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old>>
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af7413c5
Old Timer
2022-10-22 18:09
- >>dd30b2c2
新OT IIIは最も多くの菜園人が教会を去っていった理由だろう。 新OT IIIケースがない人の方が多いのだ。
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2be0ac0c
anonymous
2022-10-22 18:13
- 自分が今知っているデータを10年以上前に最初から知っていたら、私のサイエントロジーとの関わりは全く違ったものになっていたでしょう。何しろ、日本語ですから、当時リーチできるデータは少な過ぎました。完全な情報弱者と言っても過言ではなかったでしょう。ロンズオーグの(偽)情報に惑わされず、最初から古参のクラスⅧ〜クラスⅫにリーチできていれば、それが最短ルートの道となっていたでしょう。新しくサイエントロジーに縁して、このスレッドをたまたま読んでいる人は幸運だと思います。何十年分もの人生の時間を節約できるわけですから。まずは、OTレベルを含めて、必要なマテリアル(書籍を含む)を揃え根気よく勉強しましょう。急がば廻れという言葉があるように、教会にお金を支払ってブリッジを昇ろうとするより、サイエントロジーという知識の体系の全体像をしっかり理解することが先決です。
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be5a97d9
anonymous
2022-10-22 18:23
- >>af7413c5
LRHを過剰に擁護したいわけではありませんが、OTⅢはクラスⅧのマテリアルが無ければ完全な理解はできません。OTⅢでプリOTに与えられるデータの量が余りにも少ないので、唐突なデータに疑念を抱くのも無理はありません。古参のクラスⅧ〜クラスⅫの見解を見る(読む)限り、ケースが無いというケースの中には、少なからず(アウトテックによって:特にロンズオーグにおけるCBR版のOTⅡとOTⅢのマテリアルはスクウィレルされている)ケースにリーチできなかった人間が含まれていると、私は思います。
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0500462a
Old Timer
2022-10-22 18:33
- PCや準OTがセッション中にオリジネートしたことを元にプロセスを作成するのは大きな間違いだ。新OT IIIは幅度自身の間違いの産物なのだよ。
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4ef7d51e
anonymous
2022-10-22 18:45
- >>0500462a
OTⅢが間違いであるならば、BTsとClusterのデータ及びBT処理のプロセス自体も無効になります。現に、特定の教会分派においては、BTsもClusterの存在も仮定せずに、独自のアイデンティティ処理によって、新OTⅢ〜新OTⅦのケースコンプリートが可能だと主張しています。
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225340f8
Old Timer
i1b5ibip3kS
2022-10-22 20:21
- >>4ef7d51e
そうはならないよ。NOTsは新OT IIIケースを無関係なBTも処理する。
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ed6dcf8d
Old Timer
i1b5ibip3kS
2022-10-22 20:21
- KSW 1
` I recall one student who was squirreling on an Academy course and
` running a lot of offbeat whole track on other students after course
` hours. The Academy students were in a state of electrification on all
` these new experiences and weren't quickly brought under control, and
` the student himself never was given the works on Seven, Eight, Nine
` and Ten so they stuck.
