有性に関して面白いことを言っていますね。所有性を上げるには、「創造して創造して創造して(決して)所有しないこと」だと。水も溜り水は腐りますが、流れ水は清らかです。お金を“貯める”という発想ではなく、エクスチェンジにおけるインフローとアウトフローの規模を拡大していくイメージなのでしょう。
1eb47b7d anonymous 2022-11-06 01:06
>>aa1c77c0
ありがとうございます。助かります!一般化が効果を高めるんですね。
7e260d18 anonymous 2022-11-06 03:59
>>f22fa8f6

私の場合は、ゴータマ・シッダールタの無謬性に対する信仰というより、前提として、サイエントロジーの基本原理に対するリアリティを得ていたことで、サイエントロジーのデータに対する信仰(論理的な補外に基づく判定)があるのだと思っています。

パーリ仏典とサイエントロジーの基本原理は矛盾しますし、外在化とインプラント等もパーリ仏典には説かれていません。また、パーリ仏典には“物理的な場所として”地獄の有り様が説かれています。論理から、両者のデータに矛盾がある場合はどちらも真ということはあり得ないため、どちらか一方が真でどちらか一方は偽であるか、あるいはどちらも偽であるということになります。私は個人的経験からサイエントロジーの基本原理を信じているので、パーリ仏典が真実ならば(※当時は、漠然とパーリ仏典を、文献学的に基本的には、大乗仏典と異なり史実に基づくもの[仏教の基となるデータム]だろうと信じていた)、ゴータマ・シッダールタは馬鹿(愚か)だったのだろうと結論付けました。この時点では、ゴータマ・シッダールタに対する無謬性の信仰(信頼)は全くありませんでした。

ただ、一つ気になっていたことは、LRHのOTⅧのマテリアル(旧版)に書かれた「この惑星でインプラントに影響されていない宗教はオリジナルの仏教だけであった」という言葉です。少なくとも、パーリ仏典とサイエントロジーの基本原理とは相容れないものです。果たして、そのオリジナルの仏教とは、パーリ仏典と同じなのか、それとも異なるのか?異なるとすればどの点がどのように異なっているのか?

その後、その真相を知る時が来ました。ゴータマ・シッダールタの最期の言葉(遺言)と実際に説かれていた法を知り、パーリ仏典と実際のゴータマ・シッダールタの教えは、部分的に異なるといったレベルではなく、全く異なるものであった(別物であった)ことがわかりました。ゴータマ・シッダールタの遺言により、パーリ仏典の結集(経典編纂)などといった史実は存在し得ないものであり、パーリ仏典に権威を与えるための偽のストーリーであったということも。むしろ、非仏(≒創作)説が定説となっている荒唐無稽なストーリーの大乗仏典やウパニシャッドのほうが、パーリ仏典のアンチテーゼである分、オリジナルの教えのエッセンスに近い部分も存在するくらいの違いです。そこで説かれていた教えは、使われている用語こそ異なれど、サイエントロジーの基本原理と非常に親和性の高いものでした。私はパーリ仏典を根拠にゴータマ・シッダールタに対して否定的(侮蔑的)な評価を下したことを恥じました。その時から、私はゴータマ・シッダールタの説かれた法に対して、補外法による無謬性を信仰するに至りました。ですが、私は前述の通り、ゴータマ・シッダールタの教えが方法論(技術[修行法]やアドミン[教団の運営])として完成されていたとは思っていません。

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