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aee39939 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 08:39
孔子が生きていた時代に、使えた主君ほとんどは30代でこの世を去った。 諸侯さえその人生は短かったその時代、15歳は人生の半ばあたりだ。 それなのに、孔子は15歳で学問を志した。 15歳ごろに、現在の日本の中学生は高校受験を経験する。

40歳になった時、孔子は迷いのない境地に至った。 公文書を改竄して自殺者を出す現在の日本の官僚たちを、孔子は40歳で軽く追い抜いている。

60歳になった孔子は、 耳順う、つまり、人の話を聞くことができる境地に至った。 60歳まで生きる人が稀であった時代に、孔子は人生の大先輩となっていたが、自分より若い人から学び続けた。

1965年に国際連合は生涯教育の推進を始めた。 2500年以上前に生きた孔子に世界は追いつこうとしているのだ。
25f7a1f0 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 08:43
イエス・キリストは宗教者たちに 「人を裁くことなかれ」 と教えた。 当時の社会、とりわけ、ユダヤ社会では、王が権能者で、王が不在ならば預言者が権能者で、預言者が不在ならば裁き人が権能者だったが、イエスは裁きの権能を宗教から分離しようとしたのである。

その後、約1600年間に渡って、教会は人を裁き続けた。

ルネサンス期に教会の権威は相対化され、低下した。18世紀になると、政治と宗教の分離、あるいは、政府と教会の分離を実現する国が増えた。

教会は弱まったが、イエスの本来の教えは当然の決まり事として社会に定着した。
ceef5b26 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 08:52
カール・マルクスは 『共産党宣言』 で民主主義を標榜し、 『資本論』 で自由市場、市場開拓、従業員の技能向上、組織の集約を説き、 『ゴータ要綱批判』 で成果主義と社会福祉を唱えた。

経済学の主流はマルクス経済学を排除したが、その結果、経済学は経営の役に立たなくなり、市場開拓、従業員の技能向上、組織の集約を扱う学問として、経営学が成立した。

マルクスの共産主義とは生産財の公有のことで、典型的な実践形態として公社がある。 イギリスは東インド会社を公社化して成功した。 アメリカにも公社がいくつも存在し、日銀に株を買わせたアベノミクスも共産主義を含んでいることになる。

マルクスの思想の役に立つ部分は、マルクスから切り離されて実践されている。
17a826c7 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 09:19
幅度が創設した菜園も、孔子、イエス、マルクスの思想のように扱われ、活かされていくと思う。 教会は衰退しているし、消滅するかもしれないが、そのことで、菜園はかえって広く実践されるようになるのだ。

例を挙げれば、現代の精神科では、双極性障害の劇症期にも精神科医は患者の話を聴くようになってきているし、プロザックの長期服用から生じる問題についても理解が進んでいる。 ケーススーパービジョンは治療的構造として精神科にも根付いている。

脳科学者や物理学者は転生の研究を始めている。
351af48e Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 10:46
菜園を活用するには、菜園そのものを対象とするメタな思考も必要になる。

荷物を目的地に運ぶときに、まずは地図を手に入れて、道順を決め、必要になるものを全て調達してから出発するという方法もあるし、まずは荷車を手に入れるという方法もある。 前者を 「地図の発想」 、後者を 「荷車の発想」 と呼ぶことにしよう。

1965年からのいわゆる 「規範的な技術」 は地図の発想による菜園実践だ。 理想的な聴聞士を育てるために、TRを叩きこみ、メーターの使い方を教え、ようやくレベル0の聴聞をやらせる。

一方、 「規範的な技術」 以前はどうだったのだろうか?

初期の菜園では、組織にやってきた人にまずレベル0の聴聞をやらせた。 メーターはない。 ルードメントもない。 ワークシートもない。 PCが話す内容は紙に大まかに書かれ、ついさっき組織に迷い込んだにわか作りの聴聞士に渡された。 セッションの継続時間はあらかじめ決められていて、セッションを開始することと終了することはコース監督が担当した。 これは荷車の発想だ。

地図時代の聴聞士は聴くスタイルが十分ではなく、メーターでリードを取れないことに悩む。 これはどこか 間抜けなこと (アセスメントの最中にPCが目を閉じていて、ある種のソロ聴聞をやってしまっているとかさ) をやっているからだが、ケース監督も地図時代に訓練を受けていたのならば、問題点が分からないことが多い。 一言で言えば、硬すぎる。

