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e29cdced anonymous 2025-03-23 17:20
>>dca327a6

以下、文意をより明確にするために、一部を補足。

アバター・コース、あるいはアバター・コースに類する個人の「信念」や「意図」にアプローチするスピリチュアル的な実践体系の欠陥は、信念の変化と現実との間に大きな落差(乖離)が生じることです。

例えば、誰かがコースを終えて、「何でもできる気分だ」という感覚あるいは境地に至ったとしましょう。誰かは、それを「私は覚醒した」と証言するかもしれません。しかし、対MESTとの関係における現実はほとんど変化していないのです。MESTの諸法実相を看破するノーイングネス(智慧≒悟り)も、MESTを統制するパワー(能力)も得られはしませんでした。「何でもできる気分」ではあっても、現実には「何でもできる(ようになった)わけではない」のです。相変わらず、MESTを意図した通りに自在にコントロールできないという現実は変わりません。そして、「何でもできる気分」さえも、持続的なものではないのです。

もちろん、サイエントロジーにおいても、『フィラデルフィア博士号コース』で扱われた主題である初期の創造のプロセシング(モックアップ・プロセシング/スペーセーション)やクリアー・コグニションでも、同様の問題は残ります。信念や意図が自由になったことと、MESTを自在に統制・支配・制御・処理できる真正のOTとの間には大きな隔たり(彼岸)が存在します。アバター・コースその他の信念や意図を扱う体系とサイエントロジーとの根本的な違いは、前者は信念や意図を変えることがゴールであるが、サイエントロジーでは信念や意図を先行して変えるが、対MESTの統制・支配・制御・処理の能力が追い付かないというギャップ(乖離・彼岸)を伏線回収で埋め合わせるための方法論を、少なくとも模索している(※依然として、サイエントロジーのブリッジは完成された体系とは言い難い)ということです。

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