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17623da6 2016-12-15 06:38
私が10代の時、七田さんのセミナーに参加しました。そのセミナー後に直接お話ししましたが聡明さは感じられなかったですね。
問題に対する解決策が物質主義的すぎるという感じでした
5d626f97 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-12-15 08:43
>>b8b143b0

姪、だが、まぁ、あの奇妙な能力はもうなくなっている。七田がや
っているのはドリル、菜園がやっているのはドリルとプロセスの両
方だ。ドリルとプロセスの間の区分は時に曖昧だが、能力の直接的
な行使を伴うものをドリルとしよう。

ドリルだけをやっていると行き詰る。能力が安定しない。

プロセスの導入は菜園外でも始まっている。いわゆるマインドフル
ネスは仕事上の能力の行使を求めるものではないので、ドリルでは
なく、プロセスだ。
81738106 R 2016-12-15 13:12
>>5d626f97
身近にやっていた子が何人かいて、確実に何か奇妙な能力(見えないはずの存在が見えるとか)の向上が見られました。しかし、大きくなるにつれ、学業も生活もうまく問題解決能力として発揮できなくなったように見えました。そのため、けして悪いセミナーだと思いませんが、私に子供がいたら楽器を演奏するとかスイミングなどの習い事をさせたいと現在は考えています。

マインドフルネスは最近よく目にするようになってきましたね。Old Timer さんが考える菜園外でのプロセスは他にもありますか? またご自身にお子さんがいらしたら七田式または菜園を採用するでしょうか?
392e58b5 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-12-15 14:46
>>81738106

浅いプロセスなら、日常会話でも成立するから、女の子がいたら会
話の中でのプロセスを時折やると思う。でも、男性に対してはあま
りうまくいかない。

楽器演奏は多分英会話より生産的だ。発表会で人前に出ることにな
れれば、人生の実に幅広い局面で強みになる。

教育上最も役に立つのは文学だと俺は考える。ここでの文学は映画
や漫画を含む。子どもを賢くしたいならば、漫画雑誌を定期的に買
ってきて、毎週どの作品が一番面白かったか、その理由は何なのか、
子どもに説明させると良い。(この方法は、白石一郎という作家が
教えてくれた)
5ce94e01 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-12-24 23:37
明日はクリスマス。

12月25日はもともとミトラの誕生日だったのだとか。ミトラは6000
年くらい前から崇拝の対象となっていて、古代ローマ帝国でもやが
て人類を救う救世主として人気があった。キリストの誕生日がのち
に12月25日とされたのも、ミトラの人気に便乗するためだった。

ミトラはユダヤ教ではメタトロンあるいはミトロンという名の天使
になった。物事を測る権能を持っている。一説に、エノクが天使に
転生したものだとも。

ミトラは大乗仏教でマイトレーヤとか弥勒とか呼ばれる仏になった。
弥勒もまた救世主だ。

日本人がクリスマスを祝っても、実はそう変ではない。

もっとも、浄土系は阿弥陀如来を崇拝する。「阿弥陀」はもともと
「アミトラ」で、「ミトラではない者」を意味する。浄土系は弥勒
に期待していないのだ。
98ba169a anonymous 2016-12-26 16:31
>>5ce94e01

釈尊は、「私に祈っても何もない」「(自分の死に際して)私の燃骨灰に祈っても何もない」と述べました。

また、「信仰を棄てよ。そうすれば、彼岸に至るであろう。(実際に弟子たちはガンジス川に祭壇を投げ棄てた)」「他人が解脱させてくれるのではない。(恩寵的他力信仰の否定)」「仏陀(阿羅漢)たちとて説法者にすぎない」等と述べました。

釈尊は、LRHに較べてもラディカルで明快ですね。LRHはキリスト教的な文化に妥協し過ぎたと思います。LRHを人類の救世主的に祭り上げているシーオーグ的な宗教観には同意できません。仏教は、釈尊の死語に祭り上げられましたが、LRHは存命中に祭り上げられ、個人崇拝の宗教となってしまいましたね。
e72f5609 anonymous 2016-12-26 16:55
>>98ba169a

釈尊の言葉から、サイエントロジーの精神と共通するものを引用してみます。

「我が友よ。あなた方は、自分が説法しようとしている神を見たのか?もし、見ていないのなら、あなた方の説法は無意味である。自分が何を言っているのかを知らないのだから。我が友よ、あなた方はどうして一度も見たことのないものについて議論をし、相手を打ち負かそうとすることができるなどと考えるのか?」

「見よ、神々並びに世人は非我(我ならざるもの、つまり心と肉体)を我(アートマン=セイタンの意)と思いをなし、名称と形態(つまりマーヤー)に執着している。」
fa93cde6 anonymous 2016-12-26 17:12
>>e72f5609

ちなみに、失われたオリジナルの仏教の説法と照らし合わせて引用しています。

無我や一切皆苦や七科三十七道品を説くものは、後世の阿含経の創作です。

LRHが述べた通り、オリジナルの仏教は失われた教えでした。釈尊像はこれまで伝えられてきたものと全く違います。そして、サイエントロジーと全く矛盾しないものでした。

再誕の仏陀と宣言したGLAの高橋信次と幸福の科学の大川隆法の教えが嘘であることも判明しました。
64eb2931 anonymous 2016-12-26 19:14
>>fa93cde6