皮肉なことに、KSW 1の発行から3年後に幅度自身が同じ間違いをしでかしてしま
った。幅度は自分自身のケースで見つかったことを他人の押し付けた。そして、
海組織の存在が、新OT IIIを客観的に評価できる機会を奪ってしまった。
新OT III後にもしも海組織が存在していなかったとしたらどうだろうか? 新OT
IIIは以前の多くのプロセス同様にパイロット版として試験運用され、取り消さ
れただろう。
海組織には新OT IIIケースを持つ者が多い。ケースに共通の要素を持つ者は群れ
になる。だから、海組織内に引きこもって研究したものは基本的にダメなのだ。
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ee873666
Old Timer
i1b5ibip3kS
2022-10-22 20:41
- >>af7413c5
>>0500462a
俺が書いた。
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69ea553c
anonymous
2022-10-22 21:15
- >>225340f8
NOTsも修了できない人間が多いらしいので、OTⅢケースと同様の問題を抱えています。もちろん、CBRの妄想のエクスカリバーでもケースは解決できません。既に述べたように、NOTsケースを解決するためにBTsとClusterの仮定は必要ないという事例があるのですから、OTⅢ自体がLRHの間違いだと言うならば、そこに含まれているデータの前提を見直すのが論理としての筋でしょう。
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9fce3d64
Old Timer
2022-10-22 22:05
- >>69ea553c
BTが全て新OT IIIと関係があるのではない。
BTはGPM処理でも解決されていくので、BTを意識する必要はないかもしれないが、BTが存在しないということにはならない。
ケース上にBTがない人はもちろん存在する可能性がある。これはチェックすればいい。
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bc68a081
Old Timer
2022-10-22 22:07
- 新OT IIIケースを持つ人は少数だが、彼らにとって新OT IIIは役に立つ。新OT IIIケースを持たない人に押し付けなければそれでいい。
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2d68f238
Old Timer
i1b5ibip3kS
2022-10-22 22:16
- 一般に言われるのは、NOTsの問題はなかなか終了しない人がいること、新OT III
の問題は最初から処理対象となるケース要素を持たない人が多いことだ。
解決策は、まず、新OT IIIを橋の主要部分から外し、NOTsでBTの処理を始めるこ
とだ。新OT IIIケースを持つ人はたまにいるが、たいていNOTsで解決できる。
NOTsがうまくいかない人にだけ、新OT IIIをやればいい。
NOTsがなかなか終わらないという問題は、GPM処理を併用すれば解決する。
-
1229753a
Old Timer
i1b5ibip3kS
2022-10-22 23:43
- 菜園には総じて技術の整理整頓が必要だと思う。まずはクリアーから始めてみよ
う。
1950年時点で、クリアーの状態は大姉の目標だった。
1950年、« Dianetics, the Modern Science of Mental Health »:
` Dianetically, the optimum individual is called the clear. One will
` hear much of that word, both as a noun and a verb, in this volume, so
` it is well to spend time here at the outset setting forth exactly what
` can be called a clear, the goal of dianetic therapy.
ところが、これは紆余曲折する。
1958年、« Ability 71 »
` SCIENTOLOGICALLY, the optimum individual is called the clear. One will
` hear much of that word, both as a noun and a verb, so it is well to
` spend time here at the outset setting forth exactly what can be called
` a clear, the goal of Scientology processing.
ここで、技術上、大姉クリアーと菜園クリアーの両方が存在する状況が生まれた。
1965年、« Grade CHart »
` By Scientology AUDITING an individual can attain new states of
` Existence called RELEASE and CLEAR. ... The quality of processing has
` been upgraded in 1965 as higher states have been found. Clear today is
` a higher state than previously. We once called 'Clear' what is today
` called RELEASE. Clear was higher than was first thought.
大姉クリアーはリリース扱いになった。
1970年、« Advance 8 »
` In 1966, after years of research and development, Ron finalized the
` Clearing Course at Saint Hill Manor in England. This was a
` breakthrough of almost unimaginable magnitude. Since the first
` publication of ‘Dianetics, The Modern Science of Mental Health’ in
` 1950, Ron had communicated about the State of CLEAR where people freed
` from the influence of the Reactive Mind. However, up to 1966 the
` states attained were temporary as the person was only keyed-out Clear
` or Release.
クリアーはクリアリングコースの修了者だと再定義された。
1970年、HCOB 1970年6月25日第2号“Glossary of C/S Terms”
` A Dianetic Clear or any other Dianetic pc now goes on up through the grades of Scientology and onto the proper Clearing Course. ... They still need Expanded Lower Grades to make Scientology Clear. Becoming a Dianetic Clear does not stop them from getting Power Processing. Modern Power is to its total End Phenomena.
大姉クリアーはパワー、パワープラス、R6EW、クリアリングコースに進むこととされた。
1978年、HCOB 1978年9月24日 第3号 “Dianetic Clear”
` The state of Clear can be achieved on Dianetics. I have now determined
` there is no such thing as Keyed-Out Clear. There is only a Dianetic
` Clear and he is a Clear.
