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6ac77602 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-06-19 23:43
>>9d955ab7

「人生は一度きり」 と考える人と、菜園人とでは、生き方が違ってくるのは仕方がない。 俺自身も、次の生涯に備えることにある程度の時間を充てながら生きている。

菜園人の人生が小さくまとまるかどうかは、まぁ、それぞれの菜園人次第だろう。 「人生は一度きり」 と考える人ほどには、菜園人は肉体の死を怖れていないので、冒険的になる人もいるはずだ。

世俗的な目標を持つことが、菜園人を社会的により健全にする ―― と俺は思う。 デンマークでは国民議会の議員になった菜園人がいた。
b2ddfe10 anonymous 2023-06-27 00:11
>>86649b8d
ありがとうございます。
Super Scio、読んでみます。
eadfa812 anonymous 2023-06-27 00:15
>>6ac77602
「肉体の死を恐れていないので冒険的になる」と「世俗的な目標を持つことが菜園人を社会的により健全にする」というのは確かに納得というか、そうかもしれないと感じました。
ご回答ありがとうございました。
9d2506cf Old Timer i1b5ibip3kS 2023-06-27 11:34
菜園人は時々評価に身をさらすべきだろう。

例えば、トム・クルーズは菜園人で、世俗でも成功している。 映画作りに参加することは、クルーズの世界認識にある程度健全な均衡をもたらしているはずだ。 菜園人でなくても、優れた映画を作る人々がいるのだ。

幅度は «生徒の帽子» コースを作り出す過程で、自ら写真技術を学んでいる。 しかし、幅度は写真コンテストには参加していない。 これは実に残念なことだ。
993d7827 anonymous 2023-07-07 06:43
>南無妙法蓮華経と唱え続けると元気になる、みたいなお経を繰り返すことで気分が良くなる仕組みを菜園では何か説明されていますか?

南無妙法蓮華経であろうが、南無阿弥陀仏であろうが、オームであろうが、題目や念仏や真言その他のマントラを繰り返すことで気分が良くなるとは限らない(聴くだけで気分が悪くなる人もいる)し、気分が良くなったとして、それは、クリアリングによるケースレベルやダイナミック(パワー)の向上および回復に寄与するということとは全くの別問題です。この場合、クリアリングを、悟りや解脱(フルスペックのOT)と言い換えても同じです。

南無妙法蓮華経の題目に関して言えば、これは、凡夫僧であった日蓮の法華経信仰のイデオロギーをベースとした、人知と情緒(好み)に基づく創造の産物であり、諸法の実相に基づき、凡夫を悟り/解脱/涅槃に導く実践ではありません。南無阿弥陀仏の念仏も、真言も同様です。
b1038fee anonymous 2023-07-07 19:52
サイエントロジー教会が提供する、勉強の技術も、コンディションの公式も、アドミンのノウハウも、エシックスの技術も、何かしらの(無明と無能を誘発する)バグが含まれているものと考えて間違いないでしょう。

LRH自身が、これらの技術やノウハウを用いていたとは思われません。オーディティングの技術ですら、そうでしょう。LRH自身が秘匿(ウィズホールド)した要素や意図的あるいは無明により非意図的に含まれたバグが存在しているはずです。
22a039a8 anonymous 2023-07-07 23:21
米国の情報開示記録から知ることのできる、サイエントロジー教会と旧統一教会の共通点は、ともにCIAが支援した反共主義に基づく世界工作のための教団だということである。

違いは、サイエントロジーが19世紀から始まるMI6の純粋培養のサイキック研究プロジェクトで、統一教会が文鮮明の創設したキリスト教系の異端教団の一つだということ。
7c3df8dd anonymous 2023-07-08 08:22
>>993d7827

南無妙法蓮華経だろうが、南無阿弥陀仏だろうが、真言だろうが、「1億稼ぐ!」というアファメーションだろうが、マントラには変わりない。念仏以外は現世利益の手段であるし、念仏はあの世の利益を目的としている。

