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1578e4b3 anonymous 2026-06-25 18:58
>>0b6a139a

>出生時に割り当てられるものはgender⁠なのだ。

⇨これは、「割り当て」と“Gender”の解釈(科学モデルor社会制度)しだいで重大な発言になり得る。99%以上(定型)の出生時の性区分は、「割り当て」でなく「特定」であるし、性区分自体は社会制度であるが、定型のGenderは、配偶子(Sex)の特定によって機械的に定まる。つまり、高精度な科学モデルとしての性区分が機能している。

以下に、順を追って説明する。

まず、現在のサイエントロジー教会(RTC)のような「性的嗜好としての同性愛や両性愛は、全て反応バンクに基づく逸脱である」という教義解釈は、非教会サイエントロジスト(高度に訓練されたオーディター)、ロンズ・オーグ、Freezoneでは、もはや採用していないという認識を確認したい。その上で、ロンズ・オーグ及びFreezoneでは、LGBTQイデオロギー、性の多元化、ジェンダーフリーといったWokeリベラルの潮流を、「男女の性区分を社会的に溶解させる逸脱したSPアジェンダ」であるというという立場を採用している。私も、同じ立場である。

SPアジェンダであるか否かはともかく、リチャード・ドーキンスだけでなく、コリン・ライト、エマ・ヒルトン、キャロル・フーヴェン、ジェリー・コイン等も、バイナリの性区分を基となるDatumと看做すという意味で同じ立場に立っている。

オールド・タイマーさんは、サイエントロジストの中でも、非常にリベラル(先鋭的)な主張をしているということは、認識をしていただきたい。

私も、インターセックスコンディションに関するイデオロギー、即ち、ノンバイナリー、ジェンダーニュートラル、ジェンダーフラックス、エイジェンダー等の概念の存在は理解している。だが、これらのイデオロギーは、結局のところ、「男女というバイナリーの性差を溶解させたい」と「性別を選択可能なものに変えたい」という願望ありきのドクマでしかない。

Wokeリベラル派は、「性別は性差などを基に、何らかのルールで区分したものであり、ルールによって区分(性別)は変化する」と考える。これは、「性差(配偶子と表現型の各パラメータの総合)が基で、そこから性別の区分が生じる」そして、「性別の区分は客観的なものではなく、社会的なルールであって恣意的なものである」というイデオロギーありきの解釈(倒錯した解釈)である。

確かに、社会制度における「性別の区分ルール」は、時代や文脈(モダリティ)によって多少の変化があり得る(例:戸籍変更の要件に手術を課すか否か、など)が、出生時の性の特定のみで考えれば、基準は明確である。現代では、XXとXYの遺伝子(配偶子)区分は簡単に特定できる。単に、外形的な特徴や文化的な「男らしさ」や「女らしさ」といった助産医の感覚で決めているわけではない。

Wokeリベラル派は、性腺の性の型と表現型の型の区分に拘るが、配偶子の区分が、たった一つの判別で、その他の全てのパラメータ(表現型)の典型の組み合わせを推定可能とする基となるDatumであるが故に、配偶子が性別の基準として用いられていることを踏まえる必要がある。もちろん、文化的・社会的・感覚的な「男らしさ」や「女らしさ」という性差も、現代科学(遺伝生物学)の発達によって、配偶子(XX/XY)として、その根拠(裏付け)が明らかになったのである。

Wokeリベラル派は、典型が99%以上の配偶子のバイナリー区分に基づく性差(パラメータの組み合わせ)を、たった1%以下の例外(DSDのエラー)の存在を以って、「明確な基準たり得ない」と言って否定する。配偶子と他のパラメータ(表現型)の組み合わせの不整合が均等な割合で生じているなら、それは例外(エラー)でなくスペクトラムだと言えるだろうが、実際には、典型が圧倒的で非典型がごく僅か(明らかに連続値ではなく離散値)なのであるから、それを(科学モデルとしても社会制度としても)性差のスペクトラムとして分類する意味がない。

