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ee873666 Old Timer i1b5ibip3kS 2022-10-22 20:41
>>af7413c5
>>0500462a
俺が書いた。
69ea553c anonymous 2022-10-22 21:15
>>225340f8

NOTsも修了できない人間が多いらしいので、OTⅢケースと同様の問題を抱えています。もちろん、CBRの妄想のエクスカリバーでもケースは解決できません。既に述べたように、NOTsケースを解決するためにBTsとClusterの仮定は必要ないという事例があるのですから、OTⅢ自体がLRHの間違いだと言うならば、そこに含まれているデータの前提を見直すのが論理としての筋でしょう。
9fce3d64 Old Timer 2022-10-22 22:05
>>69ea553c

BTが全て新OT IIIと関係があるのではない。

BTはGPM処理でも解決されていくので、BTを意識する必要はないかもしれないが、BTが存在しないということにはならない。

ケース上にBTがない人はもちろん存在する可能性がある。これはチェックすればいい。
bc68a081 Old Timer 2022-10-22 22:07
新OT IIIケースを持つ人は少数だが、彼らにとって新OT IIIは役に立つ。新OT IIIケースを持たない人に押し付けなければそれでいい。
2d68f238 Old Timer i1b5ibip3kS 2022-10-22 22:16
一般に言われるのは、NOTsの問題はなかなか終了しない人がいること、新OT III
の問題は最初から処理対象となるケース要素を持たない人が多いことだ。

解決策は、まず、新OT IIIを橋の主要部分から外し、NOTsでBTの処理を始めるこ
とだ。新OT IIIケースを持つ人はたまにいるが、たいていNOTsで解決できる。
NOTsがうまくいかない人にだけ、新OT IIIをやればいい。

NOTsがなかなか終わらないという問題は、GPM処理を併用すれば解決する。
1229753a Old Timer i1b5ibip3kS 2022-10-22 23:43
菜園には総じて技術の整理整頓が必要だと思う。まずはクリアーから始めてみよ
う。

1950年時点で、クリアーの状態は大姉の目標だった。

1950年、« Dianetics, the Modern Science of Mental Health »:

` Dianetically, the optimum individual is called the clear. One will
` hear much of that word, both as a noun and a verb, in this volume, so
` it is well to spend time here at the outset setting forth exactly what
` can be called a clear, the goal of dianetic therapy.

ところが、これは紆余曲折する。

1958年、« Ability 71 »

` SCIENTOLOGICALLY, the optimum individual is called the clear. One will
` hear much of that word, both as a noun and a verb, so it is well to
` spend time here at the outset setting forth exactly what can be called
` a clear, the goal of Scientology processing.

ここで、技術上、大姉クリアーと菜園クリアーの両方が存在する状況が生まれた。

1965年、« Grade CHart »

` By Scientology AUDITING an individual can attain new states of
` Existence called RELEASE and CLEAR. ... The quality of processing has
` been upgraded in 1965 as higher states have been found. Clear today is
` a higher state than previously. We once called 'Clear' what is today
` called RELEASE. Clear was higher than was first thought.

大姉クリアーはリリース扱いになった。

1970年、« Advance 8 »

` In 1966, after years of research and development, Ron finalized the
` Clearing Course at Saint Hill Manor in England. This was a
` breakthrough of almost unimaginable magnitude. Since the first
` publication of ‘Dianetics, The Modern Science of Mental Health’ in
` 1950, Ron had communicated about the State of CLEAR where people freed
` from the influence of the Reactive Mind. However, up to 1966 the
` states attained were temporary as the person was only keyed-out Clear
` or Release.

クリアーはクリアリングコースの修了者だと再定義された。

1970年、HCOB 1970年6月25日第2号“Glossary of C/S Terms”

` A Dianetic Clear or any other Dianetic pc now goes on up through the grades of Scientology and onto the proper Clearing Course. ... They still need Expanded Lower Grades to make Scientology Clear. Becoming a Dianetic Clear does not stop them from getting Power Processing. Modern Power is to its total End Phenomena.