今度は唐突に菜園クリアーが取り消され、大姉クリアーだけになった。
HCOB 1978年11月29日R (改定1981年3月31日) “Dianetic Clear Attests”
` When a person validly attains the state of Clear, whether this is
` reached on the Clearing Course or at any point earlier in his auditing,
` he attests to ‘the State of Clear.’ Clear is Clear and there are no
` qualifying remarks at the attest such as ‘Dianetic Clear’ or
` anything else.
大姉クリアーと菜園クリアーの区別がなくなったうえ、クリアリングコースやそ
の前の聴聞のどの時点でのクリアーも有効になった。つまり、ルードメント、ド
ラッグRD、オブジェクティブズ、ARC SW、グレード0、グレードI、グレードII、
グレードIII、グレードIV、各種リペアもクリアーの状態を作り出せるものとし
て再認識された。
ちなみに、俺はGF+40という拡張的なリペアリストでクリアーになった。低いグ
レードが終わる前にクリアーになる例は聴聞士として訓練を受けている人には時々
ある。
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fe922847
anonymous
2022-10-23 13:02
- >>1229753a
1950年のDMSMでは、ダイアネティックス実践者の間に、クリアーは実は(単に仮定上の存在であって)存在しないのではないかとの憶測(疑心暗鬼)が生じました。この当時は、ベーシックベーシックの消去によるクリアーコグニションの発生、クリアーコグニションの発生後のソマティックストリップのフリーホイーリングによるクリアリングの完了(※DMSMではベーシックベーシック消去後もチェーン上のエングラムを手作業で消去しなければいけないと書かれていた)といったマインドのメカニズムが未解明でした。1954年の『ダイアネティックス55』では、クリアーの定義が「外在化」と定義されたり、ワンショットクリアーが提唱されたりと混迷と紆余曲折がありました。1958年のクリアリング会議においては、明示されてはいないものの、バンク(反応心)は過去においてモックアップ“された”ものではなく、現時点において自らがモックアップ“している”のだとのバンクの起因の説明から、クリアーコグニションへの非明示的な言及が為されています。もう、この時点(1958年)で、最終的なクリアーの定義は、ほぼ定まっていたと診てよいでしょう。最初のブックワン(DMSM)に書かれていた通り、クリアーはクリアーであり、見る人が見ればそれとわかります。ダイアネティックスのクリアーもサイエントロジーのクリアーも何もありませんし、クリアーの違いはありません。最終的に、クリアーの定義は、落ち着くべきところに落ち着いたということでしょう。
ここ(クリアーの定義の変遷)で重要だと思う教訓は、特定のプロセスの修了とケースレベルあるいは特定のケースゲイン(認知や能力)を紐付けないということです。一人一人のケースは違いますから、用いるべきプロセスも、プロセスによって生じるゲインも異なります。もちろん、同じプロセスを用いても、オーディターの未熟さやアウトテックによるケースゲインの取りこぼしは存在するでしょうが、どのプロセスによってどのケースゲインが得られるかは、人(PC/PreOTによって)それぞれ異なるということです。ですから、特定のプロセスの修了を以って特定のケースレベル(ブリッジ上の階梯)だと定めるのでなく、特定のコグニションやケースゲインの獲得(回復)によって、ケースレベル(ブリッジ上の階梯)を定めるべきでしょうがでないと、例えば、同じクリアーや同じOTⅤでも、個人によって能力の差が大きすぎて、その違いの理由(トレーニングの有無も含む)がわからないので、レジストラー(登録契約係)のセールストークを真に受けたパブリックは混乱することになり、最悪、返金サイクルにも繋がりかねなくなります。
-
2099204d
anonymous
2022-10-23 13:04