一方、荷車時代の聴聞士は聴くスタイルがしっかりしていて、クラスIIともなればメーターでリードを取るのが非常にうまいのだが、Q&Aに関する警戒心が弱く、PCにセッションの主導権を奪われてしまうこともある。 一言で言えば、柔らかすぎる。

荷車の発想をさらに強めると、無人島版の菜園に辿りつく。 メーターは不要になるが、プロセスにかかる時間も長くなる。
d289a91c Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 11:13
人も組織も地図型と荷車型のどちらかに偏るものだ。 型を急激に変更しようとするときには注意が必要だ。

幅度はもともと荷車型に寄っていた。 最初期の戴安寧は 「クリアー」 や 「完全な自由」 といった目標から逆にたどって作られたものではなく、戦争で傷ついた心身を何とかするためものだった。 1960年代後半に幅度が急激に地図型になったことは、多くの菜園人に不愉快な思いをさせ、幅度自身を破滅させた。

トヨタ自動車のカンバンとカイゼンは荷車型だ。 トヨタは 「グローバルマスタープラン」 のようなものを導入したときに、地図型に傾きすぎて、大きな損失を被った。 今のトヨタはEVも作るようになったが、ハイブリッドも作るし、ハイブリッドではないガソリン車も作っている。 経営は安定を取り戻している。

グーグル (社名はアルファベットになったがね) は地図型の企業なので、荷車型の業務では失敗が多い。 Google+などのSNSではうまくいったことがない。

フェイスブック (今はメタだがね) はもともと女子大生の写真を共有する趣味的なサーバー運用から始まっていて、極めて荷車型の企業だ。 メタバース事業は地図型の発想が必要なので、苦労が長く続くだろう。
6d252b61 anonymous 2024-03-11 12:48
>>5cb96fac

私には、オールドタイマーさんは、『因子』の内容を(ニューエイジ的な解釈或いは信仰によって)誤解しておられると思われます。

※オールドタイマーさんが、いったい『因子』についてどのような理解をしておられるのか、大変興味を持っています。

ここでは端的に申し上げます。ニューエイジ系スピリチュアルでよく語られる「ワンネス」という概念が存在します。このワンネスという状態は、MESTユニバースにおける(生命もMESTも含めた)全ての視点です。このワンネスの認知を得ると、「私という個は幻想だったのだ、全ては繋がっているのだ、万物は一体なのだ」という信念とともに強烈な高揚感を得ます。LRHの言うところの「柱に昇った(※柱に昇って宇宙の真理を垣間見た)」状態です。そのワンネス体験も一過性のものであり、その人は、やがて、平凡な日常へと戻っていきます。

此処からが真のスタティック(涅槃/セータユニバース)≒真正のOTへの分岐点です。MESTユニバースの全視点とは、言い換えればMESTユニバースとの一体化であり、これは低レベルなコグニションです。なぜなら、我々住むこの集合宇宙の外側には、幾つもの古い集合宇宙が存在しているからです。もちろん、外側の宇宙における全視点というものもあり得るでしょう。しかし、究極的に求めるべき涅槃たるセータユニバースにおける存在性とは、全ての集合宇宙や天界からの外在化に他なりません。

さて、強烈なワンネス体験から、平凡な日常に戻ると、「全ては一つ(私という個は存在しない、私はあなたであなたは私)」というコグニションが全く機能しないことに気付くでしょう。そして、日常生活の苦悶の中で、ワンネスのコグニションがよりメタな視点にアップデートされていくと、ワンネスと言っても、それは“私の”ワンネスなのであって、私以外の他者が依然として存在するのだということに徐々に気付いてきます。つまり、ワンネスはセイタンの数だけ(無限に)存在し得るという認識です。これが、「私は私で、あなたはあなた」という高次のコグニションなのです。

サイエントロジーは、私という個の融解を目指すような宗教実践体系ではありません。真正のOTとは、究極の個の確立であり、ケースレベルが上がるほど、他者と自己ははっきりと区別されていきます。

そして、その個の能力は同一ではなく千差万別です。どのセイタンも、他者つまり過去の創造物(ゲーム)を知る能力=ノーイングネスは潜在的に同じです。一方、MEST及びゲームの創造物を創造する潜在的な創造性の能力(未知のゲームを創造する能力)には明らかに違いがあります。前者は受け身としてのノーイングネスであり、後者は起因としてのノーイングネスです(LRHの『サイエントロジー:思考の原理』参照)。
7a9de3f7 anonymous 2024-03-11 12:53
>>1248c13b

誤ってリードがないターミナルを低いグレードで処理した場合も過剰な深掘りになりますか?