大姉クリアーはパワー、パワープラス、R6EW、クリアリングコースに進むこととされた。

1978年、HCOB 1978年9月24日 第3号 “Dianetic Clear”

` The state of Clear can be achieved on Dianetics. I have now determined
` there is no such thing as Keyed-Out Clear. There is only a Dianetic
` Clear and he is a Clear.

今度は唐突に菜園クリアーが取り消され、大姉クリアーだけになった。

HCOB 1978年11月29日R (改定1981年3月31日) “Dianetic Clear Attests”

` When a person validly attains the state of Clear, whether this is
` reached on the Clearing Course or at any point earlier in his auditing,
` he attests to ‘the State of Clear.’ Clear is Clear and there are no
` qualifying remarks at the attest such as ‘Dianetic Clear’ or
` anything else.

大姉クリアーと菜園クリアーの区別がなくなったうえ、クリアリングコースやそ
の前の聴聞のどの時点でのクリアーも有効になった。つまり、ルードメント、ド
ラッグRD、オブジェクティブズ、ARC SW、グレード0、グレードI、グレードII、
グレードIII、グレードIV、各種リペアもクリアーの状態を作り出せるものとし
て再認識された。

ちなみに、俺はGF+40という拡張的なリペアリストでクリアーになった。低いグ
レードが終わる前にクリアーになる例は聴聞士として訓練を受けている人には時々
ある。
fe922847 anonymous 2022-10-23 13:02
>>1229753a

1950年のDMSMでは、ダイアネティックス実践者の間に、クリアーは実は(単に仮定上の存在であって)存在しないのではないかとの憶測(疑心暗鬼)が生じました。この当時は、ベーシックベーシックの消去によるクリアーコグニションの発生、クリアーコグニションの発生後のソマティックストリップのフリーホイーリングによるクリアリングの完了(※DMSMではベーシックベーシック消去後もチェーン上のエングラムを手作業で消去しなければいけないと書かれていた)といったマインドのメカニズムが未解明でした。1954年の『ダイアネティックス55』では、クリアーの定義が「外在化」と定義されたり、ワンショットクリアーが提唱されたりと混迷と紆余曲折がありました。1958年のクリアリング会議においては、明示されてはいないものの、バンク(反応心)は過去においてモックアップ“された”ものではなく、現時点において自らがモックアップ“している”のだとのバンクの起因の説明から、クリアーコグニションへの非明示的な言及が為されています。もう、この時点(1958年)で、最終的なクリアーの定義は、ほぼ定まっていたと診てよいでしょう。最初のブックワン(DMSM)に書かれていた通り、クリアーはクリアーであり、見る人が見ればそれとわかります。ダイアネティックスのクリアーもサイエントロジーのクリアーも何もありませんし、クリアーの違いはありません。最終的に、クリアーの定義は、落ち着くべきところに落ち着いたということでしょう。

ここ(クリアーの定義の変遷)で重要だと思う教訓は、特定のプロセスの修了とケースレベルあるいは特定のケースゲイン(認知や能力)を紐付けないということです。一人一人のケースは違いますから、用いるべきプロセスも、プロセスによって生じるゲインも異なります。もちろん、同じプロセスを用いても、オーディターの未熟さやアウトテックによるケースゲインの取りこぼしは存在するでしょうが、どのプロセスによってどのケースゲインが得られるかは、人(PC/PreOTによって)それぞれ異なるということです。ですから、特定のプロセスの修了を以って特定のケースレベル(ブリッジ上の階梯)だと定めるのでなく、特定のコグニションやケースゲインの獲得(回復)によって、ケースレベル(ブリッジ上の階梯)を定めるべきでしょうがでないと、例えば、同じクリアーや同じOTⅤでも、個人によって能力の差が大きすぎて、その違いの理由(トレーニングの有無も含む)がわからないので、レジストラー(登録契約係)のセールストークを真に受けたパブリックは混乱することになり、最悪、返金サイクルにも繋がりかねなくなります。
2099204d anonymous 2022-10-23 13:04
コリン・ウィルソンの説く「7つの意識レベル」

