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192e3023 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-12-13 09:55
>>bcc876a9

時制は場合によって冗長だからだ。

I went to school yesterday.
I will go to school tomorrow.

"yesterday"や"tomorrow"で時間を示しているのだから、時制活用
をやらなくても、同じ意味が伝わる。

I go to school yesterday. = 我昨天去学校。
I go to school tomorrow. = 我明天去学校。

新聞記事の見出しでは、既に、英語でも過去の出来事を現在時制で
示すことが多い。

http://www.nbcnews.com/storyline/dakota-pipeline-protests/pipeline-spills-176-000-gallons-oil-creek-150-miles-dakota-n695111

` Pipeline Spills 176,000 Gallons of Oil Into Creek 150 Miles From Dakota Access Protests

中国語では話し言葉で時制が残っている間に、書き言葉では時制が
なくなり、日本人の高校生が漢文の時間の読むような文章を書くよ
うになった。英語でもやがて同じことが起こるだろう。

より厳密に考えると、英語は既に未来時制を持たない。"will"はも
ともと意思を示す助動詞で、動詞自体に未来形がない。フランス語
と比べてみよう。

I can go to school. = Je peux aller à l'école.
I will be able to go to school. = Je pourrai aller à l'école.
I could go to school. = Je pourrais aller à l'école. (仮定法)
I was capable of going to school. = Je pouvais aller à l'école. (過去の状態)
I was able to go to school. = J'ai pu aller à  l'école. (過去の実現)

"ai pu"は一見すれば英語の現在完了と同じ形をしているが、フラ
ンス語に助動詞が存在せず、すべての動詞がこのような形をとるこ
とができるため、時制と考えられる。

日本語も未来時制を持たない。

彼は来るだろう。 = He will come.
彼は病気だろう。 = He may be ill.

"だろう"は未来ではなく、推量の表現だ。

日本語と英語はどちらも未来時制を持たないが、会話で困らない。
過去時制がなくなっても、たぶん、日常会話でさほど困らないだろ
う。
6ffa65f6 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-12-13 10:18
>>bcc876a9

(oe) Hwæt we Gar-Dena in geardagum theod-cyningas thrym
gefrunon...

(en) Listen, we Spear-Danes in (old) years and days heard of
(the) people-kings'  honors...

(jp) 聴かれよ、我ら古の槍のデーン人は民の王たちの誉れのこと
を聞いた……

古英語の"gefrunon"、現代英語の"heard (of)"、日本語の"聞いた"
が同じことを意味している。古英語は日本語と同じように基本語順
がSOVだった。そのため、日本語が助詞で実現していることを、名
詞の格活用で実現していた。こういう言語は伝達効率が低く、思考
効率が高い。

言語には若いものと老いたものがある。




(jp) 私はその男を助けられる。
(jp) 私は彼を助ける。

(de) Ich kan dem Mann helfen.
(de) Ich helfe ihm.

(it) Io posso aiutare l'uomo.
(it) Io lo aiuto. (Italian)

(en) I can help the man.
(en) I help him.

(cn) 我可以帮那个男人。
(cn) 我帮他。




若い言語ほど、動詞を目的語の後に置く傾向が強い。そして、伝達
効率が低い。先の大戦中、枢軸国は、イタリア、ドイツ、日本の順
に降伏した。言語の伝達効率が高いほうから低いほうへの順番にな
っている。

ドイツ語はヨーロッパで特に遅い言語で、日本語に近い。ドイツ人
と日本人は、陶磁器、光学機器、自動車を作ることを得意としてい
る。基本的に、伝統・小規模・自立型の製品が得意なのだ。伝達効
率が低くても、思考効率が高いので、高品質の製品を作り出せる

比べると、英語を話すアメリカ人は宇宙開発やコンピューターのOS
などが得意だ。特に汎用OS作りはハードウェアメーカーとの膨大な
量の根回しを必要とするので、伝達効率が低い日本語では難しい。
TRONの基本性能は、ファイルシステムに難があるが、総合的に見て
Windowsなどにあまり見劣りするものではないが、日本人には根回
しが難しい。
b8b143b0 anonymous 2016-12-14 17:04
>>オールドタイマーさん。
オールドタイマーさんの甥っ子が七田幼児教室に通っていらして、サイコロのゾロ目を出す確率が高かったり効果を感じたレスを拝見しました。
七田の右脳開発や一般的な潜在意識を使った能力開発についてオールドタイマーさんはどのような考えを持ってますか?
それらの能力開発もやはりチャージを軽減したりチャージから離れたりするから効果があるとお考えですか?
それとも菜園とは別原理によるものだと考えますか?
17623da6 2016-12-15 06:38
私が10代の時、七田さんのセミナーに参加しました。そのセミナー後に直接お話ししましたが聡明さは感じられなかったですね。
問題に対する解決策が物質主義的すぎるという感じでした
5d626f97 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-12-15 08:43
>>b8b143b0

