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old>>
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8d019bdc
anonymous
2023-02-06 23:54
- >>31491f78
なお、オールド・タイマー氏は誤解しているかもしれないが、私は現代において貴族院は不要だと考えている。ブレアの改革で貴族院の定員は大幅に削減されたわけだが、世襲の貴族階級という身分制そのものが不要であろう(※ブルジョア階級なるものは存在しないが、英国における貴族階級は社会的実体として存在する)。究極的に言えば、国家元首としての君主(国王/女王)も不要である。ただし、君主制は、国家の外交カード(バーゲニングパワー)として用いることができる限りは地上から消滅することはないだろう。
アンドリュー・カーネギーは、英国移民出身のアメリカ大富豪だが、英国流の世襲貴族制の発生を嫌い、相続税の強化を提案していた。これは、自由主義および自由社会の維持において正当な主張であろう。
ただし、最終的に一院制にするならば(※貴族院が日本の参議院のように公選の上院へと改革されるのが先だろう)、公選の庶民院が暴走しないように、解散なしで半数ごとの改選にする必要がある。加えて、法の支配を強化するために、司法権の強化が不可欠だ。議会の代議士に匹敵する人員の判事を司法機関が独立して選出し、事後的に議会の弾劾と国民審査に付されるようにする。また、議会すなわち為政者自身による憲法改正権を制限する必要もある。加えて、選挙制度や政党法などの為政者あるいは政党の利害に関わる事項は、憲法で縛る必要があるだろう。
法の支配の確立は、三権の分立だけでは不十分である。モンテスキューも、権力分立を三権のみに限定してはいない。教育機関(※教育機関の組織編成や人事権や教育内容)と報道機関も、国家権力や特定の利害関係に基づく資金から独立している必要がある。
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5bc6e5c9
anonymous
2023-02-07 01:55
- >>7a5f51a5
マルクスは「抽象的労働」というものを考えた。これは、「具体的有用労働」に対する概念であるが、“抽象的な”概念ではなく、むしろ唯物論に基づく実体的な概念である。あらゆる個別具体的な労働の形態を剥ぎ取って、労働そのものを抽出したら何が残るだろうか?言い換えるなら、分業に基づく社会経済(社会的生産)の労働(賃労働)の本質とは何だろうか?それは、「(個々人の)肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費」である(これはマルクスの唯物論的な思考をよく表現している)。マルクスは、この肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費量を基に、“等価交換”が行われるべきだという壮大な(ある意味では大それた)構想を考えた。これが、「労働(量)に応じた分配」の本質である。
資本主義市場経済においては、生産手段が資本として私的所有されており、市場と通貨(信用貨幣)を通じたブラックボックスによって商品(製品/サービス)の価格が決定される。ゆえに、労働者は自身の労働力を商品として資本に提供せざるをえない。ゆえに、必然的に労働者は資本家のみならず、資本という物神(リヴァイアサン)に支配されることになる。資本主義市場経済においては、労働(量)に応じた分配ではなく、保有する資産に応じた分配が為されるゆえに、不労所得が生じ、ゆえに所得の格差が生まれる。資本を持てる者と持たざる者との格差は年々に拡大し、相続によってその階層は固定化される。これがブルジョア階級による支配の実態である。これが、マルクスの考えた資本主義市場経済の有様であった。
ゆえに、資本主義市場経済をアソシエーションに基づく社会主義計画経済に転換して、①生産および産業の民主化、②通貨や市場を介在しない社会的計画生産、③労働証書に基づく分配システム、④自然改造と技術革新による社会の生産力の飛躍、を実現しなければならない。このようにマルクスは、社会主義社会(社会主義国家)とその先に実現すべき、国家および国境の存在しない共産主義社会を構想したのである。
ゆえに、マルクスを持ち上げながら、「プロレタリア革命は既に(実質的に)実現されている」とか、「市場を通じた分配で社会主義は実現できる(不破哲三及び日本共産党の立場)」と語ることは、マルクスに対してつばを吐き掛けるに等しい冒涜に他ならないだろう。
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9dd5fc18
anonymous
2023-02-07 02:23
- >>5bc6e5c9
※文意がより明らかになるように訂正した。