- コリン・ウィルソンの説く「7つの意識レベル」
レベル1:無意識状態
レベル2:ぼんやりした意識状態
レベル3:単調な意識状態
レベル4:日常の意識状態
レベル5:至高体験レベル
レベル6:魔術的レベル
レベル7:X機能の発現
コリン・ウィルソンの定義では、ぐっすり眠っている時の無意識状態を、意識そのものが存在しないレベル0とする。次に、眠っているが夢を見ている時がレベル1だ。レベル2は、一応目覚めてはいるが何も考えていない状態で、疲れ果ててぐったりしているような状況がこれに当たる。
レベル3は、意識はあるが全く不活発な状態。与えられたことをただやる(こなす)だけで、同時にひとつのことしかできない。この状態にある人は、「人生には何の意味もない、ただ食べて働いて寝ることの虚しい繰り返しに過ぎない」などと思い込むことになりやすい。
レベル4は、我々の日常的な意識の状態(成人のノーマル)である。それなりに活動しており、問題に対処することもできる。だが、「基本的に人生は富や名声を獲得するための過酷な戦いの連続であり、最終的には死という敗北で終わるもの」だと諦めている。徳川家康のいう「人の一生は重き荷を負うて遠き道を征くが如し」がこれに当たる。だから、ちょっとしたことですぐにレベル3に戻り、生きることが嫌になってしまう。
逆に、そうやって苦闘を重ねていくうちに、「ふとその苦闘そのものの楽しさに気付き、そこに人生の意義(生き甲斐)を見出す」ことがある。そうなれば、次のレベル5はもう目の前である。
レベル5は、辛い仕事から開放され、まとまった休暇を取った初日の朝のような感覚だ。「わけもなくワクワクし、人生がバラ色に感じられる」。コリン・ウィルソンは、アブラハム・マズローの「至高体験」をこのレベル5に分類している。一過性の至高体験は、子供にとっては特別なものではない。何かの遊びに熱中している子供が、その遊びそのものになりきって、周囲で起こっていることに全く気付かないといった状態がそれである。しかし、休暇が終わりに近付くと、またあの退屈な仕事の日々に逆戻りかと思って陰鬱になる。つまり、レベル4やレベル3に戻ってしまうのである。ほとんどの人は、レベル3からレベル5の間を上がったり下がったりしている。
多くの古今東西のアウトサイダーたちは、一時の至福の体験を得ながら再び平凡な日常に引き戻されてしまう。そして、その至福をもう一度取り戻そうとして他人や社会を忌避し、最終的には破滅的(反生存的)な人生へと転落してしまう。多くのアウトサイダーは、最終的には自殺もしくは精神異常で終わる。コリン・ウィルソンも、「圧倒的な歓喜の瞬間に全知の洞察力が顕れて、人生に対する楽観と肯定の情で心が満たされる」という至高体験をした。だが、こうした一過性の「自己実現」は、それが過ぎ去ってしまうと、退屈で残酷な現実との間に深刻な齟齬を来すことになる。これは、所有性、或いは環境(つまりMEST)のコントロール能力が認識のレベルに追いついていないからである。LRHは、これを「柱に登る」体験と呼んでいた。LRHは、ヒンドゥー教を初めとする東洋の神秘主義の失敗は、エネルギー及びMESTに対する無知であったと述べている。谷底に落ちずに、このジレンマを乗り越えた人物の代表者は、ゴータマ・シッダールタと老子であろう。
レベル6は魔術的レベルの意識状態である。心から熱愛する人と初めて結ばれた夜のような感覚。「人生は祝福と驚異に満ちていると実感できる。心を悩ませていたあらゆる問題は全く取るに足らないものと感じられ、なぜあれほど悩んでいたのか、もはや思い出せなくなっている。どんな逆境も、コンピュータ・ゲームの難所のように楽しみながら取り組むことができる」。愛と勇気さえあれば何でもできるという気持ちになる。コリン・ウィルソンによれば、このレベル6は、「ゆったりとした至高体験が絶えず持続している状態」である。
コリン・ウィルソンは、「子供の頃は天国が存在した。なぜなら、習慣という(心の)機械がまだ作動していないからだ。ゆえに、子供は喜びをより喜ばしく、恐れをより恐ろしく感じる」と書いている。私たちは、大人になるにしたがって、習慣と繰り返しのワンパターンの世界に安住してしまい、新鮮さや美しいものを美しいと感じる感性(美的感覚)や、新しい物事に挑戦する冒険やゲームの精神を喪失してしまう。無気力で物分りの良くなった大人は、未来ある子供たちにとって目指すべきお手本とは言えないだろう。
