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71f41761
anonymous
2026-06-17 22:38
- >>a51b1b00
>必要なのは、宇宙的な間抜けさです。
「私は宇宙から来ました」
これを真顔で言う。
これを聞いた人が笑う。
笑った人は、一瞬だけ、自分が何を信じていたかを忘れる。
その一瞬に、implantは少し滑ります。
⇨深刻さを開放するためのユーモアは、純粋な企業経営なら良いだろう。特に、業績不振の企業ほど、ユーモア(深刻さからの開放)が必要だ。企業経営やビジネスモデルは、イノベーション(創造のノーイングネス)が必要とされるからである。しかし、真実(受動的ノーイングネス)を扱う宗教に関してふざけてはならない。
「私はエル・カンターレで、ゴータマ・シッダールタの再誕である」(大川隆法)
「私は洞窟で、大天使ジブリールよりアッラーからの啓示を賜った。アッラーの他に神はなく、我はその使徒である」(ムハンマド)
これを笑うことのできる人間(爆笑でも嘲笑でもどちらでも)は、既に真実を知っている人間である。セータンは、既に何が真実で、何が真実でないかを知っている。これらの与太話を信じ込む深刻な人間(その主題を笑うと権威に対する冒涜だと言って敵愾心を剥き出しにしてくる人間、決して笑うことのできない人間)は、バンクをより強固にしてしまう。そして、オウム真理教やイスラム教のように、愚かな盲信者だけではなく、その信仰(与太話)に関係ない人間まで実害を受ける。だから、与太話を真に受ける愚か者をコントロールしようとする人々(権威主義者)を許容すべきではない。おふざけの与太話をおふざけと断らず、ネタバレさせずに盲信させたがる人間(或いは我を失い憑依[コントロール]された人間)の言葉は、文明社会にとって有害でしかない。何でも「おふざけ」でこと済ます人間には、真のユーモア(リッジからの開放・精神の軽さ)はない。何が真実で何が真実でないかという物事の分別(ノーイングネス)があって、初めて、おふざけというものは許容され得る。ただのふざけ屋≒詐欺師は、逸脱でしかない。
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