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old>>
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0eae6547
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-06 01:22
- >>3038284a
イギリスやアメリカの法の支配とヨーロッパ大陸側の法治主義の間にある違いは、社会において法が何かを実現した経緯についての違いにすぎず、法の効力の本質的な違いとはならない。イギリスの人権とフランスの人権が実際に大きく異なるということはない。
現代のイギリスでは法の支配と法治主義の違いが表面的で形式的なものにすぎないことが広く理解され、両者を同一視する見解が多い。イギリス人の "古き良き法と法の支配は異なる" は 法の支配が "古き良き法" から切り離され、 法治主義と同一視されるものへと変化したことを示している。
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6f904473
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-06 01:26
- >>3038284a
マルクスは三権分立が成立している場合のブルジョア支配についても "ブルジョア執権" という言葉を使っている。だから、 "プロレタリア執権" と "ブルジョア執権" の間で、 "執権" の意味に違いはない。 ブルジョワ執権体制はブルジョワが立法、行政、司法を掌握し、プロレタリア執権体制ではプロレタリアがそれら三権を掌握している。 いずれも単独の独裁者が三権を掌握するということを意味するのではない。
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0c9d6d89
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-06 01:36
- "ヒトラーおよびナチス・ドイツの統治を法の支配を破壊する「命令法学」によって正当化(弁護)した、詭弁法学者のカール・シュミットによれば、「過去から未来に渡る民族共同体の慣習たる法(≒國體)こそが憲法であり、ドイツ第三帝国の総統たるアドルフ・ヒトラーは、この民族共同体の全ての法の法源に由来し、民族の意志を体現する指導者である」という。"とそなたは述べた。ヒトラーがシュミットに同意できたのであれば、ヒトラーを生んだのは大陸法ではなくイギリスのような慣習法であるということになる。
イギリスの貴族院は立法機関であるとともに、20世紀においても最高裁判所であったことを思い起こすといい。イギリスにおいて貴族の暴走を防いでいるのは、庶民院が立法において貴族院に優越し、なおかつ、王冠の所有者であることだ。
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c2ed85fd
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-06 01:38
- なお、2009年にイギリス貴族院から最高裁判所機能は剥奪された。イギリスは徐々に大陸側の法治主義にサヤ寄せしてきたが、21世紀初頭にもその傾向は続いていたのだ。
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7adc32b2
anonymous
2023-02-06 03:04
- >>c0d35e86
マルクスが想定した「社会主義社会に自由市場を前提にしていた」とは貴方の戯言に過ぎない。市場メカニズムを介してはマルクスの構想した社会的計画生産はできないのだ。自由市場を介在させるなら、最初から、資本≒企業の賃労働に基づく資本主義市場経済で良いことになるだろうが。マルクスが構想した資本≒私有化を廃止して、アソシエーションに基づく社会的連合労働に昇華させる必要も、通貨(信用貨幣)を廃した労働証書による分配も最初から要らなかったことなる。まあ、実際にも、人類の文明発展を阻害した有害思想のマルクスは要らない思想家だったわけだが。
何度も言うが、商品価値すなわち交換価値の本質とは稀少性であり、稀少性は欠乏の度合いによって決まるのだ。いくらマルクス教信者が“信じなければ”マルクスは理解できないと言ったところで、古典派経済学やマルクス経済学のアービトラリーを信仰している限り、貴方が現実の経済社会を理解することはないだろう。
