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705e4537 anonymous 2020-02-13 20:19
>>906755c7

セイタン(アートマン)としての自己は不滅です。

スケールの頂点は「スタティックの共存」であり、融合でも一体化でも自己の消滅でもありません。これは、LRH自身の言葉です。

「幸いなことに、セイタンのノーイングネスは、アズ・イズネスの上位にあります。」

「仏教徒は、マインドを自己だと考えるという誤りを犯しています。ファクシミリ(記憶)は自己ではありません。ファクシミリが消えても自己は消えません。」

これらも、LRH自身の言葉です。

オールドタイマーさんの前回の主張では、スケールの頂点では、セイタン(アートマン)自体が消滅するという結論になりますので、それは誤りだと申し上げました。

スケールの頂点に至っても、被造物を観照する主体としての自己・人格であり、潜在的な無限の個性のベースである個体としてのセイタン(アートマン)は消えません。これが消えるというのであれば、サイエントロジーの前提が崩れます。

これを読んだ人が誤解をしてはならないので、これは明言しておきます。
c9822c90 Old Timer 2020-02-13 23:53
>>705e4537

「セイタンのノーイングネスは、アズ・イズネスの上位にあります」は正しいよ。
ノーイングネスはもちろん個性より上位にある。虚無は完全なノーイングネスな
んだし。

Axiom 25

Affinity is a scale of attitude which falls away from the co-existence
of Static, through the interpositions of distance and energy, to create
identity, down to close proximity but mystery.

個性は、距離とエネルギーを介在させることで(through the interpositions of
distance and energy)作られているのだから、距離とエネルギーをアズイズする
と、個性はなくなる。

逸脱とうまく付き合っていくには、俺たち魂が個性の保証を望み、それゆえ、逸
脱を自ら作り(これが当人のGPM)、さらに他者が作り出した逸脱(これがインプラ
ントGPM)を賛美し、受け入れてきたという事実に向き合う必要があるんだよ。
f7126a50 anonymous 2020-02-14 23:28
>>c9822c90

「意識することを意識している個体」としてのセイタンの個別性を、個性という言葉で混同させてはいませんか?

スケールの頂点において、セイタン(アートマン)としての自己の個別性は失われません。セイタンは個体の存在性として不滅です。ここまでは、よろしいでしょうか?

さて、個体としてのセイタンがスケールの頂点に至り、マインドおよびファクシミリ(記憶)を捨て去ったとしましょう。

しかし、セイタンにはノーイングネスがありますから、必要と欲求に応じて記憶を再所有し、かつて身に付けた個性あるいはアイデンティティーをデュプリケート(再現)する能力があります。

これでも、マインドおよびファクシミリ(記憶)を消去したら、セイタンとしての彼自身の存在性=個性が消滅すると言えるでしょうか?

ただし、サイエントロジーは、マインドすべてをアズ・イズするための体系ではなく、ゲームの(楽しさの)障害となる反応心のみを消去するための方法論であるため、オールド・タイマーさんのおっしゃるようにゲームを全てアズ・イズすることは想定されていないわけです。

つまり、生存(スケールの上位)に向かうベクトルを正気と定義し、反生存(スケールの下位)に向かうベクトルを逸脱と定義していますね。

生存・ゲーム・個性自体を逸脱ととらえるなら、サイエントロジーよりも仏教のスタンスに近くなります。

オールド・タイマーさんは、サイエントロジーの観点から生存・ゲーム・個性を肯定しながらも、これら自体を既に逸脱と捉える仏教的な観点にた立っているようにお見受けします。

この点は、どのように考えておられるのでしょうか?
6c5474b5 anonymous 2020-02-14 23:48
>>f7126a50

なお、私見を述べさせてもらえば、ゲーム自体をアートマンの堕落の始まりと捉え、ゲームのない状態を正常と見做すオリジナルの仏教(仏陀)も、ゲームのある状態を正常と見做し、より楽しいゲームを追求するサイエントロジーも、どちらも観点の違いであって全体観ではないと思います。