それと、リードのあるターミナルをグレードIIの基本プロセスで処理する際のフローはこんな感じでいいしょうか?

ターミナルが漁師(第三者)の場合

F1「漁師(第三者)はあなたに何をしましたか?」
F1「漁師(第三者)はあなたから何を差し控えましたか?」

F2「あなたは漁師(第三者)に何をしましたか?」
F2「あなたは漁師(第三者)から何を差し控えましたか?」

F3「漁師(第三者)は他の人に何をしましたか?」
F3「漁師(第三者)は他の人から何を差し控えましたか?」

F4「他の人は漁師(第三者)に何をしましたか?」
F4「他の人は漁師(第三者)から何を差し控えましたか?」

F0「漁師(第三者)のせいで自分に何をしましたか?」
F0「漁師(第三者)のせいで自分自身から何を差し控えましたか?」

ターミナルが漁師(自分)の場合

F1とF2はF0と同じになるので省略。

F3「漁師(自分)は他の人に何をしましたか?」
F3「漁師(自分)は他の人から何を差し控えましたか?」

F4「他の人は漁師(自分)に何をしましたか?」
F4「他の人は漁師(自分)から何を差し控えましたか?」

F0「漁師(自分)のせいで自分に何をしましたか?」
F0「漁師(自分)のせいで自分自身から何を差し控えましたか?」

また、過去のターミナルがしたことや差し控えたことを具体的に思い出せない場合は、下記のようにmightに変更して処理してもいいのでしょうか?

「What might (item) do to you?」
「What might (item) withhold from you?」
22df9b25 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 14:20
>>6d252b61

俺が言っているのは 「ワンネス」 とは違う。

不滅の個を信じるのはヒンズー教の特徴で、不滅の個を否定するのは仏教の特徴だが、仏教が 「ワンネス」 を支持しているのではないよ。

この点はそなたのケースレベルが上がるなりすれば、やがてわかってくると俺は思う。 そなたも俺について同様に思うのかもしれないが、それは俺の関心ごとではない。 俺は荷車の発想に寄っているからだ。 重要なのは日々のセッションであり、まだ惑星も自由自在に傾けられないなら、 「ワンネス」、不滅の個、数を超越した虚無のようなものにあまり関心は湧かないね。
6d5ad141 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 14:45
>>7a9de3f7

プロセスをEPまでもっていこうとせず、とりあえずFP⁠で止めればいい。 その後、右手ボタン 「抗議があった」 「何かを値踏みされた」 「何かを提案された」 「間違いがあった」 を押してみる。 右手ボタンは処理可能なチャージがないアイテムをリードさせる要素を取り除く道具なのだ。

例: 漁師に関して、何かを値踏みされましたか?

リード (メーター上の、とは限らないよ) があれば、それを聴くスタイルや口枷をしたスタイルで処理する。 右手ボタンのいずれにもリードがなくなったら、再び 「漁師」 にリードがあるかどうか確認する。 リードがなければ 「漁師」 は処理すべきアイテムではない。

--

裏事情には、経験した訓練体系によって、PCに対してあるいは自らがソロのPCとして得られるリードの種類と頻度に違いがあるということが指摘できる。

柔らかい訓練を経ているならば、 リードすべきではないアイテムをリードさせる傾向 (これは、柔らかい聴聞士はセッション中の大きな問題に気が付きやすいが、個人的な癖が多少残っていて、PCに反発されることも往々にしてあるからだ) があり、1960年代前半までは右手ボタンが多用された。 リスティングにおいて左手ボタンを使うことは全くなかったのだ。

硬い訓練を経ているならば、ややもすれば機械的な手順がPCを委縮させ、リードすべきアイテムでリードを取れないことが多くなる。 それゆえ、左手ボタンを使うことが多い。 リスティングですら左手ボタンを使う。 右手ボタンを使ったことがない聴聞士も多い。
b921ce88 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 14:54
多段L&NつまりL&Nで見つかったアイテムに基づいてさらにL&Nを行う場合、アイテムは 信頼できるアイテム (reliable item) でなければならない。 GPM処理のうち、多段L&Nを駆使するクリスクロスはケースを非常に深く掘るので、アイテムの間違いは禁忌であり、右手ボタンを押した後でも、アイテムにリードとしてロケットリードつまり高速のLFを要求していた。
6c933aac Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 15:24
まだ若い頃、おそらくは教会を設立する前に、幅度は超常的な能力を発揮するインド人たちに遭遇した。 だが、幅度は彼らに教えを請わなかった。 アメリカ人としての矜持がそれを許さなかったのかもしれない。