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019de25a
anonymous
2023-02-06 03:09
- >>0eae6547
法の支配はコモン・ロー“だけ”では成立し得ない。権力分立や個人の消極的自由の担保(個人の消極的自由を侵害しない範囲での個人又は集団の積極的自由の容認)、違憲立法審査権を有する司法権の優位、これらが存在しなければならない。それは、コモン・ローが法の支配と切り離されたことを意味しない。法の支配の一部として含まれているのだ。それがなければ、違憲立法審査権自体の法源が成立しなくなる。
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5cbb5e37
anonymous
2023-02-06 03:20
- >>0c9d6d89
貴方の反論はいつも同じパターンだ。一面を切り取り、我田引水を始める。オールド・タイマー氏には、詭弁家の素養が多分にある。
「私は、議会の信任によって国民の代弁者としての地位と権限を与えられた。ドイツ国民の言葉が私の言葉である。ドイツ国民のみに私は従属する。」(A・ヒトラー)
私はこのヒトラーの言葉を引用して、これはフランス革命の思想的ベースとなった極左思想家であるルソー流の(法の支配を破壊する民主主義至上主義に基づく)「一般意志」の体現であり、これは反動保守(極右)の「國體」観念との悪魔合体であると述べた。大日本帝国憲法がそうであったように、極左の「一般意志」も極右の「國體(ノモス)」も、為政者自身が裁定するならば、独裁体制だろうと民主主義体制だろうと、法の支配の破壊は免れない。
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69390227
anonymous
2023-02-06 03:31
- >>019de25a
英国流の“国民の”権利とは、共同体の法の支配に基づく個人の消極的自由の担保のことである。英国の法の支配の発展は、自由主義(※集団の積極的自由を個人の消極的自由よりも優先する現代の左派リベラリズム≒進歩主義のことではない)および個人の消極的自由の拡大の歴史であった。
一方、フランス革命を契機とする人権なる概念は、特定の個人又は集団(政府を含む)の積極的自由が、権利として個人の消極的自由を侵害することを抑制でき得ない。これが、プロレタリアート執権(共産党による党治体制)の社会主義法ではもっと露骨になる。旧ソ連・東欧諸国の国民が、憲法に規定された人権が存在するにも関わらず、奴隷階級のような被抑圧民の立場に従属させられたのは、権利の拡大解釈に基づく個人の消極的自由の侵害の担保が為され得なかったからである。
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31491f78
anonymous
2023-02-06 03:45
- >>c2ed85fd
そんなwikipedia並みの知識など、こちらは百も承知だ。したり顔で御高説垂れるほどのものではない。
「イギリスにおいて貴族の暴走を防いでいるのは、庶民院が立法において貴族院に優越し、なおかつ、王冠の所有者であることだ。」
⇨権力機関の抑制と均衡という概念を知らないのか?庶民院が、ルソー流の人民主権論および民主主義絶対主義に基づく万能の権能であったなら、法の支配は担保されない。
歴史的に、貴族(院)が王権を剥奪し、次いで庶民院が貴族から王権を剥奪したのは事実だ。故に、王冠は庶民院に存在し、21世紀の初頭まで司法権は貴族院内に存在した。また、英国の場合、庶民院の最高委員会が内閣である。加えて述べれば、国王/女王も議会に含まれる。つまり、国政の全ての権能が議会で完結している(いた)のだ。これは、もちろん、英国の歴史を踏まえた形式(※英国は破綻しない限りは伝統的形式を尊重する)であり、実質的な三権分立が機能していないということではない。
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10fdb13c
anonymous
2023-02-06 05:07
- オールド・タイマー氏の思想を並べてみる。
・ヘーゲルを知らないマルクス教。マルクス/エンゲルス流の稚拙かつ幼稚な弁証法的唯物論と史的唯物論(※歴史学として最も幼稚かつ杜撰な歴史分析)を未だに信仰なされている。