マルクスは「抽象的労働」というものを考えた。これは、「具体的有用労働」に対する概念であるが、“抽象的な”概念ではなく、むしろ唯物論に基づく実体的な概念である。あらゆる個別具体的な労働の形態を剥ぎ取って、労働そのものを抽出したら何が残るだろうか?言い換えるなら、分業に基づく社会経済(社会的生産)の労働(賃労働)の本質とは何だろうか?それは、「(労働者個々人の)肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費」である(これはマルクスの唯物論的な思考をよく表現している)。マルクスは、この肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費量を基に、“等価交換”が行われるべきだという壮大な(ある意味では大それた)構想を考えた。これが、「労働(量)に応じた分配」の本質である。
資本主義市場経済においては、生産手段が資本として私的所有されており、ゆえに、労働者は自身の労働力を商品として資本に提供せざるをえない。また、資本主義市場経済では、市場と通貨(信用貨幣)を通じたブラックボックスによって商品(製品/サービス)の価格が決定される。ゆえに、必然的に労働者は資本家のみならず、資本という物神(リヴァイアサン)に支配されることになる。資本主義市場経済においては、「労働(量)に応じた分配」ではなく、保有する「資産に応じた分配」が為されるゆえに、不労所得(≒搾取)が生じ、ゆえに所得の格差が生まれる。資産増殖のマシン(道具)である生産手段あるいは金融資産たる資本を「持てる者」と「持たざる者」との格差は年々に拡大し、相続によってその階層は半永久的に固定化される。これがブルジョア階級による支配の実態である。これが、マルクスの考えた資本主義市場経済の有様であった。
ゆえに、資本主義市場経済をアソシエーションに基づく社会主義計画経済に転換して、①労働者の共同決定を通じた生産および産業の民主化、②通貨や市場を介在しない社会的計画生産、および、労働証書に基づく分配システム、③自然改造と技術革新による社会の生産力の飛躍、を実現しなければならない。このようにマルクスは、社会主義社会(社会主義国家)とその先に実現すべき、国家および国境と家族や宗教の存在しない(不要となった)共産主義社会を構想したのである。
ゆえに、マルクスを持ち上げながら、「プロレタリア革命は既に(実質的に)実現されている」とか、「市場を通じた分配で社会主義は実現できる(不破哲三及び日本共産党の立場)」と語ることは、マルクスに対してつばを吐き掛けるに等しい冒涜に他ならないだろう。
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2e80d657
anonymous
2023-02-07 04:25
- >>8d019bdc
保守主義とは何でもかんでも保守することではない。本来の保守主義は、保守反動でもなければ守旧派でもない。漸進主義に基づく改革は積極的に推進していくのが、真の保守主義である。なぜなら、変化しない限り、生物・無西部に関わらず、あらゆる存在は生存(存続)することができないからである。
しかし、保守主義においては、理性(Reason)より経験則に基づく歴史的叡智(Tao)を重視し、理性や情緒といった一過性の民意あるいは為政者や独裁者の恣意を懐疑することで、急進主義に基づく設計主義的な社会システムの改変を戒める。その結果、漸進主義的に社会を改革していくのである。
例えば、英国における王政の廃止にしても、一飛びにはできない。まずは、貴族院の公選制導入による民選議員化と、それに続く貴族階級自体の廃止を経て実現される長期的な政策課題である。理想像を掲げるのは良いことだ。しかし、何事にも、その理想に至るために必要な段階(ステップ)とプロセスというものが存在する。各プロセスには、継続性が存在しなければならない。各プロセスの一つ一つにおいては前後の連続性が存在しても、長期で比較すれば大きな変革となるのである。それをしなかったことが、フランス革命やロシア革命が圧政とテロルに転化した理由である。
また、これも付言するが、法の支配の確立においては、あくまでも“法の支配を妨げない限りにおいて”コモン・ローあるいは過去の判例が尊重される。例えば、インドのカースト(バルナ)制度は、インドにおけるコモン・ローではあるが、これは法の支配(ここでは法の下の平等)に反するゆえに、尊重されてはならない。
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b14f4c15
anonymous
2023-02-07 19:04
- >>9dd5fc18
マルクスを批判するには、マルクス以上にマルクスの論じた主題を分かりやすく表現する必要がある。そして、マルクスの意図・理想・美的感覚の奥底に迫って、マルクスに徹底的に感情移入することである。そして、その正しさや正当性をとことん突き詰めて弁護してみるべきである。その極地に至って初めて、マルクスの思想の悪魔性(毒)あるいはカルト性が見えてくる。
軽薄にマルクスをつまみ食いして、自分流のご都合主義的な解釈に歪曲した上で、情緒でマルクスを持ち上げ称賛するような人間にはマルクスの真の理解など得られようはずもない。それは、日本共産党の不破哲三のような「マルクス読みのマルクス知らず」の自己満足的理解(学習)に過ぎないのだ。
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1d297d6a
anonymous
2023-02-07 19:38
- >>c0d35e86