まずいことに、幅度は教会設立後、講演でこれらインド人たちを見下す発言をし、菜園を持ち上げた。 インド人たちと交流して彼らが持つ知識を手に入れる機会を、幅度は自ら閉ざしてしまったのだ。

そんな幅度の前にも、やがて老化と死の予兆が立ちはだかった。 幅度より先に肉体を離れた 「OT」 たちは、誰も戻ってこなかった。 幅度は転生について確信していただろうが、記憶の封印を避けるごく簡単な方法を知らなかった。 この時点でも、幅度にあとほんのちょっと勇気があって、恥を忍んでインド人たちに教えを請うていたとしたら、幅度と教会菜園人たちの大きな悩みは解消できていただろうに……

BT⁠に対して怒鳴りながら、大量の向精神薬を服用しながら、幅度は苦悶のうちに死んでいった。

「完全な自由」 みたいな大言壮語は控えるほうがいい。
b1503ef2 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 15:38
非業の死を経験した菜園人は自由領域にもいる。 操縦士だ。

操縦士にとって、女性にモテなくなったことが大きな悩みになった。 操縦士と長らく親交があった 麦酒 (女性だよ) は、おしゃれをして、社交の場に通うことを提案したが、操縦士は聞き入れなかった。

菜園人が異性にモテないという悩みを抱えてしまったら、手っ取り早い解決策は、どんな人がモテているのか調べることだ。 しかし、持ち運び可能な最初の橋の考案者としてのそこそこの評価を受けていたことで、女性にモテないという悩みを相談するのに余計に勇気が必要になってしまった。

操縦士はやがて癌を患ったが、それはラクダの背に乗せられた麦藁の最後の一本のようなものだったと思う。 癌だけで自殺したのではない。

低い評価は悩みになるが、高い評価も大きな悩みになることがある。 俗物である勇気を持ち続けよう。
698341de Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 15:50
幅度は非菜園人を 「wog」 と呼んだ。 「worthy oriental gentleman」 の頭文字を取ったものだが、菜園では蔑称として使われる。 幅度は東洋の文化をあまり高く評価しなかった。 インドや中国の知恵は菜園にほとんど含まれていないのだから、菜園人はそれらの国々の文化や思想を再検討するのが良いだろう。

幅度は社会主義を敵視した。 だから、菜園には社会主義の知恵が含まれていない。 菜園人はカール・マルクスについて少しばかり調べてみるといい。 資本家であったエンゲルスと協力しながら、マルクスが世界の資本主義化に熱心に取り組んでいたことが分かるだろう。 同時に、自分たちが時代の子であり、認識と思考が時代の制約を受けることが多いことにも気が付くはずだ。 
366ed2f1 anonymous 2024-03-11 20:03
>>6d5ad141

詳しい解説ありがとうございます。
ce86862f anonymous 2024-03-11 21:02
>>22df9b25

>俺が言っているのは 「ワンネス」 とは違う。不滅の個を信じるのはヒンズー教の特徴で、不滅の個を否定するのは仏教の特徴だが、仏教が 「ワンネス」 を支持しているのではないよ。

全く理解が倒錯(顛倒)しています。ヒンドゥー教のバクティは、神との融合が目的です。一方、オリジナルの仏教(≠パーリ経典)は、「解脱によりマインドが消滅し、純粋な不滅の自己たるアートマンが残る(そのアートマンの原質が涅槃)」と説かれていました。これは、現時点のオールドタイマーさんの理性やノーイングネスでは、如何に証拠(パーリ経典の論理破綻)を示しても信じることはないでしょうが。

オールドタイマーさんは、ゲームに参加しているMESTユニバースの視点であるダイナミックセイタン(セータライン)のみならず、そもそも、セータユニバースのスタティックセイタン(つまり自己本体の存在性)が個であることをご存知ないようですね。存在性のスケールの頂点である「静の共存」とは、個が存在するからこそ成立するのです。初期(1,952年前後)に、「セータの源」と「タイムトラックの始まりとしての単一のセータからの分離の出来事」が仮定された時期がありましたが、程なくしてインプラントに由来するデータであることが判明し、この仮定は棄却されています。