・ルソー流の民主主義至上主義に基づく人民主権論者である。
・自由社会の個人の消極的自由の担保に基づく法体系と法秩序より、全体主義社会の集団による積極的自由の実現を重視する。
・英米法流の法の支配より大陸法流の人定法に基づく法治主義(※戦前の大日本帝国憲法もその一つ)を好む。
・法の支配に基づく自由主義より、民意あるいは為政者の一般意志の裁定に基づく民主主義に価値を置く。民主主義に基づく専制国家(「プロレタリアート執権」)は容認(というより推奨)する。
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169dada8
anonymous
2023-02-06 06:44
- >>31491f78
なお、ブレア政権によって貴族院の最高裁の権能が剥奪されたことは、英米法流の法の支配から大陸法流の法治主義への接近などという反動(あるいは人民主権的な民主主義≒為政者絶対主義への迎合)とは何の関わりもない。
実質的に英国は権力機関の分立(三権分立)を含む法の支配(すなわち真の立憲主義)が実現されていた。貴族院からの最高裁権能の剥奪は、漸進主義的改革(機が熟した結果)に基づいて、三権分立を内実のみならず外形的にも担保したものであり、むしろ法の支配の強化である。
なお、これもわざわざ述べておかないと、オールド・タイマー氏の性格上、言質で揚げ足を取られる可能性があるので付言するが、立憲主義は成文憲法と不文憲法とを問わない。いくら憲法典が存在しようとも、旧ソ連・東欧諸国のマルクス・レーニン主義に基づく共産党政権のように、運用において権力分立や個人の消極的自由の担保を含む法の支配(に基づく自由社会の法秩序)が担保されていなければ、立憲主義に基づく統治形態とは看做せない。
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046ec6e4
anonymous
2023-02-06 07:05
- >>6f904473
「ブルジョワ執権体制はブルジョワが立法、行政、司法を掌握し、プロレタリア執権体制ではプロレタリアがそれら三権を掌握している。 」
⇨ブルジョア支配(ブルジョア執権体制)などという概念自体が、統治形態と生産様式(に基づく主従関係)を混同したアービトラリーだ。
資本主義市場経済を採用する多党制の自由主義国家で、いったいどこの政党がブルジョア(資本家階級)を代表していると言うんだ?それとも、ディープステートやCFR(外交問題評議会)が真の支配階級か?あるいは、ユダヤ金融資本かね(笑)?昔のフランスのコアビタシオン(保革共存)は、果たしてブルジョア執権体制か?それともプロレタリアート執権体制か(笑)?
財産や身分に依らない一人一票の普通選挙に基づく多党制の自由主義国家においては、あらゆる政党があらゆる集団の利害関係を代表(代弁)する。例えば、少子高齢化の現代日本ならば、有権者は現役世代より高齢者の声が圧倒的に強いだろう。
一方、マルクスの述べたプロレタリアートの執権とは、実際にはプロレタリアートを代表する共産党(共産主義者同盟)の一党支配である。一党支配に基づく共産党が専制君主の代替として国家権力の上に君臨する以上、権力機関が如何に外形的に分立していようとも、その内実において三権一体の共産党独裁体制(もちろん法の支配の完全否定)になる他にないだろうよ。
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7a5f51a5
anonymous
2023-02-06 07:25
- >>c0d35e86
オールド・タイマー氏は、問題を見ないことによって、問題は存在しないと言い張る。経済学とその歴史だけでなく、サイエントロジーの基本原理を勉強し直すすべきだ。問題は見なければアズイズはしないのだから。
まさに、“これこそが”マルクス経済学の根本問題なのだよ。この理論上の難問が解決できなければ、マルクスが理想として提示した社会主義社会の実装はできないのだから。いったい、オールド・タイマー氏は、『ゴータ綱領批判』の何を読んだのかね?貴方の目は節穴なのか?この主題の重要性が理解できないならば、経済学はもちろんだが、マルクスを語る資格など全くない。
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8d019bdc
anonymous
2023-02-06 23:54
- >>31491f78