「自由市場での交換価値を理論の前提にしているので、マルクスは政府が物品やサービスの価格を決定することを想定しなかった。」
⇨オールド・タイマー氏のこの書き込みの意図をようやく理解した。主語の省略によって、これでは、文意が非常に曖昧である。
確かに、マルクスは『資本論』において、資本主義市場経済における、異なる使用価値を持つ商品どうしの交換価値について論じた。しかし、それは来たるべき社会主義社会(社会主義国家)の実現に応用されるべき前提の分析なのである。マルクスが社会主義社会(社会主義国家)における分配を「想定していなかった」訳などない。
それは、『ゴータ綱領批判』を読めば明白である。『ゴータ綱領批判』において展望されている社会主義計画経済を実装するには、社会主義社会における分配について『資本論』で提起された資本主義市場経済の分析を踏まえて、具体的な(労働量および労働時間に応じた)分配の基準とその方法が解明されなければならない。
マルクスの展望した社会主義社会とは、単に『資本論』における剰余価値(m)≒搾取が存在しないという単純なものではない。具体的に、個々の消費手段(すなわち消費財)に労働量および労働時間の価値が反映されなければならない。そのための手段の一つが、マルクスの提案した「労働証書」による分配であるが、その労働証書の価値をどうやって個々の労働者と個々の消費手段(消費財)に割り当てるのかという問題(難問)が残る。
なお、マルクスは来たるべき社会主義社会において、資本≒企業による賃労働や市場や通貨(信用貨幣)に基づく商品経済を想定していない。旧ソ連のマルクス経済学では、産業関連表や物材バランス(バランス評価)を用いて、その難問を解決しようとしたが、結局、失敗に終わった。
これは、マルクス経済学の根本問題なのである。この問題が解決されない限り、マルクスの展望した社会主義社会(社会主義国家)は実現されないからである。なぜなら、理論において解決できないモデルは、実装不可能だからである。社会主義社会(社会主義国家)が実現不可能であれば、その先の共産主義社会の到来など望むべくもないのだ。
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8907ef0d
anonymous
2023-02-07 23:09
- >>062c6e6b
「マルクスは集団だけが重要だという理論を唱えた。」
このLRHの言葉は、マルクスの
「人間的本質は、個々人に内在するいかなる抽象物でもない。人間的本質は、その現実性においては社会的諸関係の総体である。」(『フォイエルバッハに関するテーゼ』)
を踏まえてのものだろう。
このLRHの(マルクスが要するに「集産主義者」であるという)要約と評価は、マルクスの弁証法的唯物論(※弁証法を加えても唯物論の本質は同じである)を踏まえれば正当なものだと思われる。
ただし、LRH自身も、サイエントロジー教会のマネジメント(アドミン)は、レーニンやスターリンを参考にしたとしか思えないほど集産主義的であったということも付け加える必要があるだろう。LRHは「言っていること」と、実際に「やっていたこと」のギャップが激しい人間であった。
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556524df
anonymous
2023-02-08 06:11
- >>8d019bdc
教育権の独立、すなわち教育と学問および教育機関の国家権力の干渉からの自由は、法の支配の確立に不可欠である。これは、フリードリヒ・シェリングの『学問論』の偉大な着想である。
特に、旧ソ連や東欧諸国の共産党一党支配の社会主義国家においては、マルクス・レーニン主義という国定のイデオロギーが国民に強要された。同様の現象は大なり小なり、現代の資本主義国家においても、ナショナリズムや民族主義、あるいは逆に左派リベラリズム主導のポリティカルコネクトによる表現規制によっても行われている。中東のイスラム圏においては、(そもそも信仰の自由を含む思想信条の自由も性的関係の自由も存在しないが)さらに露骨である。
また、「法の不知はこれを許さじ(許さず)」という言葉があるが、法の支配の確立には、国民が法および法令を知る必要がある。イスラム法学者たちは、「西洋の民主主義国には法の支配が存在しない。なぜなら、誰も自国の法律を知らないのだから。」と、現代の民主主義国家を嘲笑するが、この批判に関してはその通りであろう。
ただし、イスラム法は、政教分離の原則も、個人の消極的自由の担保も、権力分立も存在しない点で、真の法の支配(立憲主義)とは相容れない。イスラム法の正義は、単にイスラム法は自由社会の法体系および法秩序や各共同体(国々)のコモン・ローに優越すると述べているに過ぎない。ゆえに、理性およびエシックスに基づく法体系および法秩序ではなく、アービトラリーに基づく法体系および法秩序である。
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cc6c8dbf
anonymous
2023-02-08 12:19
- >>556524df
訂正
ポリティカルコネクト→ポリティカルコレクトネス
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ae3560f7