レベル1:無意識状態

レベル2:ぼんやりした意識状態

レベル3:単調な意識状態

レベル4:日常の意識状態

レベル5:至高体験レベル

レベル6:魔術的レベル

レベル7:X機能の発現

コリン・ウィルソンの定義では、ぐっすり眠っている時の無意識状態を、意識そのものが存在しないレベル0とする。次に、眠っているが夢を見ている時がレベル1だ。レベル2は、一応目覚めてはいるが何も考えていない状態で、疲れ果ててぐったりしているような状況がこれに当たる。

レベル3は、意識はあるが全く不活発な状態。与えられたことをただやる(こなす)だけで、同時にひとつのことしかできない。この状態にある人は、「人生には何の意味もない、ただ食べて働いて寝ることの虚しい繰り返しに過ぎない」などと思い込むことになりやすい。

レベル4は、我々の日常的な意識の状態(成人のノーマル)である。それなりに活動しており、問題に対処することもできる。だが、「基本的に人生は富や名声を獲得するための過酷な戦いの連続であり、最終的には死という敗北で終わるもの」だと諦めている。徳川家康のいう「人の一生は重き荷を負うて遠き道を征くが如し」がこれに当たる。だから、ちょっとしたことですぐにレベル3に戻り、生きることが嫌になってしまう。

逆に、そうやって苦闘を重ねていくうちに、「ふとその苦闘そのものの楽しさに気付き、そこに人生の意義(生き甲斐)を見出す」ことがある。そうなれば、次のレベル5はもう目の前である。

レベル5は、辛い仕事から開放され、まとまった休暇を取った初日の朝のような感覚だ。「わけもなくワクワクし、人生がバラ色に感じられる」。コリン・ウィルソンは、アブラハム・マズローの「至高体験」をこのレベル5に分類している。一過性の至高体験は、子供にとっては特別なものではない。何かの遊びに熱中している子供が、その遊びそのものになりきって、周囲で起こっていることに全く気付かないといった状態がそれである。しかし、休暇が終わりに近付くと、またあの退屈な仕事の日々に逆戻りかと思って陰鬱になる。つまり、レベル4やレベル3に戻ってしまうのである。ほとんどの人は、レベル3からレベル5の間を上がったり下がったりしている。

多くの古今東西のアウトサイダーたちは、一時の至福の体験を得ながら再び平凡な日常に引き戻されてしまう。そして、その至福をもう一度取り戻そうとして他人や社会を忌避し、最終的には破滅的(反生存的)な人生へと転落してしまう。多くのアウトサイダーは、最終的には自殺もしくは精神異常で終わる。コリン・ウィルソンも、「圧倒的な歓喜の瞬間に全知の洞察力が顕れて、人生に対する楽観と肯定の情で心が満たされる」という至高体験をした。だが、こうした一過性の「自己実現」は、それが過ぎ去ってしまうと、退屈で残酷な現実との間に深刻な齟齬を来すことになる。これは、所有性、或いは環境(つまりMEST)のコントロール能力が認識のレベルに追いついていないからである。LRHは、これを「柱に登る」体験と呼んでいた。LRHは、ヒンドゥー教を初めとする東洋の神秘主義の失敗は、エネルギー及びMESTに対する無知であったと述べている。谷底に落ちずに、このジレンマを乗り越えた人物の代表者は、ゴータマ・シッダールタと老子であろう。

レベル6は魔術的レベルの意識状態である。心から熱愛する人と初めて結ばれた夜のような感覚。「人生は祝福と驚異に満ちていると実感できる。心を悩ませていたあらゆる問題は全く取るに足らないものと感じられ、なぜあれほど悩んでいたのか、もはや思い出せなくなっている。どんな逆境も、コンピュータ・ゲームの難所のように楽しみながら取り組むことができる」。愛と勇気さえあれば何でもできるという気持ちになる。コリン・ウィルソンによれば、このレベル6は、「ゆったりとした至高体験が絶えず持続している状態」である。

コリン・ウィルソンは、「子供の頃は天国が存在した。なぜなら、習慣という(心の)機械がまだ作動していないからだ。ゆえに、子供は喜びをより喜ばしく、恐れをより恐ろしく感じる」と書いている。私たちは、大人になるにしたがって、習慣と繰り返しのワンパターンの世界に安住してしまい、新鮮さや美しいものを美しいと感じる感性(美的感覚)や、新しい物事に挑戦する冒険やゲームの精神を喪失してしまう。無気力で物分りの良くなった大人は、未来ある子供たちにとって目指すべきお手本とは言えないだろう。