それで、マインドを欺いて、引き寄せのような一過性の所有性の向上、言い換えるなら現世利益を得たとして(念仏は現世利益が想定されていないので対象外だが)、悟り/解脱/涅槃に至る道筋で得られることになる、恒久的な所有性の向上(真の引き寄せ能力)は得られない。
f3b18207 Old Timer 2023-07-13 12:25
動作の繰り返しは繰り返すことそのものにケース改善効果があるんだよ。 経典の題目や内容は菜園の観点から見ればあまり意味がない。
題目を唱える代わりに、バットや竹刀を振り回してもいいし、空手や拳法の套路を練習してもいい。
a321e942 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-07-14 06:00
>>f3b18207
俺が書いた。
85776f1c anonymous 2023-07-15 00:27
>>a321e942
ネテロ会長の感謝の正拳突き1万回にもケース改善効果があったのか…
1fde9509 anonymous 2023-07-16 11:27

仏教における大乗非仏説の暗黙の前提である、パーリ経典正統仏説論(パーリ経典正典論)を破折する。

一昔前の仏教学の世界においては、パーリ仏典こそ、お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)の唯一の直説[じきせつ]が当時のままに残された唯一の経典であることは疑い得ないものとされていた。

大乗非仏説は、パーリ仏典と大乗仏典を対比されることで、パーリ仏典の正統経典(正典)としての権威を宣揚するという目的がある。大乗仏典が誤りなのであれば、(大乗仏典ではない)パーリ仏典こそが唯一の正典なのだというロジックである。つまり、パーリ仏典を権威付けするための材料として、大乗仏典を引き合いに出しているのである。これは、パーリ仏典を引き立てるために、創作と分かりやすい大乗仏典を持ち出しているだけである。

パーリ仏典と大乗仏典の違いは、ともに後世の創作(偽のゴータマ・シッダールタ伝)であるが、パーリ仏典は創作と分かりにくい編集形式である一方、大乗仏典は創作と分かりやすい編集形式であるに過ぎない。

「あらゆるパーリ仏典はサンスクリット仏典や漢訳仏典よりも古く、ゴータマ・シッダールタ在世当時の(仏教の)教えを忠実に伝えている」という“仮説”は、21世紀現在の学会では、もはや通用しなくなっている。

下田 正弘(インド哲学者)

「『正典概念とインド仏教史』を再考する − 直線的歴史観からの開放 − 」

日本印度学仏教学会

『印度學佛教學研究 第68巻 第2号』

令和2年3月、pp.1043−1035

以下の「」内はパーリ仏典の神話である。これらは、ことごとく的外れで見当違いである。

➀「パーリ仏典およびパーリ仏典を今日に伝えるテーラワーダ(テーラヴァーダ)仏教は、お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)が直接説いた教えで、オリジナルの原始仏教・初期仏教・根本仏教である。

一方、大乗仏典は、ゴータマ・シッダールタの滅後約500年後に編纂された後年の創作経典である。ゆえに、仏説ではなく学ぶに値しない。」

〈破折〉

パーリ仏典の成立は、最古層でもゴータマ・シッダールタの滅後約200年、大半は仏滅後約300年から400年後に編纂されている。一方、大乗仏典はゴータマ・シッダールタの滅後約500年後の成立であり、年代的にそんなに大きな差はない。少なくとも、一方が直説で、もう一方が創作などと言えるほどの差ではない。

パーリ仏典に記されている「結集」は、自らの経典の正統性を権威付けるためのフィクションであり、史実である証拠は存在しない。パーリ仏典も大乗仏典も、同様に作者は不明である。

そもそも、宗教上の経典に限らず、昔誰かの手によって書かれた文献が、創作で書かれたものか、史実に基づく記憶によって書かれたものか、あるいは創作と記憶の混合に基づく作品かは、出土品ではわからないし、史実に基づく記憶の記録と創作を識別する方法も存在しない。ある歴史上の文献あるいは文書が、記憶に基づくものか、創作に基づくものかを識別する確実な証拠を得る方法というものは、文献学では原理的に存在しない。それらは、いくら文献を眺め読み込んだとしても、仮定ができるのみで、実際のところはわからない。つまり、経典の真偽は、文献学的には答えの出ない問題である。

➁「ゴータマ・シッダールタはパーリ語で教えを説かれた。それがそのまま口伝され、誤りなく書き記された経典はパーリ仏典およびテーラワーダ仏教のみである。ゆえに、パーリ仏典はゴータマ・シッダールタの直説[じきせつ]にして金口[こんく]である。