後世の創作経典であるパーリ経典でさえ、古層に遡れば、無我が非我(我ならざるもの)と正しく説かれていたことがわかります。パーリ経典で説かれる五蘊仮和合とは、アートマンのことではなく、単にマインドの粗雑な解釈に過ぎません。マインドは自己(アートマン)ではありませんので、無常の実体です。

不滅の精神的存在としてのセイタンの実在性は、サイエントロジーの公理の大前提です。これを否定したら、もはやサイエントロジーではなく、ただのニューエイジの亜流です。そして、不滅という言葉は“永遠”という時間概念(リアリティ)を導入せずに済むので、アクチュアルな認識としても適切です。

>この点はそなたのケースレベルが上がるなりすれば、やがてわかってくると俺は思う。

ここで、貴方は論理による反駁ではなく、アービトラリー(権威主義)を導入していることは自覚されてますか?私に、そのようなコントロールテクニックを用いても無駄です。そもそも、私はオールドタイマーさんをクリアーとすら看做していませんし。単に、サイエントロジーのデータとオーディティング技術に精通している稀有な人物と認識しています。これは、オールドタイマーさんを見下す意図ではなく、単に素性が分からないからです。証明不可能な状態で、オールドタイマーさんの述べたことを鵜呑みにするのは、それこそ信仰に他なりませんから。

>それは俺の関心ごとではない。

オールドタイマーさんが、サイエントロジーの公理に反するニューエイジの“信仰”を混ぜ込んでいる故に指摘しているのですから、そこは逃げないでいただきたい。サイエントロジーは信仰でなく論理なのですから、煙に巻かずに論理的に説明してください。

>イエス・キリストは宗教者たちに 「人を裁くことなかれ」 と教えた。

オールドタイマーさんは、社会観は無駄にリベラルなのにも関わらず、聖書観は全く自由主義ではなく原理主義なので、非常に興味深い信仰形態だなと感じます。客観的に述べるなら、「新約聖書に登場する(新約聖書編集者たちの書いた)イエスの言葉は、このような歴史的な影響を与えた」、といった表現となるでしょう。結局のところ、オールドタイマーさんの聖書に対するスタンスも、パーリ経典に対するスタンスも、経典信仰ありきであるということが見えて参ります。余計なお世話かもしれませんが、聖書の無謬性と信憑性に対して、少しは懐疑なされたほうが良いかと思います。

>サイエントロジーを活用するには、サイエントロジーそのものを対象とするメタな思考も必要になる。

私が思うに、オールドタイマーさんの思考は、メタというよりアバウト(極度の単純化)なんですよ。先程のケースレベル云々の話とも関連しますが、その単純化が(ご自身の仰るケースレベルを反映した)的を射ていたものであればまだしも、実際は、とてもそうは思われないのです。データの単純化もほどほどにしたほうが良いでしょう。単純化して理解した気にならず、もう少し、各主題を深く掘ってみることをお勧めします。学問とは、そういう緻密な努力の結晶ですから。

>荷物を目的地に運ぶときに、まずは地図を手に入れて、道順を決め、必要になるものを全て調達してから出発するという方法もあるし、まずは荷車を手に入れるという方法もある。 前者を 「地図の発想」 、後者を 「荷車の発想」 と呼ぶことにしよう。

単に、プラグマティズムとシステム思考と述べれば良いのではないでしょうか?サイエントロジーは、最初からプラグマティズムとシステム思考の融合です。

例えば、サイエントロジーの教義は、プロティノスの「一者」のような「全ての生命は一つ(全ての精神及び生命は一体であり繋がっている)」といったグループバンク的な反応的思想(信仰)とは真逆です。それは、サイエントロジーのブリッジのゴールではないし、サイエントロジーの目指す独立不遜のOTと真逆です。サイエントロジーはスピリチュアルなプラグマティズム(工学的実利主義)であり、単に、そのような仮定は機能しない(効果がない、有効でない)という理由で否定されるのです。そのようなか仮定は、たまたま(幸いなことに)真実ではありません。