「(人生における至福とは)マッターホルンに登ってひざの皮をすりむいてしまうことであり、子供が初めて「パパ」と言うのを聞くことであり、上海の繁華街でのどんちゃん騒ぎであり、玄関口で恋人が合図する口笛です。」(LRH:DMSM)
「宇宙はどれもひとつのゲームです。もし、人間(ヒューマンビーイング)に遊びの精神が無ければ、どのような宇宙も存在することはありませんでした。人間が持ち得る最も価値ある感情とは、遊びの精神です。それは途方もない感覚です。地球上およびその他の政治的な同盟における文明の間でも遊びの精神はほとんど失われています。それは、小さな子供たちに見受けられますが、そこでさえあくせくした状態にあることがわかります。子供は少しでも成長すると遊びにおけるエクスタシーはほとんど無くなります。人は年を取るにつれ、生きることの楽しみをはかないものだと信じるようになります。そうなると、人生に深刻になって新しい人や出来事に出会って楽しむことを避けるようになります。なぜなら、そんな楽しみははかなく消えるもので無益だと信じるようになるからです。子供時代における最も鮮烈で、興味を感じ、高揚した瞬間も遊びの精神とは比べものになりません。子供が感じる最もうきうきするような、エキサイティングな遊びの瞬間も、真の遊びの精神における俊敏で生き生きとした感覚の前には色褪せてしまいます。セイタンは、遊びの精神を失うと仕事の精神に基づいて活動するようになります。これは、精神の堕落に他なりません。人間がゲームの精神を完全に失う時、人は死にます。」(LRH)
レベル5とレベル6が凡夫と(能力的な観点における)聖人の境界である。レベル5からレベル6へと跳躍するためのお手軽な方法として、古今東西の神秘主義の実践において用いられてきた道具(手段)が幻覚剤の服用である。だが、これがいかに危険で愚かな道であるかは、今さら言うまでもないだろう。既に述べたように、幻覚剤を使用する者は例外なく、最終的に廃人となり、谷底に落ち身を滅ぼす。単に、アウトエシックスなだけではない。薬物の作用が消えた後、その甘美なビジョンと過酷な現実との落差に耐えられなくなり、破滅へと至るのである。
そして、頂上のレベル7が、コリン・ウィルソンのいう「X機能(未知の機能)」が十全に発現した状態だ。コリン・ウィルソンは自身の大著『THE OCCULT(オカルト)』において、「X機能」という概念を初めて提唱した。テレパシーや霊能力といった、いわゆる「超能力」もX機能の発現の一分[いちぶん]ではあるが、このX機能を認識しコントロールすることこそ、人生における根本命題であるとコリン・ウィルソンはいう。レベル7のX機能の発現は、持続的な至高体験からさらに一歩進んで、時空を支配したような超越的な感覚である。これまでの人生のいかなる瞬間をも、今まさに眼前に展開しているかのように生々しく追体験することができる。膨大な知識を一瞬にして認識したり、歴史的な過去や(可能性としての)未来に居合わせることもできる。これは、肉体のみならず、また、この集合宇宙(スペースオペラ宇宙)のみならず、時空からの完全な外在化、即ち完全なノーイングネスの獲得(回復)である。まさに、「鳥の目」をもって、時空の全てを見渡すことができるのだ。科学者はとかく目先のことにのみ執著し、常に何かに頭を悩ませている。コリン・ウィルソンは、これを「虫の目」に喩える。天の高みから下界を見おろす鳥の目が象徴するのは、全体を瞬間的に把握する、あるいは問いから答えへとダイレクトに跳躍する完全なノーイングネス(全知の洞察力)である。この状態を永続することができるなら、もはや時間は根源的な意味において存在しなくなるとコリン・ウィルソンはいう。つまり、人間は生きながらにして神となるのだ。
レベル5とレベル6の間が、サイエントロジーのブリッジでいうクリアーの状態(トーン4.0)である。レベル7は完全なOTに他ならない。なお、持ち前の「直観像」による博覧強記を駆使して膨大な著作を世に遺したコリン・ウィルソン自身は、容易にレベル5に達し、これを保持できるようになっていたという。コリン・ウィルソンは単なるオカルティストとも科学妄信主義者とも異なる楽観主義者である。その楽観は人間存在への限りない信頼に根差していた。コリン・ウィルソンは、サイエントロジーの存在を知らなかったか、眼中に無かったものと思われる。彼が、サイエントロジー(のブリッジ)を分析したならば、果たして、どのような結論を下したのであろうか?