また、私の言うオリジナルの仏教というのは、ゴータマ・シッダールタの滅後の約200年後に、特定の意図に従って創作され、アートマンを否定し無常のマインドを自己と定義したパーリ経典(ダンマパダを含む原始経典)およびパーリ経典を所依とするいわゆる原始仏教のことではありません。

LRHも仏教経典は、ゴータマ・シッダールタの教えが精確にデュプリケートがされていないと至るところで言及しています。
1b6012f9 Old Timer 2020-02-15 18:44
>>f7126a50

「スケールの頂点において、セイタン(アートマン)としての自己の個別性は失
われません。」に教義上のはっきりした根拠はないよ。個性なり個別性なりは、
距離とエネルギーを介在させることで(through the interpositions of
distance and energy)生じる、メカニカルなものなんだから。

「セイタンにはノーイングネスがありますから、必要と欲求に応じて記憶を再所
有し」……必要とか欲求は個性に依拠しているから、かつての個性の再現の必然
性はないんだよ。虚無はまた新しい個性を生み出す。
f2971de6 anonymous 2020-02-15 21:58
>>1b6012f9

セイタンは、自らの存在性の一部を虚無領域に残したまま、残りの一部がゲームのために視点として時空領域に入ります。

虚無領域では、他のセイタンとのコミュニケーションもありますが、これは時空を介在したメカニカルなものではありません。

自己の宇宙・客観的宇宙・他者の宇宙という三種の宇宙の確実性のノーイングネスの追求は、サイエントロジーの基本中の基本です。
33debefb anonymous 2020-02-15 23:57
>>1b6012f9

「必要とか欲求は個性に依拠しているから、かつての個性の再現の必然性はない」

この主張は、失礼とは思いますが、反論のための反論(揚げ足取り)であり、論理が破綻していると思います。

個々のセイタンがスタティックのままゲームを望まなければ、必要も欲求も生まれるはずがないではありませんか。

ゲーム・ランドミティー・影響力の行使への機運あるいは欲求が生じるからこそ、セイタンはスケールを降りてノーイングネスを制限するのですから。

スケールの頂点に至り、再びゲームを望むとなれば、ノーイングネスによって、それまで得た経験を全て持ち越したまま、新しいゲームを始めることになります。

その新しいゲームには、かつての個性やゲームの再現も当然、選択肢(ポテンシャル)として含まれます。「かつての個性の再現の必然性はない」という根拠こそないのではありませんか?

オールド・タイマーさんのスタンスを要約すると、

①ゲーム・生存・個性を肯定するサイエントロジー的スタンスに立ちながら、

②ゲーム・生存・個性自体を逸脱と捉えるゴータマ・シッダールタのスタンスに立ち、

③セイタン(アートマン)の不滅性および存在性を否定し、マインド(五陰仮和合)を自己と定義するパーリ経典と自称原始仏教(上座部仏教)の立場を支持しているということになります。

これは、サイエントロジーでもオリジナルの仏教でもありません。

オールド・タイマーさんが執着しておられる、パーリ経典および上座部仏教は、大乗仏教と同様に、人々を迷宮の中に追いやり、誰人も解脱=悟りに導くことはありませんでした。

スッタニパータの、あの美しい詩文もオリジナルのゴータマ・シッダールタの教えに基づいたものではないのです。それらは、改竄された偽の教えです。

また、真偽の識別を誤り、偽りの教えに執着してしまうのは、ケース(カルマ)の引力であり、これは私の中にもあります(あらゆる人が陥ることです)から、オールド・タイマーさんのことだけを述べているわけではありません。
4eff8c96 Old Timer 2020-02-16 16:54
>>33debefb

> 個々のセイタンがスタティックのままゲームを望まなければ、必要も欲求も生
> まれるはずがないではありませんか。

スタィックは「個々」じゃない。公理25にあるように、距離とエネルギーを
さしはさまないと、「個々」にはならないんだよ。

> スケールの頂点に至り、再びゲームを望むとなれば、ノーイングネスによって、
> それまで得た経験を全て持ち越したまま、新しいゲームを始めることになりま
> す。

「それまでに得た」? スタィックは時間を超越してるってことを忘れちゃいけない。

距離とエネルギーをさしはさみ、個々の魂となった俺たちから見れ、見かけ上、
「それまで」「その後」があるんだよ。

Axiom 23 The Static has the capability of total Knowingness. Total
Knowingness would consist of total ARC.