なお、オールド・タイマー氏は誤解しているかもしれないが、私は現代において貴族院は不要だと考えている。ブレアの改革で貴族院の定員は大幅に削減されたわけだが、世襲の貴族階級という身分制そのものが不要であろう(※ブルジョア階級なるものは存在しないが、英国における貴族階級は社会的実体として存在する)。究極的に言えば、国家元首としての君主(国王/女王)も不要である。ただし、君主制は、国家の外交カード(バーゲニングパワー)として用いることができる限りは地上から消滅することはないだろう。
アンドリュー・カーネギーは、英国移民出身のアメリカ大富豪だが、英国流の世襲貴族制の発生を嫌い、相続税の強化を提案していた。これは、自由主義および自由社会の維持において正当な主張であろう。
ただし、最終的に一院制にするならば(※貴族院が日本の参議院のように公選の上院へと改革されるのが先だろう)、公選の庶民院が暴走しないように、解散なしで半数ごとの改選にする必要がある。加えて、法の支配を強化するために、司法権の強化が不可欠だ。議会の代議士に匹敵する人員の判事を司法機関が独立して選出し、事後的に議会の弾劾と国民審査に付されるようにする。また、議会すなわち為政者自身による憲法改正権を制限する必要もある。加えて、選挙制度や政党法などの為政者あるいは政党の利害に関わる事項は、憲法で縛る必要があるだろう。
法の支配の確立は、三権の分立だけでは不十分である。モンテスキューも、権力分立を三権のみに限定してはいない。教育機関(※教育機関の組織編成や人事権や教育内容)と報道機関も、国家権力や特定の利害関係に基づく資金から独立している必要がある。
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5bc6e5c9
anonymous
2023-02-07 01:55
- >>7a5f51a5
マルクスは「抽象的労働」というものを考えた。これは、「具体的有用労働」に対する概念であるが、“抽象的な”概念ではなく、むしろ唯物論に基づく実体的な概念である。あらゆる個別具体的な労働の形態を剥ぎ取って、労働そのものを抽出したら何が残るだろうか?言い換えるなら、分業に基づく社会経済(社会的生産)の労働(賃労働)の本質とは何だろうか?それは、「(個々人の)肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費」である(これはマルクスの唯物論的な思考をよく表現している)。マルクスは、この肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費量を基に、“等価交換”が行われるべきだという壮大な(ある意味では大それた)構想を考えた。これが、「労働(量)に応じた分配」の本質である。
資本主義市場経済においては、生産手段が資本として私的所有されており、市場と通貨(信用貨幣)を通じたブラックボックスによって商品(製品/サービス)の価格が決定される。ゆえに、労働者は自身の労働力を商品として資本に提供せざるをえない。ゆえに、必然的に労働者は資本家のみならず、資本という物神(リヴァイアサン)に支配されることになる。資本主義市場経済においては、労働(量)に応じた分配ではなく、保有する資産に応じた分配が為されるゆえに、不労所得が生じ、ゆえに所得の格差が生まれる。資本を持てる者と持たざる者との格差は年々に拡大し、相続によってその階層は固定化される。これがブルジョア階級による支配の実態である。これが、マルクスの考えた資本主義市場経済の有様であった。
ゆえに、資本主義市場経済をアソシエーションに基づく社会主義計画経済に転換して、①生産および産業の民主化、②通貨や市場を介在しない社会的計画生産、③労働証書に基づく分配システム、④自然改造と技術革新による社会の生産力の飛躍、を実現しなければならない。このようにマルクスは、社会主義社会(社会主義国家)とその先に実現すべき、国家および国境の存在しない共産主義社会を構想したのである。
ゆえに、マルクスを持ち上げながら、「プロレタリア革命は既に(実質的に)実現されている」とか、「市場を通じた分配で社会主義は実現できる(不破哲三及び日本共産党の立場)」と語ることは、マルクスに対してつばを吐き掛けるに等しい冒涜に他ならないだろう。
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9dd5fc18
anonymous
2023-02-07 02:23