一方、大乗仏典はサンスクリット語や漢語などに翻訳されている翻訳経典であり、ゴータマ・シッダールタの教えが正しく伝わっていない。」

〈破折〉

パーリ語もゴータマ・シッダールタの用いたオリジナルの言語(自然言語)ではなく翻訳言語であり、サンスクリット語と同様に、経典翻訳用の人工的言語である。テーラワーダ仏教では、とにかく時代が古いことが真実の証拠だとするが、漢訳の大乗仏典においてはパーリ語よりも古い翻訳も存在する。ゆえに、古さを正統性の唯一の基準として争うなら、パーリ仏典は大乗仏典にいくらでも負けてしまうことになる。

K.R.ノーマンおよびO.フォン=ヒニュニーバによれば、現在利用可能なパーリ語仏典の写本は、ほとんどが18世紀から19世紀のものであり、極めて近年のものである。

(von Hinüber 1983,78; 1994,188; Geiger and Norman 1994,XXV)

しかも、これらのパーリ仏典の写本がどのような過程をたどって現在に至ったのかについての情報がほとんど存在しないため、近代(18・19世紀)以前のパーリ仏典の足跡は、パーリ仏典の写本自身からは知り得ない。

皮肉にも、漢訳の大乗仏典のほうが歴史的資料としての価値は高いと言える。漢訳の大乗仏典の諸経典は、『道安録』を起点とするなら4世紀以降のパーリ仏典の写本よりよっぽど古い時代から、その翻訳状況の記録とともにその伝承過程が記録されている。パーリ仏典の歴史的資料としての価値には、漢訳仏典と比較しても、かなり限界がある。パーリ仏典が、唯一の正統仏典(正典)などとは、とても言えない。一昔前は、パーリ仏典こそ、唯一のお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)の直説[じきせつ]が記された経典であると言われていたが、実際に研究が進むと、全く事実は異なっていたのである。

そもそも、実在のゴータマ・シッダールタの沈黙の説法(いわゆるテレパシーだが、テレパシーを超越した思考の直接的伝達、概念的理解及び完全なデュプリケートをもたらす)は何語でもないのだ。


➂「パーリ仏典は、死後の世界等の形而上学的な事柄や神秘的な事柄を一切説いていない。ゴータマ・シッダールタは、人間の死後の問題を戯論[けろん]と断じ、無記[むき]を唱えてお答えにならなかった。このように、パーリ仏典は、因果の道理や諸行無常を説いた、論理的で科学的な教えである。パーリ仏典には、当たり前のことが当たり前に説かれている。ゆえに、ゴータマ・シッダールタの教えは、宗教ではなく哲学であり、現代的も納得できる常識的なものである。

一方、大乗仏典は、パーリ仏典と説かれている中身が乖離[かいり]しており、荒唐無稽であり非科学的である。信ずるに値しない。パーリ仏典と異なる(相反する)ことを説いている大乗仏典は、非科学的・非論理的な非仏説である。」


〈破折〉

例えば、パーリ仏典群において、ダンマパダ(法句経)やスッタニパータにも来世は説かれているし、空中に浮かんだ、生前に極悪人だった死霊が霊的な鳥に霊体を食いちぎられる様子なども説かれている。パーリ仏典において、来世や輪廻転生は自明の理であった。それだけでなく、“物理的な”空間としての地獄の有様が詳細に説かれている。

大乗仏典はパーリ仏典のコンテンツをベース(前提及び材料)としているために、パーリ仏典正典論が生じた。パーリ仏典と大乗仏典は、表現形式が異なるだけで、どちらも後世の創作である。両者の違いは、パーリ仏典は教義をゴータマ・シッダールタを用いた言葉で表現し、大乗仏典は教義を視覚的かつ文学的に、つまり、ドラマチックに表現しているということである。大乗仏典は奇想天外で荒唐無稽だから偽の経典で、パーリ仏典こそが唯一の正典であるという桐山・阿含宗並の主張は、既に時代遅れである。

大乗仏典の奇抜さは、教義の視覚的な表現である。しかし、「事実は小説より奇なり」である。現存するどの仏典にも、ゴータマ・シッダールタの雄弁な沈黙の説法(「沈黙は言葉以上に雄弁に語る」)も、千里眼を用いて入門者をターゲティングしたことも、解脱者の不食能力ゆえに托鉢は形式的なもので、本来は不要だったことも書かれていない。