Axiom 24 Total ARC would bring about the vanishment of all mechanical
conditions of existence.

「それまで」も「その後」も、あなたと私が別々であることも、mechanical
conditionsだから、アズ・イズされうる。
5167fd34 anonymous 2020-02-16 18:30
>>4eff8c96

オールド・タイマーさんの上座部仏教の信仰は理解致しました。

サイエントロジーとオリジナルの仏教の立場について、そして、セイタン(アートマン)のアクチュアルな性質について、できる限り分かりやすく具体的に述べたつもりですが、理解できないのであれば仕方ありません。

噛み合わない議論でしたが、どうもありがとうございました。
7f487f92 anonymous 2020-02-16 18:51
>>4eff8c96

「「それまでに得た」? スタィックは時間を超越してる」

ですから、個々のセイタンが視点を身に付けて時空領域に入るか、時空を創造してゲームを開始する前は、時間は存在しません。時空領域に入りゲームを開始してから初めて、セイタンの個別性が確立するわけではありません。また、スケールの頂点に戻り、完全なノーイングネスを回復した場合も当然、時間は存在しません。

セイタンのノーイングネスは、ファクシミリ(記憶)を自在に回復することができます。

記憶を消去すれば、自己の存在性(人格)が消滅してしまうという教義は、パーリ経典および上座部仏教のものであり、オリジナルの仏教とサイエントロジーでは、肉体でもマインドでもないアートマン(セイタン)こそが純粋な自己であると定義します。

スタティックな虚無領域では、無限数のセイタンが個体として存在し、存在性の一部をスタティックの虚無領域に残したまま、残りの存在性が視点としてダイナミックな時空領域に入るのです。

そもそも、「意識することを意識する個体」というセイタンの定義は、LRH自身のものです。セイタンの個体性は、サイエントロジーでは最初から自明のものでした。
529768e6 Old Timer 2020-02-17 10:44
>>7f487f92

違う違う。個性や個別性は、距離とエネルギーをさしはさむことで作られる。そ
なたと俺が別々なのは、そなたと俺の間に距離とエネルギーがあるからなんだよ。
これが分からなければ、菜園を分かってることにはならん。虚無に無限数の個別
の魂が存在するんじゃないんだよ。無限数の個別の魂なんて、『公理』にも『要
因』にも書かれていない。そなたの願いにすぎん。

虚無は虚無なのだ。
8262c819 anonymous 2020-02-17 14:37
>>529768e6

ですから、個体のセイタン(アートマン)としての不滅性を認めないのであれば、それはサイエントロジーではありません。

オールド・タイマーさんの信仰は、単なる上座部仏教です。アルボムッレ・スマナサーラ氏のような上座部仏教の教義を、サイエントロジーとして語るのはやめていただきたいです。

なお、サイエントロジーとオリジナルの仏教のベースとなる根本教義は、20世紀の聖者であるヴィヴェーカーナンダ師が、分かりやすく説かれているので参考になされてはどうですか?
e7c80db7 anonymous 2020-02-17 14:49
>>8262c819

補足。

個体のセイタン(アートマン)としての不滅性を認めないのであれば、それはセイタン(アートマン)の不滅性を否定することになり、ひいては唯一のアクチュアルな実在性としてのセイタン(アートマン)そのものの否定になります。

コスモス(MEST)とセイタン(アートマン)の両方の実在性(不滅性)を否定するという教えは、サイエントロジーでも実在のゴータマ・シッダールタの教えでもありません。

それは、パーリ経典および上座部仏教、また中観派の教えであり、どれも偽りの教えです。
762a7970 anonymous 2020-02-17 15:05
>>8262c819

補足②

解脱(悟りを成就)した人間の存在性は虚無へと融解し消滅する。つまり、セイタン(アートマン)の実在性および不滅性の否定。

これ、まさにパーリ経典および上座部(テーラワーダ)仏教と同じ。つまり、サイエントロジーではありません。
ba3d3763 anonymous 2020-02-17 18:51
>>8262c819