- >>5bc6e5c9
※文意がより明らかになるように訂正した。
マルクスは「抽象的労働」というものを考えた。これは、「具体的有用労働」に対する概念であるが、“抽象的な”概念ではなく、むしろ唯物論に基づく実体的な概念である。あらゆる個別具体的な労働の形態を剥ぎ取って、労働そのものを抽出したら何が残るだろうか?言い換えるなら、分業に基づく社会経済(社会的生産)の労働(賃労働)の本質とは何だろうか?それは、「(労働者個々人の)肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費」である(これはマルクスの唯物論的な思考をよく表現している)。マルクスは、この肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費量を基に、“等価交換”が行われるべきだという壮大な(ある意味では大それた)構想を考えた。これが、「労働(量)に応じた分配」の本質である。
資本主義市場経済においては、生産手段が資本として私的所有されており、ゆえに、労働者は自身の労働力を商品として資本に提供せざるをえない。また、資本主義市場経済では、市場と通貨(信用貨幣)を通じたブラックボックスによって商品(製品/サービス)の価格が決定される。ゆえに、必然的に労働者は資本家のみならず、資本という物神(リヴァイアサン)に支配されることになる。資本主義市場経済においては、「労働(量)に応じた分配」ではなく、保有する「資産に応じた分配」が為されるゆえに、不労所得(≒搾取)が生じ、ゆえに所得の格差が生まれる。資産増殖のマシン(道具)である生産手段あるいは金融資産たる資本を「持てる者」と「持たざる者」との格差は年々に拡大し、相続によってその階層は半永久的に固定化される。これがブルジョア階級による支配の実態である。これが、マルクスの考えた資本主義市場経済の有様であった。
ゆえに、資本主義市場経済をアソシエーションに基づく社会主義計画経済に転換して、①労働者の共同決定を通じた生産および産業の民主化、②通貨や市場を介在しない社会的計画生産、および、労働証書に基づく分配システム、③自然改造と技術革新による社会の生産力の飛躍、を実現しなければならない。このようにマルクスは、社会主義社会(社会主義国家)とその先に実現すべき、国家および国境と家族や宗教の存在しない(不要となった)共産主義社会を構想したのである。
ゆえに、マルクスを持ち上げながら、「プロレタリア革命は既に(実質的に)実現されている」とか、「市場を通じた分配で社会主義は実現できる(不破哲三及び日本共産党の立場)」と語ることは、マルクスに対してつばを吐き掛けるに等しい冒涜に他ならないだろう。
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2e80d657
anonymous
2023-02-07 04:25
- >>8d019bdc
保守主義とは何でもかんでも保守することではない。本来の保守主義は、保守反動でもなければ守旧派でもない。漸進主義に基づく改革は積極的に推進していくのが、真の保守主義である。なぜなら、変化しない限り、生物・無西部に関わらず、あらゆる存在は生存(存続)することができないからである。
しかし、保守主義においては、理性(Reason)より経験則に基づく歴史的叡智(Tao)を重視し、理性や情緒といった一過性の民意あるいは為政者や独裁者の恣意を懐疑することで、急進主義に基づく設計主義的な社会システムの改変を戒める。その結果、漸進主義的に社会を改革していくのである。
例えば、英国における王政の廃止にしても、一飛びにはできない。まずは、貴族院の公選制導入による民選議員化と、それに続く貴族階級自体の廃止を経て実現される長期的な政策課題である。理想像を掲げるのは良いことだ。しかし、何事にも、その理想に至るために必要な段階(ステップ)とプロセスというものが存在する。各プロセスには、継続性が存在しなければならない。各プロセスの一つ一つにおいては前後の連続性が存在しても、長期で比較すれば大きな変革となるのである。それをしなかったことが、フランス革命やロシア革命が圧政とテロルに転化した理由である。
また、これも付言するが、法の支配の確立においては、あくまでも“法の支配を妨げない限りにおいて”コモン・ローあるいは過去の判例が尊重される。例えば、インドのカースト(バルナ)制度は、インドにおけるコモン・ローではあるが、これは法の支配(ここでは法の下の平等)に反するゆえに、尊重されてはならない。