もちろん、パーリ仏典が仏教の正典たり得ないからといって、大乗仏典が仏教の正典たり得ることにはならない。

大乗仏典には諸仏という言葉が存在するが、パーリ仏典においてさえ、仏(仏陀)という言葉は固有名詞(ゴータマ・シッダールタ)のみではなく、複数形の普通名詞としても用いられていた。ゆえに、究極的には、経典の価値は誰が書いたかではなく、書かれた内容が真実・真理に即しているか否かで決まる。

しかし、今日に至るまで、現存するパーリ仏典及びテーラワーダ仏教と大乗仏典及び大乗仏教ともに、凡夫をして一生涯の間に解脱/悟り/涅槃に至らしめるという、宗教的な実証(正法たる現証)は存在しないのである。
e2ac0dc8 anonymous 2023-07-17 20:41 1689594101.jpg (74KB)
ラルフさんの回路を参考に計装アンプを使ってメーターを作りました。
検証用に作ってみたのですが、普通に使えました。

〇VR1:
 トーンアーム用のボリュームです。
 22kΩの抵抗とブリッジを作ることで、BカーブのボリュームとTA値がほぼ比例します。
  ボリューム最小≒TA1
  ボリューム最大≒TA6.5
 50kΩがバランスが良いと思いますが、Bカーブならば10~100kに差し替え可能です。

〇VR2:
 感度設定用です。約2.9~56倍まで設定できます。
 Aカーブでないと使いにくいかと思います。

〇D1,D2:
 省電力整流用のダイオードなら何でもよいかと思います。
 このダイオードで出力をカットし、セット位置を約31μAに調整しています。

〇その他
 ・校正は不要です。
 ・回路の信頼性はボリュームの安定性にかかっています。
 ・電源を4.5[V]としていますが3~5[V]ぐらいまで使えます。
 ・秋月で入手できるAD623を使っていますが、AD8226も使えるかと思います。
  その場合、ピンの配置に注意して感度設定用の回路を変更する必要があります。
  LT1167は負電源が必要なので使えません。
bca813cf anonymous 2023-07-17 20:49
>>e2ac0dc8

LM385の極性が逆でした。
3cebbab4 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-07-21 06:49
仏教に関しては、キリスト教などと同様に、実践上でいろいろ試してみるしかない。

シッダールタが否定した苦行をまだ実践している宗派もある。 シッダールタは苦行を否定しているようだが、シッダールタが何らかの悟りに至った過程には苦行が含まれている。 他のやり方でうまく行かないなら、シッダールタがやったことを模倣するのは方法論として検討の価値がある。

シッダールタが有していたとされるいくつかの超常能力の獲得を重視する宗派もある。 菜園もこの流れから出てきた宗教だろう。
254c62bd Old Timer i1b5ibip3kS 2023-07-21 07:22
菜園では1976年版の技術資料が幅度存命期間中の最新版で、1991年版からだもう改竄が含まれていると考えられる。 現在の教会での実践は古参の菜園人が実践していたものとは異なる個所が多い。 技術フィルムなどで幅度が作ったものはもう使われていない。

現代の菜園すらこうなんだから、シッダールタが世を去ってから200年後の最古層のパーリ語経典も、シッダールタの教えをどれくらい忠実に反映しているのかは大いに疑問の余地がある。
fddd521a Old Timer i1b5ibip3kS 2023-07-21 09:58
そもそも、悟りやコグとは何か? これは例えば、 「一切は苦である」 のような人生観や世界観で、その応用が時に優れた技巧はたまた超能力のように見えることがある。 何かについて悟った人は、その悟りを言葉で説明できる。 しかし、相手がその悟りをすぐに実践できるのではない。 実践には、幾多の錯覚を乗り越える必要がある。

2007年にとある自由領域菜園人が自殺した。 彼には女性に 「モテない」 という悩みがあったらしい。 俺にも同様の悩みがあったので、 Waste-Have を10年以上実践した。 Waste-Have は低いグレードの一部分で、クリアーや準OTが実践するプロセスとしてグレードが低すぎるように感じられるかもしれないが、悩みがある分野では謙虚になるべきだ。

2019年に48歳になった俺に19歳の彼女ができた。 2023年現在、18歳の彼女がいる。

この件についてのコグは…

・「モテない」 男/女 は理想が高すぎて、話し相手が少なすぎる。

…というものだ。 しかし、このコグをいくら説明しても、 「モテない」 男や女が 彼女/彼氏 を作る助けにはならないだろう。 彼らはたぶん 「そんなことはもう分っているよ!」 みたいなことを言う。 Waste-Have のやり方を教えるしかないのだ。
09970dcf anonymous 2023-08-03 20:02