「(人生における至福とは)マッターホルンに登ってひざの皮をすりむいてしまうことであり、子供が初めて「パパ」と言うのを聞くことであり、上海の繁華街でのどんちゃん騒ぎであり、玄関口で恋人が合図する口笛です。」(LRH:DMSM)

「宇宙はどれもひとつのゲームです。もし、人間(ヒューマンビーイング)に遊びの精神が無ければ、どのような宇宙も存在することはありませんでした。人間が持ち得る最も価値ある感情とは、遊びの精神です。それは途方もない感覚です。地球上およびその他の政治的な同盟における文明の間でも遊びの精神はほとんど失われています。それは、小さな子供たちに見受けられますが、そこでさえあくせくした状態にあることがわかります。子供は少しでも成長すると遊びにおけるエクスタシーはほとんど無くなります。人は年を取るにつれ、生きることの楽しみをはかないものだと信じるようになります。そうなると、人生に深刻になって新しい人や出来事に出会って楽しむことを避けるようになります。なぜなら、そんな楽しみははかなく消えるもので無益だと信じるようになるからです。子供時代における最も鮮烈で、興味を感じ、高揚した瞬間も遊びの精神とは比べものになりません。子供が感じる最もうきうきするような、エキサイティングな遊びの瞬間も、真の遊びの精神における俊敏で生き生きとした感覚の前には色褪せてしまいます。セイタンは、遊びの精神を失うと仕事の精神に基づいて活動するようになります。これは、精神の堕落に他なりません。人間がゲームの精神を完全に失う時、人は死にます。」(LRH)

レベル5とレベル6が凡夫と(能力的な観点における)聖人の境界である。レベル5からレベル6へと跳躍するためのお手軽な方法として、古今東西の神秘主義の実践において用いられてきた道具(手段)が幻覚剤の服用である。だが、これがいかに危険で愚かな道であるかは、今さら言うまでもないだろう。既に述べたように、幻覚剤を使用する者は例外なく、最終的に廃人となり、谷底に落ち身を滅ぼす。単に、アウトエシックスなだけではない。薬物の作用が消えた後、その甘美なビジョンと過酷な現実との落差に耐えられなくなり、破滅へと至るのである。

そして、頂上のレベル7が、コリン・ウィルソンのいう「X機能(未知の機能)」が十全に発現した状態だ。コリン・ウィルソンは自身の大著『THE OCCULT(オカルト)』において、「X機能」という概念を初めて提唱した。テレパシーや霊能力といった、いわゆる「超能力」もX機能の発現の一分[いちぶん]ではあるが、このX機能を認識しコントロールすることこそ、人生における根本命題であるとコリン・ウィルソンはいう。レベル7のX機能の発現は、持続的な至高体験からさらに一歩進んで、時空を支配したような超越的な感覚である。これまでの人生のいかなる瞬間をも、今まさに眼前に展開しているかのように生々しく追体験することができる。膨大な知識を一瞬にして認識したり、歴史的な過去や(可能性としての)未来に居合わせることもできる。これは、肉体のみならず、また、この集合宇宙(スペースオペラ宇宙)のみならず、時空からの完全な外在化、即ち完全なノーイングネスの獲得(回復)である。まさに、「鳥の目」をもって、時空の全てを見渡すことができるのだ。科学者はとかく目先のことにのみ執著し、常に何かに頭を悩ませている。コリン・ウィルソンは、これを「虫の目」に喩える。天の高みから下界を見おろす鳥の目が象徴するのは、全体を瞬間的に把握する、あるいは問いから答えへとダイレクトに跳躍する完全なノーイングネス(全知の洞察力)である。この状態を永続することができるなら、もはや時間は根源的な意味において存在しなくなるとコリン・ウィルソンはいう。つまり、人間は生きながらにして神となるのだ。