anonymous
2023-02-09 03:55
- >>0eae6547
オールド・タイマー氏、まさか膨大な英米法の歴史と概念を、wikipediaで調べられたんでしょうか?たまたま、暇つぶしに「法の支配」をwikipediaで調べてみたら、wikipediaを杜撰に要約したようなオールド・タイマー氏のこの文章を思い出し、もしかしてと思いましたが。
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cf18ee58
anonymous
2023-02-09 03:58
- >>ae3560f7
もしや、労働価値説と交換価値の話もネタ元はwikipediaですかね…。おそらくですが。
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d4c9c2be
anonymous
2023-02-09 19:35
- >>cf18ee58
wikipediaは、メタ的に批評できる程度の知識を学んだ者が、ダメ出しのドリルとして使うのが良い。門外漢の分野をwikipediaで調べて引用したりすれば火傷することになる。
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51273c84
anonymous
2023-02-11 02:34
- 法学及び法哲学はエシックスとも深く関わる主題である。理性に基づく法学の体系化は、ブックワンにおけるダイアネティックス(後のサイエントロジー)の主要な目標リストの一つでもあった。
サイエントロジーにおいては、エシックスの定義(「ダイナミクス及び生存の最適解」/「最大多数者の生存の追求」)より、エシックスとダイナミックが関連付けられている。力なくしてエシックスは機能しないが、力のみで理性が存在しなければ、またエシックスは機能し得ない。
法学を経済学に対比して、形而上学(非科学)的な上部構造と看做して、その重要性を軽視したカール・マルクスは、後世の歴史に多大なる禍根を残した。マルクスは、自分自身が、アービトラリーに基づく、非科学的なイデオロギーと非科学的な経済学を構築したことを最期まで認識することができなかった。
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0c28f9a2
anonymous
2023-02-11 02:46
- >>51273c84
この集合宇宙のゲームと様相とは、生命のセータとMESTの戦いであり競争である。生命とMESTは、その起因においては、生命が主でありMESTが従である。MESTは本来、生命の奴隷である。しかし、生命は、いつしか自身がMESTの奴隷であるかのような見せ掛けを信じるようになってしまった。その信仰(アービトラリー)の思想的表現が唯物論である。
生命及びアートマン(セイタン)は、そのゲームにおいて、コスモス(宇宙・自然)及びMESTの支配・征服・統制を志向している。言い換えるなら、生命の活動とは、MESTの無秩序(≒混沌)にセータの秩序(≒蘇生)をもたらすことである。なぜなら、MESTの征服こそが生命の自由だからである。生命における最も強力かつ根本的な生存のダイナミックとは、自由へと向かう衝動である。これが、生命にプログラムされた、生命の根本的な行動原理であり行動目的である。
自然界や自然法則の支配・征服・統制と言うと、エコロジーの志向とは反するのではないかと思われるかもしれない。思想的な系譜としてはその通りである。しかし、これはダイナミクスの最適解というエシックスの主題と汎決定という概念を用いることで、生命・アートマン・セイタンの自由とエコロジーの追求は両立可能なゴールとなり得る。
唯物論は、生命・アートマン・セイタンは自然界及び自然法則を越えることはないこと、つまり、私たちはコスモス・自然界の奴隷であることを、繰り返し私たちに教えるものだ。物質は、決して物質を越えることはできない。「物質が思考している」と説く唯物論の下では、私たちの思考でさえ物質(すなわち肉体の脳)の産物であるのであり、思考さえも物質の偶発的産物なのであるから、私たちの主体たる意識は幻想であり、自由意思も選択の自由もないという帰結に至る。唯物論の世界では、私たちは、ただMESTの気まぐれな運命に翻弄されるだけの無力な存在である。
しかし、それは誤りである。サイエントロジーに限らず、ゴータマ・シッダールタに極まるインドの哲学及びヨーガの精神的実践、そして老子や仙道の実践者たちは繰り返し、そのことを教えてきたのだ。
私たちはコスモスの協力者として生まれたのではない。私たちは、自然の競争相手(ライバルであり敵)として生まれたのである。私たちは奴隷たるコスモスの主人である。しかし、無明によって自らを縛りつけているのである。生命の唯一の目的は、主体である自分自身客体であるコスモスの主とならせることである。主体を強くすることである。それによって、有限なるコスモスはあなたを支配することをやめるであろう。すなわち、自然法則という効力(MESTの合意)が無効化されるであろう。
「それぞれのアートマンのゴールとは、完全なる自由、コスモス(自然)の支配すなわち物質と想念への奴隷状態からの開放である。外なる自然と内なる自然の完全な支配と統制である。」(ゴータマ・シッダールタの滅後に書かれたインド聖典)