姪、だが、まぁ、あの奇妙な能力はもうなくなっている。七田がや
っているのはドリル、菜園がやっているのはドリルとプロセスの両
方だ。ドリルとプロセスの間の区分は時に曖昧だが、能力の直接的
な行使を伴うものをドリルとしよう。

ドリルだけをやっていると行き詰る。能力が安定しない。

プロセスの導入は菜園外でも始まっている。いわゆるマインドフル
ネスは仕事上の能力の行使を求めるものではないので、ドリルでは
なく、プロセスだ。
81738106 R 2016-12-15 13:12
>>5d626f97
身近にやっていた子が何人かいて、確実に何か奇妙な能力(見えないはずの存在が見えるとか)の向上が見られました。しかし、大きくなるにつれ、学業も生活もうまく問題解決能力として発揮できなくなったように見えました。そのため、けして悪いセミナーだと思いませんが、私に子供がいたら楽器を演奏するとかスイミングなどの習い事をさせたいと現在は考えています。

マインドフルネスは最近よく目にするようになってきましたね。Old Timer さんが考える菜園外でのプロセスは他にもありますか? またご自身にお子さんがいらしたら七田式または菜園を採用するでしょうか?
392e58b5 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-12-15 14:46
>>81738106

浅いプロセスなら、日常会話でも成立するから、女の子がいたら会
話の中でのプロセスを時折やると思う。でも、男性に対してはあま
りうまくいかない。

楽器演奏は多分英会話より生産的だ。発表会で人前に出ることにな
れれば、人生の実に幅広い局面で強みになる。

教育上最も役に立つのは文学だと俺は考える。ここでの文学は映画
や漫画を含む。子どもを賢くしたいならば、漫画雑誌を定期的に買
ってきて、毎週どの作品が一番面白かったか、その理由は何なのか、
子どもに説明させると良い。(この方法は、白石一郎という作家が
教えてくれた)
5ce94e01 Old Timer i1b5ibip3kS 2016-12-24 23:37
明日はクリスマス。

12月25日はもともとミトラの誕生日だったのだとか。ミトラは6000
年くらい前から崇拝の対象となっていて、古代ローマ帝国でもやが
て人類を救う救世主として人気があった。キリストの誕生日がのち
に12月25日とされたのも、ミトラの人気に便乗するためだった。

ミトラはユダヤ教ではメタトロンあるいはミトロンという名の天使
になった。物事を測る権能を持っている。一説に、エノクが天使に
転生したものだとも。

ミトラは大乗仏教でマイトレーヤとか弥勒とか呼ばれる仏になった。
弥勒もまた救世主だ。

日本人がクリスマスを祝っても、実はそう変ではない。

もっとも、浄土系は阿弥陀如来を崇拝する。「阿弥陀」はもともと
「アミトラ」で、「ミトラではない者」を意味する。浄土系は弥勒
に期待していないのだ。
98ba169a anonymous 2016-12-26 16:31
>>5ce94e01

釈尊は、「私に祈っても何もない」「(自分の死に際して)私の燃骨灰に祈っても何もない」と述べました。

また、「信仰を棄てよ。そうすれば、彼岸に至るであろう。(実際に弟子たちはガンジス川に祭壇を投げ棄てた)」「他人が解脱させてくれるのではない。(恩寵的他力信仰の否定)」「仏陀(阿羅漢)たちとて説法者にすぎない」等と述べました。

釈尊は、LRHに較べてもラディカルで明快ですね。LRHはキリスト教的な文化に妥協し過ぎたと思います。LRHを人類の救世主的に祭り上げているシーオーグ的な宗教観には同意できません。仏教は、釈尊の死語に祭り上げられましたが、LRHは存命中に祭り上げられ、個人崇拝の宗教となってしまいましたね。
e72f5609 anonymous 2016-12-26 16:55
>>98ba169a

釈尊の言葉から、サイエントロジーの精神と共通するものを引用してみます。

「我が友よ。あなた方は、自分が説法しようとしている神を見たのか?もし、見ていないのなら、あなた方の説法は無意味である。自分が何を言っているのかを知らないのだから。我が友よ、あなた方はどうして一度も見たことのないものについて議論をし、相手を打ち負かそうとすることができるなどと考えるのか?」