レベル5とレベル6の間が、サイエントロジーのブリッジでいうクリアーの状態(トーン4.0)である。レベル7は完全なOTに他ならない。なお、持ち前の「直観像」による博覧強記を駆使して膨大な著作を世に遺したコリン・ウィルソン自身は、容易にレベル5に達し、これを保持できるようになっていたという。コリン・ウィルソンは単なるオカルティストとも科学妄信主義者とも異なる楽観主義者である。その楽観は人間存在への限りない信頼に根差していた。コリン・ウィルソンは、サイエントロジーの存在を知らなかったか、眼中に無かったものと思われる。彼が、サイエントロジー(のブリッジ)を分析したならば、果たして、どのような結論を下したのであろうか?
b9a4afd2 Old Timer i1b5ibip3kS 2022-10-24 00:48
>>fe922847

そう、その通り。そして、実践者も特定の能力の回復や特定の状況の解決を橋の
いずれかの地点の実践に求めるべきではない。隠された基準は実践を台無しにす
る。
a02385e2 Old Timer i1b5ibip3kS 2022-10-24 01:02
技術的に言えば、大姉クリアーと菜園クリアーの間には違いがあり、菜園クリア
ーは準OTケースが開いた状態なので、非干渉領域にある。例えば、大姉クリアー
は橋の主要なプロセス以外の聴聞を受けることができるが、菜園クリアーはでき
ないとされる。R6EWやその他GPM処理を経由すれば菜園クリアーになる。

大姉クリアーも菜園クリアーもOT I ~ OT IIに進むことができるというところは同じだ。

もっとも、教会はOT IとOT IIIを別のものと入れ替えた。

しかし、旧OT I、旧OT II ~ 旧OT VIIを橋から外すようにという指示が生前の
幅度から出たことはない。
d19f89ec anonymous 2022-10-24 02:13
マインドのアナライザー(分析器)も反応バンク(反応心)も、同じメカニックス(機械仕掛け)であることには変わりない。ダイアネティックス及びサイエントロジーででは、分析心と反応心とGEバンク(ソマティックマインド)があるのだと定義しているが、バンクとはマインドのチャージ(アテンションユニットが封印されているリッジ)であり、分析心と反応心という二つの心があるわけではない。つまり、エングラムバンク(及びベーシックベーシックであるラック)を含む反応バンクのクリアリングとは、反応心が消えて分析心という一つの心になるわけではない。言い換えれば、分析心と反応心という“独立した”二つの心が存在するわけではない。分析心と呼んでいるものは単に純然たるマインドであり、反応バンクはマインドの一部を構成しているのである。そのマインドのメカニックス(機械仕掛け)の一部が反応バンクという別のメカニックス(機械仕掛け)に侵食されているだけである。だから、マインドから反応バンクが消滅すれば、マインドはアナライザー(分析器)という分析的な機械仕掛けのみになるということである。バンクとはケースであり、ケースは東洋の宗教ではカルマと呼ばれている。東洋の宗教(ヒンドゥー教など)とサイエントロジーの違うところは、ケース(カルマ)を絶対的な自然法則であるとは見做さないということである。もちろん、各集合宇宙の自然法則も(強制の度合いは異なれど)合意されたものであり、バンク(ケース)のメカニズムも本人が合意しているものであるが、オバート・モティベーター連鎖も、またそのベースであるGPMも、東洋の宗教が教える物理学の作用・反作用の法則のような、逃れられない天の法則(パーソナリティ力学)あるいは宿命といったものではないのである。
d537557a Old Timer i1b5ibip3kS 2022-10-24 11:31
>>d19f89ec

GPMはゴールとそれに関係するケース要素が一体となったもの。

The Factors

` 1     Before the beginning was a Cause and the entire purpose of the
` Cause was the creation of effect.

` 2     In the beginning and forever is the decision and the decision is
` TO BE.

GPMでゴールを列挙していくのはFactor 1、ターミナルとオプタームを列挙して
いくのはFactor 2に基づいている。GPM処理は菜園の

` 6     The action of a dimension point is reaching and withdrawing.