全タイムトラックには、二種類の異なるタイプの人間が存在することがわかるだろう。これは、この宇宙(スペースオペラ宇宙)のみに限らない。それは、思考人と電子工学人である。電子工学人は、たまたまある進化のラインにいて、彼らの文明は、重力の強い惑星上にあり、そのために電子工学を発達させる。一方、思考人は重力の弱い惑星上にいて、そのために電子工学に関わるものは何も発達させない。

思考人と電子工学人は人間(セイタン)のダイコトミーである。タイムトラック上におけるスピリチュアルな先住民と唯物的な侵略部隊との戦いが典型である。

全タイムトラックにおいて、思考人と電子工学人は必然的に対立し合う。これにより、ゲームに必要な豊富なランドミティーが提供されるのである。

個人のケースの観点からは、思考人≒先住民は主にモティベーターの経験であり、侵略部隊は主にオバートの経験である。

思考人には途方も無い活動の規律が存在した。作法、しきたり、禁忌[きんき]、儀式、風習、その他あらゆる複雑で不合理かつ的外れなルールの数々。それは、煩瑣[はんさ]な道徳である。実際のところ、その道徳律はほとんどが信仰・迷信・アービトラリーの類であった。思考人の物事を成す方法は、もっぱら思考によるのであった。

思考人と侵略部隊は、異なるコントロール(支配)の方法を用いる。思考人は道徳・迷信・宗教を通じてセイタンをコントロールした。一方、侵略部隊は電子工学を通じてセイタンをコントロールした。

思考人は、事の真相を忘れて逸脱した無数のルール(つまり迷信)に保護されて、スピリチュアルな文明で安住し、幸福に生きている。一方、電子工学人はあらゆる電子トラップを開発して、思考人であるセイタンをコントロール(支配)しようとする。

思考人と電子工学人の対立は、現在においても形を変えて存続している。思考人タイプは、スピリチュアルな事柄に関心を持ち、エコロジーや食の安全(ヴィーガンになるのはこのタイプである)といった事柄を価値観として重視し、文明の技術的な進歩や経済的な発展を堕落と考え嫌悪する傾向にあるだろう。一方、電子工学人タイプは、唯物論的な事柄に関心を持ち、エコロジーや食の安全より経済的効率性を重視し、文明のあらゆる技術的な進歩や経済的な発展を歓迎し促進させる傾向にあるだろう。

電子工学人タイプは、電子工学の成果を心の分野や宗教の分野に応用する(電気ショック療法のような野蛮なものは除く)ことは忌避[きひ]され、逆に、思考人タイプは、スピリチュアルな分野には関心を持つが、工学的な分野には一切関わろうとしない。ここに、工学とスピリチュアルな分野を融合したサイエントロジーという試みの価値が存在する。

特定の個人は、全タイムトラックにおいて、ある時期では思考人(原住民)であり、別のある時期では電子工学人(侵略部隊)であった。しかし、現生涯においてケースとして再刺激されるのは、思考人または電子工学人のどちらか一方の経験である。ゆえに、現代においても、スピリチュアルな事柄に反発する電子工学人と、工学・唯物的な事柄に反発する思考人の2タイプが存在する。これは、ローマ帝国のコロッセオ(円形闘技場)における青組と緑組の2チーム、現代のアメリカ合衆国における共和党と民主党の競争(戦い)と同じである。どちらも娯楽(ゲーム)を提供するものであり、ランドミティーをもたらすダイコトミーである。
561f7e03 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-08-10 07:18
>>09970dcf

おおむね合意する。さらに指摘しておきたいこともある。GPM末期にはターミナル側とオプターム側の活動が混ざり合う。

例えば、エコロジーや食の安全は唯物論的な考えだ。一方、経済的効率の実現には、意思の起因になっている魂を理解することが欠かせない。

思考人のルールは結局のところ唯物論的なものになる。豚肉を食べてはいけない、というのは、宗教的だが同時に唯物的だ。週末に教会に行くのも頗る唯物的な経験になる。

共和党と民主党はいずれも思考人と電子工学人の特性を持っている。トランプはツィッターを好んだ。バイデンは環境案件に関心を寄せている。
28d25335 anonymous 2023-08-12 14:44
このスレだけ長文だらけでこわい。

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