>「完全な自由」 みたいな大言壮語は控えるほうがいい。

「完全な自由」は仏教(本来)の目的である「解脱」のただの言い換えです。このゴールを破棄したら、阿弥陀信仰のようなと信仰型の宗教と同じです。ただの現世利益なら、サイエントロジー以外の宗教や自己啓発やニューエイジ系スピリチュアルで代替可能ですし、むしろ、そこは、サイエントロジー以外の牙城でしょう。

> インドや中国の知恵はサイエントロジーにほとんど含まれていないのだから、サイエントロジストはそれらの国々の文化や思想を再検討するのが良いだろう。

サイエントロジーの源流自体はギリシャ時代の外在化を果たした秘教(※当然、焚書の難に遭った)ですが、LRHは東洋のあらゆる神秘主義に通じていました。東洋のオカルティズムが源流のアレイスター・クロウリーやヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーの思想すら、しっかり教義の一部に拝借してます。サイエントロジーは、古代ギリシャの秘教の継承者という意味でカルトの中のカルトです。それを、引き継いだRTC(ミスキャベッジ)がマネーゲームのビジネスカルトに変えたのです。

サイエントロジーの公理をよく読んでください。「生命の本質はスタティックである」と述べられていますが、これはオリジナルの仏教が源流のアドヴァイタ・ヴェーダンタと全く同じ(『ヴィヴェーカーナンダ全集』を参照)です。むしろ、東洋思想に通じていれば、輪廻転生も含めて、サイエントロジーの教義に何ら目新しいものなどないことに気付くでしょう。違っているのは術語と論理の体系ですが、「サイエントロジーがこの惑星で最初」という謳い文句は、LRHの誇大宣伝に過ぎません。

>まだ若い頃、おそらくは教会を設立する前に、LRHは超常的な能力を発揮するインド人たちに遭遇した。 だが、LRHは彼らに教えを請わなかった。

LRHは成人前から、外在化とリモートビューイングとテレキネシスの能力がありました。そして、インドに行き、ヒンドゥーロープのトリックを見破ったのです。そこには見るべきものはありませんでした。これは初期(1,950年代前半)の講演録による回想ですが、LRHによるオーディティングセッションの記録でPCのバンクを他心通で見破っていますし、嘘ではないでしょう。LRHは、ヒンドゥー教のヨーガの英訳文献も調査し、その文献の支持通りにチャクラなるものを開こうとしたら、自分自身の能力が減退し失われていることに気付いて、何かがおかしいと思い至ったわけです。

よく、Freezone界隈でLRHを銀河連合にルーツを持っていると語る人が居ますが、LRHの地球前の前世は侵略部隊(インベーダー)の司令官です。LRHの前世もセシル・ローズですし、生前も経歴は英国のMI6と米国のCIAのエージェントであり、一貫してSPの側の人物でした。エシカルでないOT能力の持ち主というLRHの隠された経歴は、侵略部隊譲りのもの(GPM)があるのでしょう。ですから、私には、LRHが自らブリッジに昇る必要があった(特にBT処理などに煩わされる必要があった)などとは到底思えないのです。広い宇宙には、エシカルでない破壊的な目的を持った強力な準OTが至るところに存在することが分かるでしょう。
b5eb0d53 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 23:48
>>ce86862f

基本からやりなおすがよい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

引用: ❝仏教では常一主宰(永遠に存続し・自主独立して存在し・中心的な所有主として全てを支配する)な我の存在を否定して無我説を立てた[4]。 ❞

ヒンズー教は不滅の個を信じるが、仏教ではそれを否定する。
286aa626 Old Timer i1b5ibip3kS 2024-03-11 23:58
幅度はヒンズー教ではなく仏教に近い立場を取るので、不可算名詞 「theta」 と可算名詞 「thetan」 を使い分ける。 そして、 「thetan」 が分割可能な存在であることも、NOTs関連文書で認めている。幅度も常一性を否定しているんだよ。
8b756519 anonymous 2024-03-12 00:02
>>b5eb0d53

Wikipediaを引用するレベルの教養で粋られても困ります。中学生の教科書レベルの知識で満足為さらないほうが宜しいですよ。
d7717dca anonymous 2024-03-12 00:10
>>286aa626

「Theta」とは元々、ダイアネティックスの時代に非MEST即ち生命一般を表す用語として採用され、後に「Theta Being」を略して「Thetan(s)」と呼ぶようになりました。現在では、「Theta」は生命力及び生命の精妙なエネルギー(ベルクソン流に言うなら「生の躍動」、或いは古代ギリシャの概念では「ピュシス」と同義)の意味で使われています。

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