補足③

セイタン(アートマン)の実在性および不滅性の否定は、即ち被造物に過ぎないマインド(記憶)並びにコンシダレーション(思考)とメカニックスの総体を自己である(無常の自己=無自性)と定義するパーリ経典および上座部仏教の教義に堕するものです。LRHは、そんなことは全く説いていません。オールド・タイマーさんの立場を反証するLRHの発言ならいくらでもありますが。

ゴータマ・シッダールタやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダが聞いたなら、一笑に付されて終わりです。
3f31dabc Old Timer 2020-02-17 19:27
>>8262c819

そなたは、「セイタン(アートマン)の不滅性」を「セイタン(アートマン)の個性
や個別性の不滅性」と同一視してるように思われる。
ec23f3b5 anonymous 2020-02-18 20:18
Oh kay
63241b51 anonymous 2020-02-19 07:39
sdf
b5ad847c anonymous 2020-02-20 23:10
>>3f31dabc
実際にどちらが正しいかはわからないですが、スケールの頂点まで行かなければ真実がわかりませんし、その手前まで行けるだけでも十分な気もします。
でも、議論が噛み合わないのはどちらかに誤解語があるからだと思いますから、結論が出るまで徹底的に議論して欲しい気もします。
4de4866d anonymous 2020-02-22 00:04
>>3f31dabc

オールド・タイマーさんは、個人としてのセイタンの不滅性=セイタンの個別性とアイデンティティ(オールド・タイマーさんの定義では個性)を同一視していると思われます。

実際には、個性は無限のアイデンティティのポテンシャルであって、アイデンティティと個性はイコールではありません。個性はセイタンの不滅性と同義ですが、オールド・タイマーさんは、個性とアイデンティティを同一のものとして定義しています。LRHは、個性とアイデンティティを明確に区別していました。個人のセイタンとしての存在性つまり個性(無限のアイデンティティのポテンシャル)は不滅です。

個人としての存在の不滅性、即ち個体としてのセイタンの不滅性が担保されなければ、セイタンの不滅性は担保されません。「意識することを意識している個体」というセイタンの定義はLRHのものです。

スケールの頂点で虚無へとアズ・イズされるセイタンなど不滅でも何でもありません。それは、再三申し上げているようにパーリ経典およびテーラワーダ仏教の教えです。

オールド・タイマーさんの主張では、スケールの頂点に到達し、解脱および悟りを成就したゴータマ・シッダールタ(釈尊)の人格は、悟りを得た時点で消滅しなければならなくなります。しかし、実際のゴータマ・シッダールタは、悟りを成就した後に法を説いたのです。

スケールの頂点はマインドの完全なアズ・イズであり、個人および個性のアズ・イズではありません。

実在のゴータマ・シッダールタは、マインドの観察によるマインドのアズ・イズを説いたのであって、セイタンそのものである個人および個性のアズ・イズを説いたのではありません。彼は、(経典には書かれていませんが)「マインドを消し去った時に全ての宇宙のからくりが明らかになり、その時にアートマン(セイタン)が残る」と明確に説いたのです。ゴータマ・シッダールタは、「アートマンはブラフマンに溶け込む」などとは説きませんでした。

悟りを成就したゴータマ・シッダールタは、マインドのヴィアを介さず、常時肉体から外在化しながら常時サマーディ(三昧)に入っており無呼吸の状態で肉体を生存させ続けていました。また、肉体の食事の必要はなく、空間の電子(プラーナ)からエネルギーを補給でき、完全なヒーリング能力とカルマの浄化力を持っていました。

実在のゴータマ・シッダールタは、気性が荒く偽りの宗教を堂々と批判し、強烈な個性の持ち主でした。パーリ経典の「怒りは煩悩」など大嘘です。ミス・エモーションが逸脱なのです。「悟りを成就したら個性が消え去る」など、パーリ経典の創作した神話に過ぎません。

さらに付け加えるなら、パーリ経典では200前後の戒律が説かれていますが、全て創作されたものです。実在のゴータマ・シッダールタは、戒律など一つたりとも設けてはいません。人間を自由にするために、なぜ戒律など必要なのでしょうか?

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