UCPはFactor 6に基づいている。
9e6ae960 Old Timer 2022-10-24 12:04
>>d537557a

*GPM処理は菜園の → GPM処理は菜園の基礎理論を直接反映している。
e75529c1 Old Timer i1b5ibip3kS 2022-10-24 18:37
幅度が苦手としていたことの一つに外国語がある。 "現在にいる" ことに執着す
ると、外国語を習得するのは難しい。

ケースレベルが上がるにつれ、人の注意力が主に働くのは、過去→未来→現在と
移っていくものだが、さらに高いレベルに達すると、過去・現在・未来にまたが
って生きるようになる。幅度はそのことを «人間の能力の創造» で述べているの
だが、その後の菜園において忘れ去られてしまう。
8576475e anonymous 2022-10-24 23:39
>>b9a4afd2

「隠された基準」の真の問題は、それがサイエントロジストにとって、実際には隠されてはいないことです。オーグに通うパブリックは、OTの能力あるいはOT現象について、LRHの文献やサイエントロジー教会の発行する諸々の雑誌で読んだり、サクセスストーリーやオーグのイベントやスタッフ/パブリック間の噂、あるいはレジストラーのセールストークの中で耳にしたことがあるはずです。リストアップすれば、全タイムトラックの想起(全タイムトラックは自分の目の前の空間に小さな0の数字を並べてもいっぱいになって埋もれてしまうほどの長さがある)、肉体をコントロール可能な/完全な知覚(360度の全方位のパノラマの視界を含む)を伴った外在化、リモートビューイング、霊視、ヒーリング能力(セルフヒーリング能力含む)、テレパシー、テレキネシス、引き寄せ現象(所有性のコントロール)、テレキネシス、対向車の運転手に意図を置いてアナテンから目覚めさせ(PTに意識を置かせ)ブレーキを踏ませて事故を回避する、追突の寸前に時間をストップ(一時停止)して自動車事故から逃れる、空のガソリンタンク(ガス欠)の自動車に生成したガソリンを補給する(MESTの生成)、時空を超越した知覚能力(完全なノーイング)、などなどです。これらは、(真の)OTであるならば、当然持っていなければならない能力です。また、(教会版では頂点のⅩⅤはリリースされていないが)ブリッジの頂点に至っても、なおこれらの能力が回復しないとしたら、サイエントロジーそれ自体のデータが偽りであるということになるでしょう。ロンズオーグのCBRブリッジが機能しないのは、ブリッジの頂点に至っても、これらのOT能力が回復される保証がばいからです。一方、現・教会版(≠LRH版)のブリッジにおいても、NewOTレベルとOTⅧの低階層のPreOTの段階では、散発的なOT現象は生じても、これらのOT能力が回復される保証はありません。OT現象の処理という主題はNewOTⅠのマテリアルでも扱われていますが、それがOT現象と呼ばれる所以は、散発的かつ一過性の現象として起こるものだからです。つまり、それらは起こり得ますが、教会のブリッジのNewOTレベルの段階では、恒常的なOT能力ではないのです。低いPreOTレベルの段階では、たまたま諸条件が整った時にOT現象が生じますが、その条件を知悉し自ら現象の条件を作り出せるわけではありません。OT現象を起因となって再現できるようにならなければOT能力が回復したとは言えず、完全なOT能力が回復しなければ、真のOTとは言えません。ポジティブゲイン(正の向上)として、一過性のOT現象を徐々に恒常的なOT能力へと定着させることが、上位のPreOTレベルの課題と言えるでしょう。
32c3a593 anonymous 2022-10-24 23:41
>>d537557a

GPMにとオバート/モティベーター連鎖の関係について、他の閲覧者にもわかるように補足させていただきます。

セイタンのゲームは、(ゲームである以上)基本的なゴールというものが存在します。しかし、過去のゲームの勝利や敗北の評価に関して同一化あるいは逸脱が生じると、マインドにゴールに関連する質量(≒バンク)が生じるようになります。いったん、ゴールにバンクの質量が紐付けられるようになると、セイタン(個人)はオバートサイクル(及びDED[デッド])と含むモティベーターサイクル(及びDED−EX[デデックス])を相互に繰り返すようになります。これは、LRHのブックワン(DMSM)で記述されていた、「勝者のベイランス」と「敗者のベイランス」と関係しています。