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b9a4afd2
Old Timer
i1b5ibip3kS
2022-10-24 00:48
- >>fe922847
そう、その通り。そして、実践者も特定の能力の回復や特定の状況の解決を橋の
いずれかの地点の実践に求めるべきではない。隠された基準は実践を台無しにす
る。
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a02385e2
Old Timer
i1b5ibip3kS
2022-10-24 01:02
- 技術的に言えば、大姉クリアーと菜園クリアーの間には違いがあり、菜園クリア
ーは準OTケースが開いた状態なので、非干渉領域にある。例えば、大姉クリアー
は橋の主要なプロセス以外の聴聞を受けることができるが、菜園クリアーはでき
ないとされる。R6EWやその他GPM処理を経由すれば菜園クリアーになる。
大姉クリアーも菜園クリアーもOT I ~ OT IIに進むことができるというところは同じだ。
もっとも、教会はOT IとOT IIIを別のものと入れ替えた。
しかし、旧OT I、旧OT II ~ 旧OT VIIを橋から外すようにという指示が生前の
幅度から出たことはない。
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d19f89ec
anonymous
2022-10-24 02:13
- マインドのアナライザー(分析器)も反応バンク(反応心)も、同じメカニックス(機械仕掛け)であることには変わりない。ダイアネティックス及びサイエントロジーででは、分析心と反応心とGEバンク(ソマティックマインド)があるのだと定義しているが、バンクとはマインドのチャージ(アテンションユニットが封印されているリッジ)であり、分析心と反応心という二つの心があるわけではない。つまり、エングラムバンク(及びベーシックベーシックであるラック)を含む反応バンクのクリアリングとは、反応心が消えて分析心という一つの心になるわけではない。言い換えれば、分析心と反応心という“独立した”二つの心が存在するわけではない。分析心と呼んでいるものは単に純然たるマインドであり、反応バンクはマインドの一部を構成しているのである。そのマインドのメカニックス(機械仕掛け)の一部が反応バンクという別のメカニックス(機械仕掛け)に侵食されているだけである。だから、マインドから反応バンクが消滅すれば、マインドはアナライザー(分析器)という分析的な機械仕掛けのみになるということである。バンクとはケースであり、ケースは東洋の宗教ではカルマと呼ばれている。東洋の宗教(ヒンドゥー教など)とサイエントロジーの違うところは、ケース(カルマ)を絶対的な自然法則であるとは見做さないということである。もちろん、各集合宇宙の自然法則も(強制の度合いは異なれど)合意されたものであり、バンク(ケース)のメカニズムも本人が合意しているものであるが、オバート・モティベーター連鎖も、またそのベースであるGPMも、東洋の宗教が教える物理学の作用・反作用の法則のような、逃れられない天の法則(パーソナリティ力学)あるいは宿命といったものではないのである。
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d537557a
Old Timer
i1b5ibip3kS
2022-10-24 11:31
- >>d19f89ec
GPMはゴールとそれに関係するケース要素が一体となったもの。
The Factors
` 1 Before the beginning was a Cause and the entire purpose of the
` Cause was the creation of effect.
` 2 In the beginning and forever is the decision and the decision is
` TO BE.
GPMでゴールを列挙していくのはFactor 1、ターミナルとオプタームを列挙して
いくのはFactor 2に基づいている。GPM処理は菜園の
` 6 The action of a dimension point is reaching and withdrawing.
UCPはFactor 6に基づいている。
-
9e6ae960
Old Timer
2022-10-24 12:04
- >>d537557a
*GPM処理は菜園の → GPM処理は菜園の基礎理論を直接反映している。
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