「見よ、神々並びに世人は非我(我ならざるもの、つまり心と肉体)を我(アートマン=セイタンの意)と思いをなし、名称と形態(つまりマーヤー)に執着している。」
fa93cde6 anonymous 2016-12-26 17:12
>>e72f5609

ちなみに、失われたオリジナルの仏教の説法と照らし合わせて引用しています。

無我や一切皆苦や七科三十七道品を説くものは、後世の阿含経の創作です。

LRHが述べた通り、オリジナルの仏教は失われた教えでした。釈尊像はこれまで伝えられてきたものと全く違います。そして、サイエントロジーと全く矛盾しないものでした。

再誕の仏陀と宣言したGLAの高橋信次と幸福の科学の大川隆法の教えが嘘であることも判明しました。
64eb2931 anonymous 2016-12-26 19:14
>>fa93cde6

少しだけオリジナルの仏教を公開します。

釈尊は、「苦には実体がない」と説いたのであり、「人生は苦である」とは説きませんでした。

釈尊は、「欲を棄てよ」とは説きませんでした。「完全なるアートマンは、完全なる力を持つ。ゆえに、もはや欲を持つ必要はない」と説いたのです。

解脱したアートマン(仏陀)が、欲を持たないのは、欲を持つ必要がないからです。しかし、必要なものを得る力を回復せずに、力から離れても何の解決にもなりません。力を通り抜けることなく、力をもはや必要としないレベルに到達することはありません。
69e51102 anonymous 2016-12-26 21:54
>>64eb2931

失われたオリジナルの仏教の説法はどこで知ることができますか?
6f2b6118 anonymous 2016-12-26 22:12
>>69e51102

文献としてはどこにも残されていないため、セッションでの前世想起か、前世の記憶を持ち越せる人物から教わるしかないです。

仏陀の元で修行した阿羅漢ならば、完全想起力があるため、教義と技術を復元することは可能です。

俗に原始仏教や上座仏教と言われているものは、釈尊のオリジナルの教えとは全く無関係です。原始仏教や上座仏教の的外れな技術では解脱も悟りも真理も得られません。まあ、フィクションの仏陀伝です。歴史は捏造されたものですから。
b6d8c237 anonymous 2016-12-26 22:31
>>6f2b6118

原始仏教の阿含経典には、外在化が全く記述されていないし、アートマンも否定され(無我)、毒矢の喩えで形而上の質問には無記(無回答)という不可知論を採用し、八正道という欠陥技術を説く。ほんと、ぼろぼろで有害なクソ経典ですよ。自称原始仏教経典の阿含経は。
466ef03c anonymous 2016-12-26 22:42
>>b6d8c237

あとですね、実在の釈尊はかなりパワフルでアクティブですよ。仏像のように静かに瞑想に耽る仏陀像を想像する人は面食らうでしょうね。
8f2451a1 anonymous 2016-12-26 22:47
>>6f2b6118

ありがとうございます。
それなりにオリジナルに近い経典などは現存するのでしょうか?
f206961e anonymous 2016-12-26 22:49
>>466ef03c

釈尊は少なくとも、インドで初めて統一的な教団という形態の組織を築いた人物です。布教という手段を用いたのも釈尊が初めてです。1950年まで、オリジナルの仏教は、地球上に存在した唯一の逸脱のない宗教でした。
86e0271f anonymous 2016-12-26 22:52
>>8f2451a1

今確認しているところでは、法句経(ダンマパダ)とスッタニパータ、それにカーラーマスッタはかろうじて釈尊のオリジナルの教えの精神を伝えています。もちろん、部分的にであって全てではありません。また、それらの経典には肝心の教義も技術も記載されていません。
1aedfb6e anonymous 2016-12-27 01:05
>>86e0271f

カーラーマスッタに次のような釈尊の言葉があります。

「私の教えを、私への尊敬のために受け入れてはならない。(つまり、鵜呑みにしてはならないということです)まずは、それを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから。」

これこそ、釈尊の精神です。これほど、開明的な教師はいません。これは、「神を信じよ」と述べたイエス・キリストと対照的です。釈尊は、もはや信じることも疑うこともない、独立不遜の解脱者を育てましたが、イエス・キリストは神の信仰者を育てただけでした。

ここでは、詳細を控えますが、釈尊の教えは現代科学とも全く矛盾せず、更に先をいっています。また、技術体系もシステマチックで合理的なものでした。これも、イエス・キリストがいたために、現代科学の発達が遅れたと評されているのとは対照的ですね。

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