ホモ・サピエンスとしてのセイタンには、肉体の生涯というサイクルの外側に、セイタンとしての大きなライフサイクルが存在します。このサイクルの一つ一つは何十兆年にも及ぶもので、一つのサイクルの中に無数の肉体の生涯が存在します。また、それぞれのサイクルのゴール及びアイデンティティはサイクルの前後において反転しています。つまり、前のライフサイクルがオバート(加害者)側のゴール/アイデンティティであったとすれば、その直後のライフサイクルではモティベーター(被害者)側のサイクルです。一つ一つの肉体の生涯の単位で見れば、オバートサイクルの途上にあるセイタンは、次の肉体でもオバートサイクルのゴール/アイデンティティを繰り返します。モティベーターサイクルの途上にあるセイタンは、次の肉体でもモティベーターサイクルのゴール/アイデンティティを繰り返します。つまり、肉体の単位で見れば、オバート(加害者)側の途上にあるセイタンは、次の肉体でも、さらに次の肉体でも一連のオバートサイクルのゴール/アイデンティティを繰り返します。逆に、モティベーター(加害者)側の途上にあるセイタンは、次の肉体でも、さらに次の肉体でも一連のモティベーターサイクルのゴール/アイデンティティを繰り返します。

肉体の次元(タイムスパン)で見れば、一連の肉体の生涯における加害者のゲーム(オバートサイクル)の連続と、一連の肉体の生涯における被害者のゲーム(モティベーターサイクル)の連続があります。ここが、カルマの作用/反作用が一つの肉体の生涯の前後において生じると考えるヒンドゥー教等の東洋の宗教の輪廻転生観とサイエントロジーの哲学との違いです。さらに、このセイタンのライフサイクルの期間は、反転を繰り返す度に短くなっていきます。肉体の“若さ”とセイタンのライフサイクルの“若さ”は別物です。肉体の年齢よりも、セイタンのライフサイクルにおける年齢のほうがより本質的な年齢です。肉体の年齢が若いにも関わらず無気力なホモ・サピエンスは、セイタンのライフサイクルの終焉に近い可能性があります。このセイタンのライフサイクルの期間(セイタンの寿命)は、(ゴール/アイデンティティに関わる反転の)ライフサイクルを重ねるほど短くなり、サイエントロジーのブリッジにリーチしない限り、(気の遠くなるような未来において)最終的にセイタンがGPMの質量によって完全なメカニックスの塊へと堕するまで続くでしょう。

ここで、基本的な用語を解説します。オバートとは生存のダイナミックスに対する有害な行為のことであり、モティベーターとはオバートを駆り立てられる要因です。つまり、生存のダイナミックスに対する有害な行為の被害者です。被害サイクルの蓄積は新たなオバート(サイクル)を生み、加害サイクルの蓄積はその正当化や贖罪としての新たなモティベーター(サイクル)を生みます。なお、アウトエシックスとは、オバートとモティベーターの両方を包含する概念です。エシックスとは、生存のダイナミックスの最適解を意味します。加害も被害も、反生存的な事象ですからエシックスの基本原則に逸脱しており、つまりアウトエシックスです。LRHがブックワン(DMSM)で述べているように、「自己中心も自己犠牲も誤り」です。

このオバート/モティベーターと似た用語としてDED[デッド]とDED−EX[デデックス]があります。DEDとはモティベーターを持たないオバート行為です。DEDはモティベーターを持ちませんから、DEDを抱えたセイタンは、タイムトラック上の“事後”に、そのDEDを正当化し得る被害事象を探してこなければなりません。これが、DED−EXです。DED−EXは概して、自らが犯したDEDにおけるオバートとは比較にならないほどの小さな不幸です。そして、DED−EXはDEDの“後に”生じたものですから、DEDの正当化のための根拠とはならず、最初から非論理的な(逸脱した)ものです。