少しだけオリジナルの仏教を公開します。

釈尊は、「苦には実体がない」と説いたのであり、「人生は苦である」とは説きませんでした。

釈尊は、「欲を棄てよ」とは説きませんでした。「完全なるアートマンは、完全なる力を持つ。ゆえに、もはや欲を持つ必要はない」と説いたのです。

解脱したアートマン(仏陀)が、欲を持たないのは、欲を持つ必要がないからです。しかし、必要なものを得る力を回復せずに、力から離れても何の解決にもなりません。力を通り抜けることなく、力をもはや必要としないレベルに到達することはありません。
69e51102 anonymous 2016-12-26 21:54
>>64eb2931

失われたオリジナルの仏教の説法はどこで知ることができますか?
6f2b6118 anonymous 2016-12-26 22:12
>>69e51102

文献としてはどこにも残されていないため、セッションでの前世想起か、前世の記憶を持ち越せる人物から教わるしかないです。

仏陀の元で修行した阿羅漢ならば、完全想起力があるため、教義と技術を復元することは可能です。

俗に原始仏教や上座仏教と言われているものは、釈尊のオリジナルの教えとは全く無関係です。原始仏教や上座仏教の的外れな技術では解脱も悟りも真理も得られません。まあ、フィクションの仏陀伝です。歴史は捏造されたものですから。
b6d8c237 anonymous 2016-12-26 22:31
>>6f2b6118

原始仏教の阿含経典には、外在化が全く記述されていないし、アートマンも否定され(無我)、毒矢の喩えで形而上の質問には無記(無回答)という不可知論を採用し、八正道という欠陥技術を説く。ほんと、ぼろぼろで有害なクソ経典ですよ。自称原始仏教経典の阿含経は。
466ef03c anonymous 2016-12-26 22:42
>>b6d8c237

あとですね、実在の釈尊はかなりパワフルでアクティブですよ。仏像のように静かに瞑想に耽る仏陀像を想像する人は面食らうでしょうね。
8f2451a1 anonymous 2016-12-26 22:47
>>6f2b6118

ありがとうございます。
それなりにオリジナルに近い経典などは現存するのでしょうか?
f206961e anonymous 2016-12-26 22:49
>>466ef03c

釈尊は少なくとも、インドで初めて統一的な教団という形態の組織を築いた人物です。布教という手段を用いたのも釈尊が初めてです。1950年まで、オリジナルの仏教は、地球上に存在した唯一の逸脱のない宗教でした。
86e0271f anonymous 2016-12-26 22:52
>>8f2451a1

今確認しているところでは、法句経(ダンマパダ)とスッタニパータ、それにカーラーマスッタはかろうじて釈尊のオリジナルの教えの精神を伝えています。もちろん、部分的にであって全てではありません。また、それらの経典には肝心の教義も技術も記載されていません。
1aedfb6e anonymous 2016-12-27 01:05
>>86e0271f

カーラーマスッタに次のような釈尊の言葉があります。

「私の教えを、私への尊敬のために受け入れてはならない。(つまり、鵜呑みにしてはならないということです)まずは、それを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから。」

これこそ、釈尊の精神です。これほど、開明的な教師はいません。これは、「神を信じよ」と述べたイエス・キリストと対照的です。釈尊は、もはや信じることも疑うこともない、独立不遜の解脱者を育てましたが、イエス・キリストは神の信仰者を育てただけでした。

ここでは、詳細を控えますが、釈尊の教えは現代科学とも全く矛盾せず、更に先をいっています。また、技術体系もシステマチックで合理的なものでした。これも、イエス・キリストがいたために、現代科学の発達が遅れたと評されているのとは対照的ですね。
323cc6b7 anonymous 2016-12-27 08:44
>>86e0271f
四神足瞑想(四如意足)や摩訶止観についてはどう思われますか?
e080c57b anonymous 2016-12-27 10:55
>>323cc6b7

まず、四神足は八正道の実践が前提となっていますから、後世の何者かによる創作です。また、阿含経には、その具体的な実践方法が説かれていませんので、実践しようともできません。

仏教の修行が神通力をもたらすことは阿含経の通りですが、本当はもっとたくさんの種類があります。なお、釈尊は神通力を用いることを否定はしませんでした。まあ、現代において使っても手の込んだマジックだねと思われるのが落ちでしょうね。

摩訶止観は天台大師が、法華経になかった修行法を阿含経からこっそり借用したものです。四神足も摩訶止観も思弁に基づいた瞑想法であり、釈尊の教義とは反します。つまり、観念の類いであり、釈尊オリジナルの技術と較べればがらくたに過ぎません。

釈尊は思弁(サイエントロジー用語ではフィギュア・フィギュアあるいはサーキット)を絶つことを説きました。そして、そのために心を映像として観察することを説いたのです。これは、ダイアネティックスやサイエントロジーと同じと言えるでしょう。
b4a95eb3 anonymous 2016-12-27 11:01
>>e080c57b

ちなみに、ヴィッパサナーは偽物です。サイエントロジーのオブジェクティブが正解です。

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