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0b6a139a
anonymous
i1b5ibip3kS
2026-06-24 19:30
- >>7b3e3753
件の文研の翻訳では、「トランスジェンダーの人々を差別やハラスメントから守るために、性別(sex)がただ単に「割り当てられた」ものだと装う必要はありません。 ¶ 社会的または政治的な大義のために事実を歪めることは、それがどんなに正しい目的のものであっても、決して正当化はされません。もし大義が本当に正当なものであれば、現実世界についての事実を完全に受け入れた上でそれを擁護することができるはずです。」と述べていて、これは科学的な事実に基づく主張であり、キリスト教思想への迎合ではないだろう。続けて、「そして、科学を自称する組織が社会的大義のために科学的事実を歪めるとき、その組織自身の信頼性だけでなく、科学全般の信頼性も損なわれます」ともある。
科学者としてのドーキンスの意見のその部分が十分に正しいものの、ドーキンスが語っているのは一貫してsexのことであり、人間他いくつかの動物で社会的役割としてのgenderがsexとは切り離されたものになる場合もあることを、ドーキンスも否定しない。そもそも、「出生時に割り当てられた性別」はgenderの話ではない。
ドーキンスのAMA批判は、そもそも、AMA自身がgenderとsexを混同していることを原因としているのかもしれない。出生時に割り当てられるものはgenderなのだ。
ドーキンスは文化的キリスト教を自由社会と同一視していない。ドーキンスはキリスト教を信じる人が少なくなっていることも肯定的に評価している。(もっとも、イエス・キリストは極めて自由主義的だった。彼はヨハネ9で輪廻転生を信じている使徒の世界観を否定しなかったし、「蛇のように賢くあれ」とも説いている。輪廻転生や蛇系宗教が自由主義的だったのではないが、様々な世界観を許容するのは自由主義的だろう。俺たちはキリスト本来の思想とキリスト教も分けて考える必要がある。)
genderへ話を戻そう。
è
西ヨーロッパにおける近代フェミニズムの先駆者と言えばボーヴォワールだ。こんな言葉を残している。「"Je m'avisai qu'une première question se posait : qu'est-ce que ça avait signifié pour moi d'être femme ? […] "Pour moi, dis-je à Sartre, ça n'a pour ainsi dire pas compté. – Tout de même, vous n'avez pas été élevée de la même manière qu'un garçon : il faudrait y regarder de plus près. Je regardai et j'eus une révélation」(私はある根源的な疑問が浮かんでいることに気が付いた。女であることは私にとって何を意味していたのであろうか? 私はサルトルに、それはこれと言って問題ではなかったと言った 。それはそうであるのだが、あなたは少年と同じように育てられはしなかった。そこをもっとくわしく見なければならなかった。私は見て、そして私にとって明らかになったことがあった。)(La Force des choses)
ボーヴォワールも自らのsexeを否定していない。女であることを「これと言って問題ではなかった」と評している。ボーヴォワールの関心ごとは男や女の育てられ方へと移っていき、genreつまり英語でのgenderの概念がやがて確立していった。sexeを否定するのはフェミニズムではない。genderを理解することがフェミニズムなのだ。
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