Wokeリベラル派は、Gender(パラメータの総体・組み合わせ)が客観的な基となるDatumで、そこからSexという恣意的な区分(社会的ルール)が生じていると考えるが、実際には、Sex(配偶子の区分=バイナリー原理)という基となるDatumから、Gender(パラメータの総体・組み合わせ)の典型が高精度(99%以上)に推定できるのである。

例外(エラー)を基準にモデルを組めば、エラーが正常となり、典型(正常)と非典型(異常)の区別が付かなくなる。これは、医学にとって、重大な問題を引き起こす。非典型の表現型のパラメータの組み合わせを分類することは、例外(エラー)の特定としてのみ役立つのであって、典型(正常)と非典型(異常)の区分を消し去って、グラデーション=多様性に置き換える試みは、科学ではなく、政治イデオロギーでしかない。

さらに、非典型の表現型のパラメータの組み合わせに加えて、性自認や性的嗜好(同性愛や両性愛)を加えて性別を定義しようなどという試みは、混乱の上に混乱を加えるだけである。

これは、「マイノリティ=弱者こそ正義」という歪んだWoke主義が、「マイノリティ=心身の障害」と結合し、その障害を多様性の一部としてノーマライゼーションしたいという強い願望(思想的理想主義)がもたらしたものであろう。これは、現代の行き過ぎた「逆偏見」による思想的病理である。

99%以上の予測精度を誇るバイナリの性別モデルを、たった1%以下の例外(エラー)のために捨て去るわけにはいかない。例外は例外(エラー)であって、スペクトラムでも多様性でもないのである。

もちろん、自然言語の曖昧性という問題は、あらゆる分野に付き纏う。例えば、中国には、「彼女(她)」という言葉(女性専用の代名詞)が20世紀になるまで存在しなかった。だが、言葉(概念)が存在しなかったことは、それに対応する(「彼女」に相当する)関係性が存在しなかったということではない。「言葉は実態でなく虚構である」という言語の虚構性をとことん追求して、懐疑論から脱構築を目指すのも自由だが、それは自然科学や政策の次元の課題ではなく、哲学の次元の研究テーマである。脱構築を目指していたら、社会は回らない。

・生物学的な性(Sex)及びジェンダー(Gender)のバイナリー分類:科学モデル(99%以上有効)

・生物学的な性差に基づく出生時の性別(Gender)の特定or割り当て:社会制度

・性自認:ジェンダーアイデンティティ(異性愛・同性愛・両性愛の性的嗜好とは別物)

・性分化疾患(DSD):遺伝的エラー

・社会通念上の性差(男らしさ、女らしさ):社会文化

これらは、すべて別個のラベルであり、これらを混同することで、議論が収拾の付かぬ泥沼と化す。社会制度及び社会政策は、自然科学を基盤とするが、厳密に自然科学と一致しているとは限らない。だが、そこには、当然、自然科学の尊重と社会的なコスト(合理性)による割り切りが存在する。社会制度や社会政策の実施に当たって、自然科学の完全な解明を待っていたら、現実の社会は回らないし、迅速に社会問題を解決することなどできない。

※例えば、CAIS(完全型アンドロゲン不応症)という性分化疾患(=非定型)の場合、厳密な性区分は、現時点では、行動生物学(女性)、医学(女性)、分子生物学(男性)、出生時の性別割り当て(女性)の「女性優位のハイブリッド」になる。

補足:LGBTQイデオロギーと本来のフェミニズムは、本質的に別物である。フェミニズムのルーツは、男女の性差を前提とした上で、母系社会の後から来たパターナリズム(外在の父神を象徴とする)に対して、母性原理(大地の女神を象徴とする)の復権を目指すイデオロギーであり、本来は、ジェンダーフリーを目指すようなものではなかった。

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