もう少し具体的に、GPMのサイクルを見て見ましょう。セイタンのライフサイクルの初期には、オバート(及びDED)あるいはモティベーター(及びDED−EX)に関わるゴールが存在します。そして、セイタンはそのゴールの達成に必要なアイデンティティを身に着けます。勝利と敗北の評価の逸脱によって、ライフサイクルの末期においては、アイデンティティが初期のものとほぼ反転しています。アイデンティティが反転するため、ゴールも反転します。やがて、そのセイタンはライフサイクルの終末に至り、意識を失います(セイタンとしての死に至る)。どれだけの時間が経過したことでしょうか、ある時、そのセイタンは意識を回復し、自分は降霊術か何かで復活した(生き返った)のだろうかと考えます。ここから、新たなライフサイクルが始まります。この新しいライフサイクルは、前回のサイクルの末期における(サイクル初期のゴール/アイデンティティから)反転した状態の続きです。ですから、前回のライフサイクルの末期のゴール/アイデンティティとは連続していますが、当初のゴール/アイデンティティとは反転しています。ゴール/アイデンティティの反転というのは、既述した通り、オバート(加害)サイクルとモティベーター(被害者)サイクルの“振り子(連鎖)”のことです。サイエントロジー(≠サイエントロジー教会)のブリッジを昇って真のOTに至らない限り、このセイタンのライフサイクルの“振り子(連鎖)”、そしてそのライフサイクルに関わるバンクの質量であるGPMから自由になることはできません。このセイタンのライフサイクル(ゴール/アイデンティティのパッケージ)の蓄積に基づくGPMに、懲罰的なインプラントGPMやセータラインの分岐(セイタンの分割)が加わるため、ケースが複雑になるのです。
ca886841 anonymous 2022-10-24 23:50
>>e75529c1

古[いにしえ]の過去に合意された言語概念の理解(人間の音声と言語概念の紐付け)はテレパシー(あるいはARC及びTR)に依存するものですし、OT能力におけるノーイングネスの頂点は時空を超越した知覚力ですから、ノーイングネスの頂点に至れば過去の生涯における言語の経験が存在しなくとも、“現時点”におけるデュプリケーションによって、一瞬にして言語経験≒言語能力を獲得することはできなくては、真のOTの証明とはならないでしょう。
ea2fae21 anonymous 2022-10-25 00:16
>>a02385e2

NewOTⅥは(Pre)OTレベルですらなく、単に上級ソロメータリングコースですね。OldOTⅣ〜Ⅶはポジティブゲイン(正の向上)を扱うモックアッププロセシングで、本来はOTⅧの前提条件となっていました。なお、現行の教会のRTC監修によるOTⅧのマテリアルはLRH時代のオリジナルのマテリアルに比べてかなりの省略と改竄が為されているようです。
ab46c111 anonymous 2022-10-25 01:03
無神論と唯物論は、人間は自然(物質)の奴隷なのだということを徹底的に刷り込もうとする。人間の自由意思の否定もこの試みの一部である。これ以上の偽りはなく、これ以上の人間の尊厳に対する冒涜はなく、これ以上のマインドコントロールはない。

唯物論≒無神論においては全ては物質である。一方、イスラム教においては全ては神である。どちらも運命論であり奴隷意思の肯定である。全ては物質と全ては神の中道に真実は存在する。その答えを出せる宗教哲学は、サイエントロジーしか存在しないだろう。
c905f924 anonymous 2022-10-25 04:33
逸脱の基となるデータム

反応バンクにおいて、幾つかの逸脱は他の逸脱に比べて非常に強力である。そこには、誤解語や偽りのデータ及びそのチェーン上のベーシックである基となる偽りのデータムとともにほんの少しの真実が含まれている。ゆえに、その真実が逸脱を固着してしまうのである。美的感覚も同様である。美的感覚のモッカリー(まがい物)である性的快楽は、セイタンの興味を肉体へと惹き付け、また逸脱を固着させる。古代の宗教においても、性的快楽を悟りと結び付ける実践は数多く存在した。もちろん、反生存的な禁欲主義が悟りをもたらすわけではない。ゆえに、世間と出世間の中道が重要なのである。セイタン(人間)は真実と美的感覚に惹かれる。なぜなら、真実と美的感覚はセータであるからである。ゆえに、セイタンは真実や美的感覚に飢え、偽りのデータに含まれる僅かな真実や美的感覚のモッカリーにしがみつく。これが、逸脱を固着させ、かつ強固にするのである。

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