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b14f4c15
anonymous
2023-02-07 19:04
- >>9dd5fc18
マルクスを批判するには、マルクス以上にマルクスの論じた主題を分かりやすく表現する必要がある。そして、マルクスの意図・理想・美的感覚の奥底に迫って、マルクスに徹底的に感情移入することである。そして、その正しさや正当性をとことん突き詰めて弁護してみるべきである。その極地に至って初めて、マルクスの思想の悪魔性(毒)あるいはカルト性が見えてくる。
軽薄にマルクスをつまみ食いして、自分流のご都合主義的な解釈に歪曲した上で、情緒でマルクスを持ち上げ称賛するような人間にはマルクスの真の理解など得られようはずもない。それは、日本共産党の不破哲三のような「マルクス読みのマルクス知らず」の自己満足的理解(学習)に過ぎないのだ。
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1d297d6a
anonymous
2023-02-07 19:38
- >>c0d35e86
「自由市場での交換価値を理論の前提にしているので、マルクスは政府が物品やサービスの価格を決定することを想定しなかった。」
⇨オールド・タイマー氏のこの書き込みの意図をようやく理解した。主語の省略によって、これでは、文意が非常に曖昧である。
確かに、マルクスは『資本論』において、資本主義市場経済における、異なる使用価値を持つ商品どうしの交換価値について論じた。しかし、それは来たるべき社会主義社会(社会主義国家)の実現に応用されるべき前提の分析なのである。マルクスが社会主義社会(社会主義国家)における分配を「想定していなかった」訳などない。
それは、『ゴータ綱領批判』を読めば明白である。『ゴータ綱領批判』において展望されている社会主義計画経済を実装するには、社会主義社会における分配について『資本論』で提起された資本主義市場経済の分析を踏まえて、具体的な(労働量および労働時間に応じた)分配の基準とその方法が解明されなければならない。
マルクスの展望した社会主義社会とは、単に『資本論』における剰余価値(m)≒搾取が存在しないという単純なものではない。具体的に、個々の消費手段(すなわち消費財)に労働量および労働時間の価値が反映されなければならない。そのための手段の一つが、マルクスの提案した「労働証書」による分配であるが、その労働証書の価値をどうやって個々の労働者と個々の消費手段(消費財)に割り当てるのかという問題(難問)が残る。
なお、マルクスは来たるべき社会主義社会において、資本≒企業による賃労働や市場や通貨(信用貨幣)に基づく商品経済を想定していない。旧ソ連のマルクス経済学では、産業関連表や物材バランス(バランス評価)を用いて、その難問を解決しようとしたが、結局、失敗に終わった。
これは、マルクス経済学の根本問題なのである。この問題が解決されない限り、マルクスの展望した社会主義社会(社会主義国家)は実現されないからである。なぜなら、理論において解決できないモデルは、実装不可能だからである。社会主義社会(社会主義国家)が実現不可能であれば、その先の共産主義社会の到来など望むべくもないのだ。
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8907ef0d
anonymous
2023-02-07 23:09
- >>062c6e6b
「マルクスは集団だけが重要だという理論を唱えた。」
このLRHの言葉は、マルクスの
「人間的本質は、個々人に内在するいかなる抽象物でもない。人間的本質は、その現実性においては社会的諸関係の総体である。」(『フォイエルバッハに関するテーゼ』)
を踏まえてのものだろう。
このLRHの(マルクスが要するに「集産主義者」であるという)要約と評価は、マルクスの弁証法的唯物論(※弁証法を加えても唯物論の本質は同じである)を踏まえれば正当なものだと思われる。
ただし、LRH自身も、サイエントロジー教会のマネジメント(アドミン)は、レーニンやスターリンを参考にしたとしか思えないほど集産主義的であったということも付け加える必要があるだろう。LRHは「言っていること」と、実際に「やっていたこと」のギャップが激しい人間であった。
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