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995de46a
anonymous
2023-02-11 04:55
- >>0c28f9a2
「それぞれのアートマンのゴールとは、完全なる自由、コスモス(自然)の支配すなわち物質と想念への奴隷状態からの開放である。外なる自然と内なる自然の完全な支配と統制である。」
※物質≒MEST、想念≒コンシダレーション
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cfbc8974
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 21:37
- [Old Timer 随想2023.01.19II] 以前の 戴安寧で処理済みの出来事からも、拡張戴安寧はさらなるチャージを取り出し、消去できることがある。 しかし、これが自由領域の主流になることはないだろう。 ケースをあまりに深く掘るプロセスはさらなるチャージを再刺激する。
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f512de8f
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 21:44
- 1952年1月 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号 ... 自由領域の拡張戴安寧に近いやり方で幅度が戴安寧の聴聞をこなしている。 標準戴安寧や新時代戴安寧にはない技法が使われている。 これらを使えば、クリアー以上のケースレベルでも戴安寧は実行可能になる。 俺は一応この生涯で独自に戴安寧を準OTに対して実行できる工夫を一つ発見したと思ってきたが、一つ前の生涯で戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号を読んだことがあったのかもしれない。もしも以前に俺が準OT用戴安寧を開発したと宣言していたとしたら、ここでそれを取り消すことにする。
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82a548a9
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 21:52
- >>7adc32b2
マルクス曰く、 "交換価値は、さしあたり、ある一つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち比率として現われる。"
マルクスは市場を否定していない。交換価値の根拠は市場での交換なのだ。
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346f3621
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 22:08
- マルクスは生産について、 "自由に社会化された人間の産物として彼らの意識的計画的管理のもとにおかれる" と述べているが、これも市場を否定していない。生産と消費の両方を計画かつ支配しない限り、、市場で製品・サービスは通貨や別の製品・サービスと交換される。
計画的に生産するのは、株式会社でも同じだ。トヨタはカンバン方式などで綿密な計画生産を実現してきた。
マルクスの理想はゲゼルシャフトでの計画生産だ。ゲゼルシャフトは会社から国家まで、さまざまな形態と規模を取りえる。
アメリカも中国も、例えば、半導体の生産を計画的に進めている。 → https://www.meti.go.jp/press/2021/06/20210604008/20210603008-4.pdf
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9d3ed598
Old Timer
i1b5ibip3kS
2023-02-11 23:56
- 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号での幅度とPCのやり取りを読むと、幅度の質問や指示をPCが理解できず、幅度が言い回しを変えている箇所がいくつもある。 英語の表現力が菜園の実践で不十分になる場合や、英語の経年変化もある。
ギリシャ語の "πίστη" はもともと '信じられるに値すること' を意味していたが、"faith" や "信仰" などと訳されて、本来の意味が伝わらなくなっていることが多い。 "faith" の代わりに "trustworthiness" としている翻訳も読んだことがあるが、まだ広くは使われていない。
菜園も英語の経年変化で意味が正しく伝わらなくなる危険性がある。
そこで、最小の橋については、経年変化が小さいエスペラント語を基にした言語を作り、その言語で技術を記述し、後世の人々がその時代の言語に翻訳して使うことができるようにする方針を採ることにした。
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